大澤真幸『自由という牢獄』読書メモ集
- arishima_takeo
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その選択を自己が己のものへと転換させうるような他者は、自己が対等に直面しうる、どの特定の他者でもない他者でなくてはならないのだ。言い換えれば、その他者が、自己と同一の空間に所属することのない匿名的な他者でなくてはならない。by大澤真幸『自由という牢獄』
2016-07-14 12:34:21われわれは、自己決定の論理ーー「それは私の責任だ」の論理ーーの高まりが、帰責ゲームの論理ーー「それはあなたの責任だ」の論理ーーの高まりと比例しているのではないか、と想像したくなるのである。by大澤真幸『自由という牢獄』
2016-07-14 13:00:45「リスク社会を特徴づける構成を一言で要約するならば、それは、第三者の審級のラディカルな不在にこそある」(大澤真幸『自由という牢獄』)。お、おぉ〜。
2016-07-14 14:47:28保険とは、「人口」の全体が、事故に対して連帯責任をとるシステムである。それゆえ、保険は、直接には無関係な個人の間に、相互扶助的な連帯を構成したのと同じことになる。by大澤真幸『自由という牢獄』
2016-07-14 14:50:21責任が蒸発してしまうのは、第三者の審級が不在だからなのである。第三者の審級が存在しないとき、見てきたように、選択が空洞化してしまう。つまりそれは、責任を帰属させうる選択としての実効性を確保しえないのだ。by大澤真幸『自由という牢獄』
2016-07-14 14:53:29例外状態は、法と無関係なわけではない。むしろまったく逆に、例外状態は、「法が適用されない」という形式で、つまり「法がそこから撤退していく」という形式で法と関係しており、法秩序に包含されているのである。by大澤真幸『自由という牢獄』
2016-07-15 18:13:55主観的な水準では、まったく連帯が欠如しているのに、客観的にーー行為事実的にーー大きな連帯がもたらされる、これが保険である。by大澤真幸『自由という牢獄』
2016-07-15 18:21:21『正義論』の最大の理論上の難点は、結局、個人の自己同一性を完全には無化できないということ、自己同一性を構成する何らかの特異性は最後まで頑固に残存するということ、要するに無知のヴェールは真っ白ではなく、常に特殊な色合いに染め上げられているということ、この点にこそある。by大澤真幸
2016-07-15 18:23:30↓うーん、この理解は違うんじゃないかな。ロールズは思考実験としてヴェールつき主体を提案してるのであって、別に自己同一性の放棄を求めてないのでは? 渡辺幹雄がいってた混同問題。
2016-07-15 18:25:53「もし正義(人格構成価値)の内容が、結局は確定できないのだとすれば、井上達夫の議論は、皮肉にも、彼が蛇蝎のごとく嫌う、リチャード・ローティの議論とあまり変わらないものになってしまう」(大澤真幸『自由という牢獄』)。井上さんローティー嫌いなんだ…へぇー。
2016-07-16 12:48:23持続的な「無関心」は、無害な現象学的還元のように、意志の切り替えによって自在に作り出せるものではない。まさに「無関心」への情熱が、あるいは「無関心」をもたらすためのエネルギーが必要なのだ。by大澤真幸『自由という牢獄』
2016-07-16 13:13:17「カフカの主人公は名前をもたないーーただ「K」と呼ばれるーーのは、彼が何者でもありうるからだ。その「名前の不在」は、根源的偶有性への暗示である」(大澤真幸『自由という牢獄』)。うーん、でも「K」っていう名前があるわけでしょ? この辺の議論は全く納得できない。
2016-07-16 20:36:57「雨に降られた」はごく自然だが、「電話に鳴られた」は変なのは、日本人の共通感覚にとっては、「電話」よりも「雨」の方が有生性が高いーー生きている感じをもつーーからである。by大澤真幸『自由という牢獄』
2016-07-16 20:47:43「たとえば、いちいち「ここを触ってほしい」と頼んだり、「ここを触ってもよいかい」などと確認しながらなされるセックスを想像してみるならば、それは、レイプとあまり変わらないくらいに冒瀆的で、おぞましいだろう」(大澤真幸『自由という牢獄』)。えっ、そんなことないんじゃないの?
2016-07-16 21:48:37@arishima_takeo 「それは、他者の身体を道具として用いた、マスターベーションにほかならないからだ。しばしば、レイプにおいて、女性の身体が「物」のように扱われた、と言われるが、合意されすぎでいるセックスにおいても、互いに相手の身体は、自分にとっては「物」である」。
2016-07-16 22:08:53@arishima_takeo 註でこんなこと言ってるけど、全然納得できないな。だって物だったら、一々了解とろうなんてしないでしょ。完全なる合意はありえない(他者の不透明性)って話ならまだ分かるけど。
2016-07-16 22:13:08大澤真幸『自由という牢獄』読了。リベラリズム論と責任論は良いと思うけど、公共性論は雑なんじゃないだろうか。ホモ・サケル概念の乱用も、元はユダヤ人の問題なのに、こんなふうに使っちゃって大丈夫かな?とか思えてくる。まあ、元々アガンベンってあんま信用してないんですけどね(笑)。
2016-07-16 22:59:00自己の能動性・主体性・自由には既に他者性が入り込んでいるよねってのが、大澤他者論(そして「第三者の審級」)の要諦で、別にそれは正しいと思うんだけど、例示次第で説得力が全然違うよな、と。養子に本当の親じゃないと告白する云々の例は上手いかな、と思いました。
2016-07-16 23:03:03責任論でいうと、「責任の不活化」、つまり自己決定&帰責ゲームで活性化された「責任」が帰属先を失い遊動して雲散する現象を概念化できたのは素晴らしいと思う。北田暁大のいう「責任のインフレーション」と似てる気もするが。
2016-07-16 23:07:33