庄司武史『清水幾太郎』読書メモ集
- arishima_takeo
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「清水は後に、この『人間性と行為』を「私の聖書」とまで呼んだのである」(庄司武史『清水幾太郎』)。デューイは清水にとって聖書。メモ。
2016-07-25 18:57:33清水はデューイおよびプラグマティズムに出会った頃、habitや習慣という文字をみつけるたびにある種の昂奮を覚えたという。それはデューイが説くそれらの言葉に、社会を作る存在としての人間の可能性をみていたからである。by庄司武史『清水幾太郎』
2016-07-26 11:40:30清水がデューイやプラグマティズムに出会うのは、ジンメルとの出会いからおよそ一〇年が経過した後のことであるが、清水においてデューイやプラグマティズムの思想を無理なく受容できた素養は、ジンメルに対する関心と理解のなかにもみることができるのである。by庄司武史『清水幾太郎』
2016-07-26 12:57:10「「貴族」や「大衆」という強い言葉を用いてはいるが、この言葉で清水が指しているのは、要するに意欲のある人間と意欲のない人間であるということである」(庄司武史『清水幾太郎』)。そうなのか。
2016-07-26 14:26:22戦前・戦中期の清水幾太郎は、戦争協力的、時局迎合的と解釈されがちだが、庄司武史によると、戦時中清水言論の中で最も重要なテクスト「現実の再建」においては、政府批判的な思想が垣間見れるらしい。メモ。
2016-07-28 11:11:06右傾化時代の清水は、自らの「経験」を過度に一般化している可能性があるのであって、このことの遠因は、「体系」から「経験」への比重の移動が行き過ぎた結果にあったように思われる。by庄司武史『清水幾太郎』
2016-07-28 13:33:38「あまり知られていないことかもしれないが、清水はカール・シュミット紹介の先達のひとりともいえるだろう」(庄司武史『清水幾太郎』)。政治的なものの概念訳してるのはたしかに重要だと思う。
2016-07-28 13:45:12「左」と「右」、進歩派と保守派の間を行き来したかにみえる清水の軌跡は、実際のところ、「自分」と「自分を超えるもの」との間を行き来した歩みではなかったか。by庄司武史『清水幾太郎』
2016-07-28 13:50:09庄司武史『清水幾太郎』読了。特異な社会学者・清水幾太郎における、コントとマルクスの相克、そしてジンメルとデューイの受容を細かく追い、イデオロギー的断罪を回避しつつ、その全体像を明らかせんとした労作的研究。清水好きなので、こういう本が出てきて嬉しい。『倫理学ノート』は今でも名著。
2016-07-28 14:00:28清水社会論のキモ「クレアタ・エト・クレアンス」(創り創られる)の思想を、西田幾多郎との比較で整理する点も分かりやすかった。意外と知られてないサルトルとの遠近にも教えられた。あ、そうそう、清水文章論のなかに「機械」性を読むのは庄司さんの独創的な読みだと思う。良い。
2016-07-28 14:02:18