T-80乗りで有名なのが セルゲイ・ペトロヴィチ・クルノセンコ大尉だろう 彼は第一次チェチェン紛争の際には、T-80BVに搭乗し,チェチェン独立派武装勢力 20名及び彼らが保有していたT-72戦車3輌を部分撃破した
2011-02-15 01:13:24大尉は被弾しながらも戦闘を継続し続けた、戦友が駆けつけた時には 大尉は息を引き取っていた・・・死後功績を評価され、大統領令により74番目のロシア連邦英雄の称号がクルノセンコ大尉に贈られた
2011-02-15 01:15:58T-80の初期型はガスタービンエンジン採用による不具合や莫大な燃料喰いのお陰で非常に評判が悪かった、そこで開発元はT-80Bを提供し、戦闘能力の向上や ガスタービンの改良を行った BVという形式はERA搭載型を指す
2011-02-15 01:19:11それまでのロシア戦車の形式番号順ではノーマル→A→B→M の順になるわけだが T-80の場合はちょっと違っている ノーマル→B→U という形式番号になった
2011-02-15 01:22:32あれ?Aは何処いったと疑問に思った方 T-80系列ではAの番号は試作戦車に与えられている オブイェークト219A(T-80A)である オブイェークト219Aでは主に装甲面の強化を目的とした試作戦車である
2011-02-15 01:26:50T-80BとT-80Aの複合体がT-80Uとなり、T-80Uが制式採用されることになった U=改良を指している M=近代化 という番号にしなかったのは本車が 今までのT-80とは違うことを明確にしたかったのと思われる
2011-02-15 01:30:20結局ロシアではT-80の生産拠点が外国に行ってしまったこともあり ウラル戦車工場のT-90の性能向上や生産性能の拡充により、退役していく戦車になったというのは非常に哀愁漂う結果になった
2011-02-15 01:35:29まぁ小規模な延命措置はあるにせよ、ロシア連邦では新規生産はまず考えられない戦車なわけでして、北方領土送りというのは妥当な線とも言える ただし性能は甘く見るべきではないぞという話
2011-02-15 01:38:05ソ連崩壊後、早速T-80UMをゲットするためイギリスがモロッコ政府に協力を仰ぎ モロッコ軍は「T-80UMがマジ最強過ぎるので、是非とも売ってください(棒)」とロシアに販売をねだる 背に腹に変えられえないロシアは売るしかない
2011-02-15 01:44:16でシメシメトと入手したT-80UMを英米共同による調査で解析 こうして解析されたデータは国際兵器取引に使われ「アル中共が作った戦車にはこんなに弱点がありまくりです こんな戦車はオススメできません(キリッ そこでですね 我が国の戦車を(ry」
2011-02-15 01:49:12とまぁこのように宣伝に使われてしまい、しばらくはロシア戦車の売り上げに悪影響をもたらしたのでしたとさ アメリカではアバティーン戦車試験場に1輌が持ち込まれたのが確認されている
2011-02-15 01:50:59何時ものブリテンである。RT @CRSVDV: ソ連崩壊後、早速T-80UMをゲットするためイギリスがモロッコ政府に協力を仰ぎ モロッコ軍は「T-80UMがマジ最強過ぎるので、是非とも売ってください(棒)」とロシアに販売をねだる 背に腹に変えられえないロシアは売るしかない
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