「油目的で肉を捨てていた西洋と異なり、日本はクジラを余すところなく完全利用してきた」って本当?

結論から言うと、地域や時代による市場の変化があっただけで、洋の東西なんて関係ない。 日本の捕鯨会社は戦前・戦後を通じて鯨肉を山ほど捨てていたのが事実。だって商売にならないもんね! 江戸時代から日本の捕鯨は商業色が濃くて、鯨肉より鯨油が目当て。鯨組は藩政と癒着して絶大な権力を行使し、漁場を占有して他の漁民を困らせたりもしたんだよ。
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もんもん @hydehydesan

「鯨肉や皮の食用品は、長期保存がきかないうえに、販売額も鯨油にくらべるとずっと少なく、鯨組経営の柱にはとうていなりえなかった。」(捕鯨Ⅰ 235p)

2015-09-22 15:58:25
もんもん @hydehydesan

「享保一七(一七三二)年、西日本を広く襲った大蝗害以降、鯨油が「除蝗」(田んぼに発生するウンカの駆除)に効果があることが知られるようになり、天明頃(一七八一~八九)から福岡藩や熊本藩では、毎年鯨組から大量に購入して備蓄するようになる

2015-09-22 15:59:12
もんもん @hydehydesan

(福岡藩の備蓄量は毎年四斗樽で一五〇丁。 なお鯨組が地元にある藩では、運上油として大量の鯨油を取り立てた)」(235p)

2015-09-22 15:59:26
もんもん @hydehydesan

「益富組の販売先に大口の買手である藩が加わるようになり、年によっては、全販売額の七~八割を占めることさえあった」(236p) (益富組は文政三年には五つの網組を操業させている当時最大規模の鯨組)

2015-09-22 15:59:51
もんもん @hydehydesan

江戸時代の鯨組でも、つねに経営の柱は鯨油であり、肉の販売ではなかった。 食用にされる肉や皮や内蔵は、油分が少なくて美味な部分だけに限られ、油を多く含んでいる部分はすべて搾油されていた。

2015-09-22 16:00:38
もんもん @hydehydesan

また、肉の保存法は塩蔵しかなく、それに比べると鯨油は長期保存がきくので、安定した商品でもあった。」(捕鯨Ⅱ 217p)

2015-09-22 16:00:53
もんもん @hydehydesan

例えばホッキョク鯨は脂皮が厚く鯨油が大量に確保出来る為「right whale」と呼ばれていたし、バスク人やアメリカでの捕鯨のターゲットにされたセミ鯨も「right whale」と呼ばれた。

2015-09-22 16:01:30
もんもん @hydehydesan

だがそれは日本も同じで「油がもっとも多く取れるセミ鯨を『本魚』と呼び他の鯨は『雑物』と呼ばれた。 また、その価値表示も本魚との価値の比率で示され、藩に納める運上銀(税)の額などもこの比率で決められていた。」(捕鯨Ⅰ 107p)

2015-09-22 16:01:53
もんもん @hydehydesan

奈須啓二氏によるとザトウ鯨は盲人が琵琶を背負った姿に似ているから「座頭鯨」と名付けられたとの事だが、「雑頭鯨」とも書かれ「鯨史稿」を引用し「雑頭は雑物の中にて上と云うことなり」、つまり「雑物の頭」だから「雑頭鯨」と書かれたのだろうと述べている(鯨と海のものがたり 36p~37p)

2015-09-22 16:02:41
もんもん @hydehydesan

なお氏によればセミもザトウもあまり美味しくないようなので、それを狙うと言う事は、やはり古式捕鯨も鯨油確保が主目的だったのだろう(現代とは味覚が違うのかもしれないが)

2015-09-22 16:03:12
もんもん @hydehydesan

また南氷の捕鯨に関しては当初より鯨油確保が目的であり(ヨーロッパに鯨油売ってアメリカで石油買ってたらしい)、日本近海の沿岸捕鯨を保護するために南氷からの鯨肉輸入を禁止していたし、

2015-09-22 16:06:38
もんもん @hydehydesan

鯨肉製造はWWⅡによりヨーロッパへの鯨油輸出が不可能になった1939~40シーズンになってからのはじめて本格的に行われた様で、鯨肉確保がメインになるのは「戦後の食糧難時代と鯨の捕獲枠が削減され出す一九六〇年以降のこと」らしい(捕鯨Ⅱ 217p)

2015-09-22 16:07:17
もんもん @hydehydesan

近代捕鯨普及において捕鯨基地設立の際、現地漁民から解体時の汚染や「エビス信仰」などの為揉めて暴動にまで発展したケースが有るのは知っていたが、古式捕鯨の頃から他の漁民と網代を巡ってちょこちょこ揉めていたという指摘は興味深い。

2015-09-22 16:09:56
もんもん @hydehydesan

鯨組は当初網代を独占し他の漁船の立ち退きを要求してきたが、各種の漁撈技術が開発されると鯨の回遊ルートに鰤刺網を設置したりする様になった為「立ち退き料」を浦に支払うようになっていった(捕鯨Ⅰ 244p)

2015-09-22 16:10:24
もんもん @hydehydesan

しかし19世紀になると不漁期に入った為鯨組近隣の漁村は、漁により精を出したり、お金の加増や網代の一部返還求めたり、更には自らの浦に鯨組を誘致しようとしたりしたが、鯨組は藩に頼って退けたり(壱岐)妥協して受け入れたりしたようだ(土佐)(捕鯨Ⅰ 244p~259p)

2015-09-22 16:10:49
もんもん @hydehydesan

弱り目に祟り目であるな。

2015-09-22 16:11:14
もんもん @hydehydesan

鯨組が地元に対して譲歩せざるを得なくなった理由としては、伊豆川浅吉氏によれば「鯨組が当初持っていた藩の水軍的・公的な役割が薄れていき、単なる営利企業に変化していった」事を挙げ、

2015-09-22 16:11:51
もんもん @hydehydesan

山下渉登氏は「ほかの漁業が進展していくにつれて、当初鯨組がもっていた『近隣七浦まで潤す』ほどの経済的な魅力が相対的に低下していったこと」

2015-09-22 16:12:11
もんもん @hydehydesan

「羽指や水主をはじめとして鯨組に雇用される人員が世襲化・固定化していくことで、組織構成の麺で弾力性を失っていったことなどが、鯨組から求心力をしだいに失わせていった理由ではないか」としている。

2015-09-22 16:12:40
カメクジラネコ @kamekujiraneko

そんな浅薄な美化はしてないでしょ。ほぼ無駄なく利用してたのは江戸時代の話。戦前の日本の捕鯨会社は外貨目的で、鯨肉を洋上で大量に投棄していた>油の採取を目的とした欧米の捕鯨と異なり、日本では鯨の全部位を無駄なく活用していた(引用) twitter.com/BookBang_jp/st…

2016-08-09 19:23:12
Book Bang (ブックバン)本紹介 @BookBang_jp

【書評】『鯨取りの社会史』 森弘子・宮崎克則 花乱社 bookbang.jp/review/article… 近世日本の捕鯨は、巨富を生み出す一大産業であると同時に、多分に文化や学術と結びついた営みでもあった。本書は、こうした日本的な捕鯨のあり方を、江戸時代に描かれた鯨絵巻の分析…

2016-08-09 10:48:08
カメクジラネコ @kamekujiraneko

そう、明治期の近代捕鯨はロシア進出への対抗が目的で政府が梃入れした(日水の開祖岡十郎が進言)>蝦夷地がロシア人の襲撃を受けると、驚き慌てて蝦夷地の防衛策を考えた。その一つが、エトロフ島に鯨組を創設することであった(引用) twitter.com/hanmotocom/sta…

2016-08-09 19:29:06
版元ドットコム @hanmotocom

【会員出版社の新しい本】 鯨取りの社会史 - 森 弘子(著/文 他)…他1名 | 花乱社 ift.tt/21QoAlv ift.tt/1OcRv0E

2016-05-10 09:08:01
カメクジラネコ @kamekujiraneko

同じ著者のこの論文は極めて興味深い。大手VS零細の漁業者間の対立と格差の構図がそっくり当てはまる。鯨組は権力と結び付いて漁業者を圧迫していたのが史実なのだ>西南学院大学博物館寄託「松澤善裕氏所蔵文書」に見る鯨組と地域漁業の軋轢 seinan-gu.ac.jp/museum/wp-cont…

2016-08-09 19:34:38
カメクジラネコ @kamekujiraneko

(承前)江戸時代の鯨組はまるで現代の原発電力会社並>益冨組の「御崎浦年中請浦」により、大島の漁業である鮪網漁・鯖漁・鰮網漁などの漁獲量は激減し、損失も大きかったであろう。その補償として「浦落銀」が益冨組から渡されていた(引用~P13)seinan-gu.ac.jp/museum/wp-cont…

2016-08-09 19:36:48

※ 金と引き換えに漁業者から魚を獲る権利を奪っていたという意味。空港とか工業団地建設に伴う埋立開発、干拓事業なんかも一緒。だけど、現代の国/原発事業者と同じことを江戸時代からやっていた、しかもそれが鯨組だったってすごいよね・・

もんもん @hydehydesan

@kamekujiraneko 鰯鯨は油が余り獲れないが肉は旨いという鯨種ですので、これを渡すという事は「日本の古式捕鯨においても主目的は鯨油であり鯨肉では無かった」という傍証の一つになるかもしれませんね。 興味深い資料ありがとうございました。

2016-08-09 22:42:28