『史記』の「烏孫」の発音を復元すると、砂漠の水源「氷河」の輝きを意味した印欧語で、ギリシア語、ラテン語と同系統の言葉だった!?

「烏孫」(あそん)とは、インドヨーロッパ語族のトカラ語派(アールシ語)にみられる「白い」を意味するarkiと同根の言葉で、「アールスン」の音訳でした。日本語「えんじ」色の語源とも。言語学の専門家の考証と中国史からのアプローチが決め手になりました。
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望之 @motijuki1017

『漢書』ではアレクサンドリアが「烏弋山離」と音写されているから、「烏」は漢代には *ʔa だったのか。

2016-02-04 12:00:43
巫俊(ふしゅん) @fushunia

>RT 「」という漢字は、ガアガアといったカラスの鳴き声に由来するとされ、それがアアと発音されるようになり、そして日本語読みの烏(う)につながっていくそうです。発音は難しいですが、音声を再生すると「 ʔa」(烏)はアアと聞こえます。漢代の遊牧国家「烏孫」もアアルソンの可能性が

2016-02-08 01:49:27
巫俊(ふしゅん) @fushunia

烏孫がアアルソン(アールソン)と読める可能性については、こちらに少しだけ書きてまとめました。 togetter.com/li/916130 「「獅子」はライオンとは違う?いいえ、前漢の武帝の動物園にはライオンがいた。ライオンを意味する古語「師子」「サンゲイ」を解き明かす! 」

2016-02-08 01:54:11
巫俊(ふしゅん) @fushunia

upload.wikimedia.org/wikipedia/comm… 「西域」の地図。烏孫はここです。 グーグル画像検索より、ウィキペディアの地図です。

2016-09-04 16:07:46
巫俊(ふしゅん) @fushunia

烏孫が「アールソン」だとすると、何が分かるかとうと、まず天山北方の遊牧国家の「烏孫」は、インドヨーロッパ語族のトカラ語派を話していた可能性がある。少なくとも、この国名はインドヨーロッパ語族のトカラ語派である。となります。

2016-02-08 01:57:13
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そのアールシについては、論文「「トカラ」と「アールシ」の再検討」(風間喜代三、言語学者、東京大教授) を参照しました。

2016-02-08 02:06:55
巫俊(ふしゅん) @fushunia

新疆の周辺地域は、中世の突厥のオルホン碑文では「トグズアールシン」と呼ばれていて、トグズは突厥語で「9」多くのという意味になり、諸アールシ(漢籍では、各時代に烏孫、焉耆、燕支山などと音訳された)の総称だったそうです。

2016-02-08 02:11:41
巫俊(ふしゅん) @fushunia

アールシ語(トカラ語)は、楼蘭王国にアールシ語(トカラ語)地名があることから、楼蘭の元の言語だったと考えられています。つまり、タクラマカン砂漠周辺の西域国家は、アールシ語(トカラ語)を話していて、アールシと自称している人も多かったと考えられます。

2016-02-08 02:13:29
巫俊(ふしゅん) @fushunia

亀茲国のアールシ語(トカラ語)の文書にも、 wi ksum tsa Ksemarcune lante (Ksemarcune王の統治2年に) とあり、

2016-02-08 02:14:23
巫俊(ふしゅん) @fushunia

亀茲国王のKsemarcune王の名前を分解すると、 ksemとarcuneで、 このarcuneが「アールソン」です。

2016-09-05 11:13:02
巫俊(ふしゅん) @fushunia

トカラ語A方言(カラシャール語)のarki白い」、 トカラ語B方言(亀茲語)のarkwi白い」、 サンスクリット語のarjuna白い」、 ギリシア語のarguros白銀の」、argos輝く、白い」 ラテン語のargentum

2016-02-08 02:15:45
巫俊(ふしゅん) @fushunia

トカラ語と呼んだり、いいやアールシ語と呼ぶべきだと、欧米で論争が起こっているようです。日本では、「アールシ語」派が勝利いていて、風間喜代三さんも「トカラ語は正しい呼び方ではない。トカラ(月氏)ではない」と言っていますが、中国では今でもトカラ語(月氏言語)と呼ばれています。

2016-02-08 02:20:22
巫俊(ふしゅん) @fushunia

それで、風間喜代三さんの論文を読んでいたら、西域の亀茲国と焉耆(えんき、アールキと推定される国名)の中世の遺跡から出土した、このトカラ語?アールシ語?の言語は、

2016-02-08 02:23:34
巫俊(ふしゅん) @fushunia

出土したその史料に、「アールシ語に訳した」「トカラ語に訳した」といった言葉が出てくることから、どっちがこの言語の名前なんだ?と論争になっているのですが、論文を読んでいて、私が見たところ、どっちも同じくらいの根拠がある。アールシ語ともトカラ語とも呼ばれていた。と判断できる内容でした

2016-02-08 02:26:32
巫俊(ふしゅん) @fushunia

中世の時代に僧侶の慧琳が書いた『一切経音義』には、「亀茲が月支(月氏)とも烏孫とも呼ばれた」ということが書かれており、 「亀茲は丘茲、屈支、月支、鳩茨と同じ音だが、また烏孫とも名付けられている。西域の諸王は王名、または地、山によって名を付けるので多名である」とあるとのことです。

2016-02-08 02:27:06
巫俊(ふしゅん) @fushunia

そもそも、『漢書』には月氏も烏孫も、匈奴に追われるまでは河西回廊にいた隣どうしの集団だと出てくるのですから月氏を指すトカラ、烏孫を指すアールシ(アールソン)は、その後もその末裔たちによって違和感なく両方とも使用されてきたと考えることができます。

2016-02-08 02:29:19
巫俊(ふしゅん) @fushunia

不幸なことは、唐代になると、イラン系東部方言のバクトリア語を話す人たち(大月氏の後継国家のクシャーン朝)のいた場所がトカリスタンと呼ばれるようになっていてトカラ(『史記』の大夏のこと)というと、イラン系の人たちのことだという強い思いこみが生まれていることです。

2016-02-08 02:31:38
巫俊(ふしゅん) @fushunia

東方選書『大月氏』の作者の小谷仲男さんに聞いたことがあるのですが、「月氏は、イラン系の出戻りだろうね」(中国近くまでいって、また戻ってきた)と何となく考えておられるということでしたが、これはそうではなくて、河西回廊にいたトカラ(月氏)は、イラン系ではなく、トカラ語話者だろうと

2016-02-08 02:35:58

通説では、「トカラ語というのは、全然別で、名前も誤解で関係無い」とされていますが、これでは月氏の姿が見えてこないのが気になっていました。

巫俊(ふしゅん) @fushunia

トカラ語は、「ヨーロッパ人の甲骨文(みたいなもの)」と呼ばれていて、イラン系の言語よりも、ラテン語やケルト語などのヨーロッパ西部の言語に近縁の言語です。それが何と、中国の近くに分布していたということで、これは非常に古い青銅器時代の東西交渉を証明する「言語」なのです。

2016-02-08 02:39:12
巫俊(ふしゅん) @fushunia

黒海やカスピ海の周辺にいた青銅器時代の人たちが、馬車に乗って西に移動していって、西ヨーロッパ人の言葉のルーツとなり、東に移動していって、中国に到達した。そして、移動しなかった人たちは言葉が変化して、サテム語派のイラン系(インドをふくむ)になりました。西欧・トカラ語はケントゥム語派

2016-02-08 02:41:50
巫俊(ふしゅん) @fushunia

中国の青銅器文化、日本の弥生青銅器文化、これらは時代が違いますが、最新の論文によると、いずれもこのカスピ海から移動してきたアンドロノヴォ文化というソ連のシベリアの草原森林地帯の青銅器文化の影響を受けて、「初期青銅器時代」を迎えたことが分かっています。

2016-02-08 02:43:37
巫俊(ふしゅん) @fushunia

つまり、中国王朝が生まれたのは(日本の古墳時代の朝廷が生まれたのも)、武器の性能に依存する部分があり、それは結局のところ、西アジアからやってきた文明の移転なのだという、何故か知られていない衝撃的なお話です。

2016-02-08 02:45:06
巫俊(ふしゅん) @fushunia

@Chetpheng @HishamWaqwaqi ツイート拝見しています。発音記号は素人ですが、「ʔa」をウィキペディアで音声サンプル再生すると、アアーと聞こえました。東大の印欧語学者が「U-sun烏孫はアールシのことか?」と示唆していて、アアルソンと読めるのではと考えています

2016-02-08 02:09:41