ヴェンゲル20周年:喜びとフラストレーションに満ちた旅(A.Lawrence "Arsène Wenger: 20 years at Arsenal – an incredible journey of joy and frustration" 抜粋意訳)

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mygunner @mygunner98

96年にアーセナルの監督就任を考えた時、そのチャンスの大きさをわかっていたものはヴェンゲル自身を含めて誰もいなかった。彼は名古屋の自宅でじっくり考えていた。日本での経験は魅力的なものだった。文化も習慣も異なる世界で挑戦し、驚き、時に孤独だった。刺激的だった。(ガーディアン)

2016-09-22 23:15:18
mygunner @mygunner98

アーセナルは職業的な意味でも文化的にも私生活でも全てにおいて大きな飛躍だった。「大きな決断をしなければならなかった。今戻らなければ多分永遠に日本にいただろう。欧州でのことは次第に意識から薄れていた。今戻らなければここで生きていくだろうと思うところまで来ていた。」(ガーディアン)

2016-09-22 23:15:38
mygunner @mygunner98

ヴェンゲルの妻は妊娠しており日本で一緒に暮らしアジアに根を張るか、欧州に戻るかだった。振り返れば運命の分かれ道だった。もしも違う選択をしていたら、彼とアーセナルのその後の20年はどうなっていただろう。(ガーディアン)

2016-09-22 23:15:51
mygunner @mygunner98

ヴェンゲルが仏語訛りの英語と洗練されたアイデアをもって英国にやってきた時、周囲には外国人監督に何ができるのかという強い疑念が渦巻いていた。主将のアダムズ含め皆が不安だった。「変化に対する恐れがあった。」選手も監督たちもサポーターもメディアも皆が疑っていた。(ガーディアン)

2016-09-22 23:16:36
mygunner @mygunner98

ヴェンゲルもそれは気づいていた。「周囲の強い疑念を感じたよ。だがそれが普通だ。特に島国ではね。島国では歴史的に人々の生活には距離がある。外国からの影響には注意深くなる。」(ガーディアン)

2016-09-22 23:16:44
mygunner @mygunner98

ヴェンゲルの前にやってきたもう一人の無名に近いフランス人、ヴィエラが始まりだった。彼の初戦、怪我のため外で観戦していたベルカンプはハイバリーにエネルギーが満ちるのを感じた。「出てきてすぐに試合を変えたんだ。みんな『何が起こった?これは正夢?』って思ったよ。」(ガーディアン)

2016-09-22 23:51:31
mygunner @mygunner98

ヴィエラの存在は強い印象を与えた。新鮮で違うものを見せてくれた。ヴェンゲルは言う。「彼が私に初の信用を与えてくれた。皆にショックを与えた。(アラジンの)ランプから出てきたジニーみたいにね。」(ガーディアン)

2016-09-22 23:51:47
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アーセナルは大きく変わろうとしていたが、ヴェンゲルは周囲をよく見て理解・分析するまでは拙速な判断や大きな変革をもたらしたくはないと考えていた。(ガーディアン)

2016-09-22 23:52:14
mygunner @mygunner98

就任してから2年間でヴェンゲルは様々な新しいアイデアを導入した。食事やストレッチなど科学的な裏付けがあるもの、プレースタイルに関するもの。新選手の加入もそれを助けた。オーフェルマース、アネルカ、プティ。すべての要素が勝利に向けてブレンドされた。(ガーディアン)

2016-09-22 23:52:30
mygunner @mygunner98

ベルカンプにとってヴェンゲルの就任は、彼自身の過去のサッカーとオランダのトータルフットボールという教育と、イングランドの諦めないサッカーとの橋渡しだった。共生。ベルカンプはタフさを身につけてPLで輝き、アダムズは前へ飛び出してボレーシュートを決めた。(ガーディアン)

2016-09-22 23:52:42
mygunner @mygunner98

アーセナルはヴェンゲル一年目にPLとFAの2冠を達成する。全てのプレッシャーを超えた稀有な輝きだった。「チームが団結して楽しんで個人の我が儘や結果に不安を感じずにプレーする時はある。一瞬しか続かないこともある。だが、それを味わいたくて人は永遠に戦い続ける。」(ガーディアン)

2016-09-22 23:52:59
mygunner @mygunner98

ヴェンゲルの始めの10年間は安定した成功だった。無論惜しくも優勝を逃した時もある。ファーガソンのユナイテッドとのライバル競争は激しく緊張感がみなぎっていた。96-06年はPL優勝3回、FA杯4回、CL決勝にもクラブ史上初めて進んだ。そして03-04年の無敗優勝。(ガーディアン)

2016-09-23 00:16:38
mygunner @mygunner98

その実績も重要だが美しいスタイルも重要だった。キャリア絶頂のアンリを筆頭にベルカンプ、ピレス、ユングベリ、ヴィエラ、カヌ、などなどが多くのファンを魅了した。「無敗優勝は夢だった。無理だと思ったものでも叶うことがあると知った。」とヴェンゲル。(ガーディアン)

2016-09-23 00:16:48
mygunner @mygunner98

長く言われていた"Boring Arsenal"の対極のアイデンティティを作ったこともヴェンゲルの密かな誇りだ。「外国のコーチにそこの選手について聞いた時に『こいつはアーセナル向きではないです』と言われるのは最大の褒め言葉だ。」(ガーディアン)

2016-09-23 00:16:59
mygunner @mygunner98

もちろんこの20年間で全ての獲得選手が「これぞアーセナル」というカテゴリに入るわけではない。ソル・キャンベルもいればステパノフもいる。ファン・ペルシーがいればフランシス・ジェファーズもいる。だがとにかく初めの10年は成功だった。とんでもなく高い基準になった。(ガーディアン)

2016-09-23 00:17:07
mygunner @mygunner98

ヴェンゲルの20年の転換点はスタジアムの移転だった。ヴェンゲルはハイバリーを愛していた。感傷に呑み込まれないヴェンゲルでも、今も時々、エミレーツへの行き帰りにAvenell Roadまで寄り道してEast Standの正面に停まって思い出に浸る時があるという。(ガーディアン)

2016-09-23 01:09:47
mygunner @mygunner98

だがクラブが前進するためには移転は避けがたいとヴェンゲルは思っていた。真っ先に練習場を改革した時(彼は毎日コルニーへ行って進捗をチェックした。特に280,500本の木が植えられたのが気に入っているという)、ハイバリーの収容力の限界はかなり検討が必要と思われた。(ガーディアン)

2016-09-23 01:10:26
mygunner @mygunner98

クラブが£400mかけてスタジアム移転を決めた時、しばらくの間妥協したチーム作りとなることををヴェンゲルは理解し受け入れた。彼が知らなかったのは、サッカー風景を一変させるような金持ちによってアーセナルの計画が潰されるかもしれなかったことだ。(ガーディアン)

2016-09-23 01:10:41
mygunner @mygunner98

「マシンガンに石で対抗するようなものだった。だがファンはそんなことは知りたくない。ただタイトルを望んでいる。」この時期はクラブが予測していた以上に厳しいものとなった。(ガーディアン)

2016-09-23 01:11:03
mygunner @mygunner98

この時期のヴェンゲルの戦略は若手に信を置くことだった。これは勇気がいる。ベストな若手を探してきて、クラブの精神を叩き込み、共に成長し互いに忠義を感じるチームを作る。(ガーディアン)

2016-09-23 01:11:32
mygunner @mygunner98

これが機能しかけた。ファブレガスはセンセーショナルで、仲間にはファン・ペルシー、ナスリ、ディアビらがいた。戦うに十分なタレントが揃っているとヴェンゲルは確信していた。(ガーディアン)

2016-09-23 01:11:51
mygunner @mygunner98

だが若手プロジェクトは崩れる。多分ヴェンゲルにとって最も辛い時だっただろう。ファブレガスとナスリが去りそれにRVPが続いたダメージは大きかった。彼はとてもパーソナルな喪失感を経験する。彼が信じてきた思想が目の前で崩れたのだ。(ガーディアン)

2016-09-23 01:12:08
mygunner @mygunner98

これら大型選手の連続移籍が起こる前、その流れを断ち切ろうとしていたヴェンゲルは、もしも彼らが移籍したならその影響は大きいと認めた。「もうビッグクラブだというふりはできなくなる。」(ガーディアン)

2016-09-23 01:12:29
mygunner @mygunner98

選手のヒューマンな面に重きをおくヴェンゲルには特に辛いことだった。だが、いいかどうかは別としてその移籍をブロックする監督もいる中、ヴェンゲルは選手が去りたい時が、辛くても手放す時だといつも考えようとしていた。(ガーディアン)

2016-09-23 01:12:43
mygunner @mygunner98

これまで何度かヴェンゲルは他クラブに行く可能性があった。だがそれをせず、高い給料だけでなく強い批判を受け止め続けた。なぜか。CVを飾る名誉以上に信じているものがあったからだ。スタジアム移転というプロジェクトを見届けて終わらせたかった。(ガーディアン)

2016-09-23 01:41:57