_カイミェルは手すきの機関士一人を連れて後部甲板へ出る。外は風の吹き荒れる漆黒の空間だった。いつもは穏やかな積雲シルフが、唸り声をあげて飛行船の周りに纏わりついている。 プロペラ艦橋を見上げた。飛行船後部のジャイロを備えた鉄塔のことである。 21
2016-09-24 19:11:41_ジャイロの様子はよくわからない。 「登ってみる」 命綱のロープをフックにかけ、カイミェルは鉄塔の梯子を登る。手伝いは下に待機させておいた。光源装置の明かりが闇の向こうに溶けて消える。 (100プロペラ艦橋の3番エンジン……いちばん先の方だ) 22
2016-09-24 19:16:21_風が強い。カイミェルはなんとか梯子を掴み一歩一歩目標へ近づく。シルフの気が立っている。風は気まぐれだ。無風もあれば心地よいそよ風も、烈風もある。ただ今日は様子がおかしい。 「シルフ、落ち着いてくれよ。騒がしさだって限度があるだろう」 聞く耳は持っていそうにない。 23
2016-09-24 19:19:49_光源装置を先に向ける。3番エンジン……プロペラが止まっている。カイミェルは異常に気付いた。ボロ切れのようなものが絡まっているのだ。 ボロ切れから白い煙が激しく噴出している。彼は自分の想像を恐れた。この物体は……もしや、クラウドシルフか。 「マジかよ」 24
2016-09-24 19:24:00_思わず動きが止まる。深呼吸をしてからゆっくりと近付いた。恐怖は確信によって裏付けされる。 か細い女性のような身体だろうか、プロペラに絡まりめちゃくちゃになっている。だが恐ろしいことに、その信じられない生命力によって生きている。 25
2016-09-24 19:28:21_傷口から蒸気のように何かが漏れている。魔力の血液が圧力鍋の弁から出るように噴出しているのだ。 ボロ切れのようなものはシルフの羽衣と呼ばれる身体の一部だ。めちゃくちゃに絡まり、千切れ、無残な姿を晒している。 クラウドシルフの頭がこちらを向き、涙の溜った目を向けた。 26
2016-09-24 19:33:49_カイミェルは奥歯を噛みしめた。この傷ついたクラウドシルフは仲間を呼ぶだろう。そして加害者たる飛行船を破壊するだろう。 クラウドシルフとの遭遇を避けるために、巣である積乱雲には近づかないことになっている。けれども、稀にはぐれて飛ぶ個体もいる。 「考えるのは後の話だ」 27
2016-09-24 19:38:27_短距離話術機を取り出し、下で待つ手伝いに連絡する。 「クラウドシルフだ! プロペラに絡まってる!」 「す、すぐ機関室から応援を呼びます!」 「頼む! 僕は何とか頑張ってみる」 通信を打ち切り、カイミェルはさらに接近する。吹き付ける寒風が頬を硬くした。 28
2016-09-24 19:42:40_瀕死のクラウドシルフは歌声のような音を発してもがいている。カイミェルはエンジンに到達した。風の強さは増すばかり。 すぐさまエンジンを完全に停止させ、次にクラウドシルフを助けようとする。彼の手袋が羽衣に触れた瞬間……手袋がずたずたに裂ける! 「ぐぁっ!」 29
2016-09-24 19:46:52_猛烈な寒さが襲い掛かる。古傷だらけの手が晒されていた。 (シルフには触れられない) 大切なことを思い出す。痛みを集中力で補い、カイミェルは次なる一手を思う。 (ならば!) 彼はエンジンの蓋を開けてハンドルを探した。 (いけるはずだ。ダメなら、その次の話だ!) 30
2016-09-24 19:50:35【用語解説】 【短距離話術機】 トランシーバーによく似た機械。空気中に存在する魔力に音声を伝播させる。拡声器よりは遠くに届くが、壁や水で阻まれると急速に減衰し通信できなくなる。主に屋外で使用され、短距離の通信に重宝されるが、非常に高価なため一般家庭には流通しない
2016-09-24 19:55:23