『ニッポン樫鳥の謎』と後期クイーン的問題

真理探究から対人ゲームへの探偵機能の転換点としての『ニッポン樫鳥の謎』について
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@quantumspin

まとめを更新しました。「目的なき合目的性と後期クイーン的問題」 togetter.com/li/1006636

2016-09-18 16:49:25
@quantumspin

『ニッポン樫鳥の謎(The Door Between)』は『中途の家』と同様、タイトルから国名を廃し、さらには前作で未だ辛うじて維持させていた挑戦形式でさえ、本作以降姿を消すことになるのである。クイーンの代名詞とも言えるこの挑戦形式を廃してまで、作者は何を描こうとしたのだろうか。

2016-09-18 17:25:33
@quantumspin

法月は『初期クイーン論』の中で、『『中途の家』を最後にクイーンの長編から〈読者への挑戦〉の頁は姿を消し、ロジカル・タイプの「あいだの扉(ザ・ドア・ビトウィーン)」が徐々に開かれていくことになる。』と書いている。本論で挑戦形式の削除とは、作者の恣意性の発露と不可分であると捉えるのだ

2016-09-18 17:57:25
@quantumspin

つまり法月は、『ニッポン樫鳥の謎』における挑戦形式の削除と、『シャム双子の謎』のそれとの間に原理上違いはない、と考えているわけだが、これは正しいだろうか。ならば、両作に挟まれた3作は何れも『その気になればいくらでも書き続けられた筈の、中途半端な作品』という事になるのだろうか。

2016-09-18 18:43:31
@quantumspin

これを検証するには、『シャム双子の謎』における〝読者への挑戦の方法的削除〟の意味を再び問い直す必要があるだろう。『シャム双子の謎』の特異性については、togetter.com/li/845883でも分析したが、本作は探偵エラリーが意図の解釈の問題に直面する、恐らく最初の作品だ。

2016-09-20 18:52:29
@quantumspin

本作においてエラリーは、ダイイング・メッセージや偽手掛かりといった、人工物に込められた意図の解釈に基づき真相を推理しようと試み、非意図的物証が、人工物を悉く焼き尽くす山火事の如くこれを破壊するのである。意図の解明に時間を浪費したエラリーは、物証を山火事で失い永久に推理の機会を失う

2016-09-20 19:42:51
@quantumspin

『シャム双子の謎』では、〝読者への挑戦〟に不可欠である必要十分な非意図的証拠は最後まで得られず、残されるのは意図の多義的解釈可能性だけである。やむ無くエラリーは指輪を使い犯人のあぶり出しを行う事になる。本作において、〝読者への挑戦〟は、物証と共に山火事が消失してしまったと言える。

2016-09-20 20:28:50
@quantumspin

クイーンが『シャム双子の謎』で描こうとしたのは、恐らく、意図の解明欲求が、挑戦形式の成立に不可欠である筈の、非意図的物証の探索とそれに基づく推理とを凌ぐ、という事だと思われる。このテーマは『チャイナ橙』『スペイン岬』で反復的に継承され、『中途の家』では逆説的に明るみに出されている

2016-09-20 22:20:53
@quantumspin

これら一連の作品を順に読んでいけば、クイーンが非意図的物証に基づく挑戦形式に限界を感じていた事を想像する事は容易だ。そして『中途の家』で極めて高い完成度の犯人当てを書きながらも、これを読者に〝中途半端〟と判断される書き方を敢えて選ぶ事で、クイーンは挑戦形式の歴史に終止符を打つ。

2016-09-20 22:34:45
@quantumspin

重要なのは、『スペイン岬』までのクイーン作品には、人工物の意図の解釈に囚われながら、未だ挑戦形式との両立を模索する作者の念願が見受けられる事だ。『シャム双子の謎』における〝読者への挑戦の方法的削除〟は、このような文脈において実行された。それは、作者の念願を裏切る暴力的な消失なのだ

2016-09-21 18:54:32
@quantumspin

では『ニッポン樫鳥の謎』はどうか。本作では『シャム双子の謎』のように、非意図的手掛かりが消失するような事態が起こる事はない。クイーンは本作で、その気になればいつでも、読者への挑戦を差し挟む事ができながら、敢えて差し挟んでいないのである。なぜクイーンは本作から挑戦状を削除したのか。

2016-09-21 22:26:20
@quantumspin

この事を理解するには、本作における意図の解釈の取り扱いの変化に注目する必要があるように思われる。なぜならば、中心となる密室の謎の解明に際して、エラリーが注目し推理の中心に据えるのは〝動機〟すなわち〝犯人の意図〟だからである。やはり本作においても、意図の解釈が主題であり続けている。

2016-09-22 08:12:03
@quantumspin

密室の謎解きに際しエラリーは、クイーン警視の物証に基づく推理を、動機の説明の不十分さを理由に退け、代わりに状況に整合する犯行動機について分析を行う。『シャム双子の謎』から『スペイン岬の謎』にかけ描かれた、意図の解明欲求が物証に基づく推理に優先する構図は、本作でも健在なのである。

2016-09-22 19:11:33
@quantumspin

本作ではしかし、従来の構図の反復に留まる事はない。本作最大の特徴は、意図の解釈が新たな物証を予言する点にあるのだ。どういう事か。エラリーは犯行動機について、詳細な解釈を披露する。しかしそれは、説得力あってもクイーン警視には受け入れられない。そこでエラリーは、凶器の行方を予言する。

2016-09-24 03:48:00
@quantumspin

いわば手掛かりは後だしなのだ。これは従来の挑戦形式では決して書けない。挑戦形式においては、あらゆる手掛かりは解説編までに読者に明らかにされている必要があるからだ。法月に言わせれば、これは作者の恣意性以外の何物でもないだろう。しかし作者はあえて、このような展開を選んでいるのである。

2016-09-24 03:55:58
@quantumspin

手掛かりを公理とする演繹推論からの唯一解の導出は、かつて挑戦形式が目指したフェア・プレイ原則の究極形だ。『スペイン岬の謎』までのクイーン作品には、意図の解釈までもこの導出プロセスに近づけようする意志があったように思う。しかし『ニッポン樫鳥の謎』では、意図の解釈を別の形で活用する。

2016-09-24 10:06:12
@quantumspin

そこでエラリーが行っているのは、かつての唯一解の導出ではなく、状況に整合する仮説のデザインである。凶器の位置が定まるまでは、クイーン警視の仮説を反証する事はできない。どちらの仮説も状況に整合しているのである。そこでエラリーは、仮説演繹的に、凶器の位置を予言し、警視の仮説を反証する

2016-09-24 10:26:04
@quantumspin

本作におけるエラリーの推理には、無数に存在する可能な解釈の中から、ひとつの仮説を選択する〝探偵の恣意性〟が恐らく内在していると思う。探偵自身が正しいと信じるシナリオを、真偽とは異なる基準で選択しているのである。それが最も顕著に現れているのが、最終盤におけるエラリーの行為だろう。

2016-09-24 11:58:56
@quantumspin

最終盤でエラリーは、死亡した被害者の姉の手紙の読解(これも言うまでもなく、ダイイング・メッセージの解釈に通じる、意図の解釈の問題である)に際し、挑戦形式の頃の探偵の役割を大きく逸脱する。ここに至りエラリーは、真理を求道する存在ではなく、帰結を予測し正しい方向に制御する立場を選ぶ。

2016-09-25 06:07:34
@quantumspin

ここに至り『ニッポン樫鳥の謎』が、真偽より帰結、認識より行為を主題としていたことが明らかにされるのである。本作は『シャム双子の謎』のような、意図の解釈の真偽を問題にし、それが宙吊りになることで挑戦不能に陥る話では全くない。探偵は意図の解釈を巧みに利用し、目的に漸近するよう行為する

2016-09-25 06:12:05
@quantumspin

本作で挑戦形式が削除された理由は、明らかに『シャム双子の謎』のそれとは異なる。本作における探偵は、意図の解釈の真偽判断不能性に迷戸惑うことはない。それが判断不能である事は、一連の試行から先刻御承知なのである。探偵はそれを踏まえ、意図の多義性を帰結の予測と制御に利用するのである。

2016-09-25 06:14:46
@quantumspin

エラリーは帰結の予測と制御を行い秩序を回復する。事実確認的な従来の役割から、自己の推理に責任を担う行為遂行的な役割に変貌するのである。本作において、意図の解釈をめぐる探偵の新たな位置を確立したクイーンは、しかしこの位置すらも、『十日間の不思議』から始まる連作において剥奪していく。

2016-09-25 09:11:27
@quantumspin

『十日間の不思議』から始まる連作はかつてtogetter.com/li/924156でも分析したが、一連の作品でクイーンは、帰結を操作する探偵の行為すらも、真犯人の目的の為の手段と化す。帰結をめぐる探偵と犯人との主導権争いは、真偽をめぐる後期クイーン的問題では語れない構図だ

2016-09-25 09:27:46
@quantumspin

『ニッポン樫鳥の謎』以降の探偵は、挑戦形式の頃の真実の求道者から、犯人と対人ゲームを行うプレイヤーとして機能していく。『シャム双子の謎』で意図の解釈の真偽判断に苦しむエラリーが、『十日間の不思議』では探偵行為の責任問題に苦しむ背後には、探偵のこうした変化に負う所が大きいように思う

2016-09-25 10:46:22