- nomisukebot
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【一つの数が何通りもの表現方法を持つことは、算数・数学の力強さの一つ】一読多くの読者にその通りと言はせたくなるコトバだが,左うか?愚生は斯様な申し方こそ算数・数学の力強さを誤って伝へ兼ねぬものと思う。 #掛算 ow.ly/Ch7e304DbJE
2016-09-28 12:37:19@nomisukebot 実際この方は続けて斯う申して居る【式に数が現われる順序を状況依存で定めるという強制】。所が,だ。式がその数学の約束事の範囲で(数学的)状況依存にあることは数学者には周知の事実。これこそ(式が数学的状況を表現する事)が【算数・数学の力強さ】の源なのである。
2016-09-28 12:37:47@nomisukebot 余談。むしろその約束事の範囲で誤読されぬよう(若しくは特定の読み方を促すよう)気を配って論文や書物を著すのである。例へば写像の合成は掛け算と同じく結合法則をみたす故括弧は不要だが,敢えて括弧を付けることがある。
2016-09-28 12:38:44@nomisukebot 閑話休題【一つの数が何通りもの表現方法を持つことは、算数・数学の力強さの一つ】ではなくして,状況依存にある量を(その状況依存も含めて)式として表し,等号で結ぶことで数学的法則を表現することこそが【算数・数学の力強さ】であって,
2016-09-28 12:39:34@nomisukebot …ことこそが【算数・数学の力強さ】であって,【一つの数が何通りもの表現方法を持つ】故に「如何表しても同じ」ナドと考えるのはハナシが逆である。
2016-09-28 12:40:07@nomisukebot 例へば毎度馴染みだが掛け算のハナシ。饅頭3個入5箱の饅頭数を3×5と表わす時饅頭5個入3箱の饅頭数は5×3であって交換法則により3×5=5×3となる。これで函入饅頭数の一般的法則が表現されている。これこそが【算数・数学の力強さ】である。
2016-09-28 12:40:49@nomisukebot コレを活動家に煽動された算数・数学のよく分かって居らぬ一般大衆の申すように「3×5=5×3故に饅頭3個入5箱の饅頭数は3×5でも5×3でも同じ」では(確かに愚生が申せば間違ではないのだが笑)先の【算数・数学の力強さ】がよくお分かりかどうかは怪しくなる。
2016-09-28 12:42:40@nomisukebot 3×5=5×3故に饅頭3個入5箱の饅頭数は3×5でも5×3でも同じ」と申すとき同じという表現が怪しいのである。読売新聞コラムの「3×5も5×3も等価」に至っては何をか言わん乎である。
2016-09-28 12:45:18@nomisukebot 補足の1。では3×5は3の5つ分を表わすかと問われれば,必ずしもそうではない。例えば外国では5の3つ分を表わすこともある。これは取り決めの問題であって【算数・数学の力強さ】とはナンノ関係も無いことである。
2016-09-28 12:46:01@nomisukebot 従って,これはハッキリ申しておくが,行き過ぎた掛算順序の問題を批判するに【算数・数学の力強さ】ナドを持ち出して批判するは間違いであり「数学という学問の権威を嵩に着た」卑怯な胡麻化しである。
2016-09-28 12:47:34@nomisukebot 左うではなくて3×5は3の5つ分を表わすという記法上の普遍的数学規則はないというだけのことである。
2016-09-28 12:48:24@nomisukebot 例へば補集合の記号もいろいろあるが,変数に上線をつけるとき,これは補集合も閉包も同時に表わすナドという阿呆は居らぬのである。考えている状況(コンテクスト)で適当に読むのだ。
2016-09-28 12:48:32@nomisukebot 3×5も考えている状況(コンテクスト)で適当に読むべきで,掛け算を導入したあと何頁かの教科書の記述では3の5つ分と読まねばならない。3の5つ分も5の3つ分も何方の意味も同時に持つでは非ぬのである。
2016-09-28 12:49:04@nomisukebot 実際(当たり前のことだが)何方の意味も同時に持つでは交換法則を表はす3×5=5×3は数学的無意味な等式に堕す。
2016-09-28 12:50:01@nomisukebot 補足の2。では足し算はどうか。3+5は3に5が加わったものか5に3を加えたものかそれとも3と5を合わせたものか。これとて区別せんとすれば区別すべきだ。併乍らこの足し算の場合は(数学では)始めからどの2つも区別せぬ慣例である。
2016-09-28 12:50:59@nomisukebot 正確に申せば,3+5は一般的に3と5を加えた数とみなす。3に5が加わっても5に3が加わっても3と5が互いに加わった数なのである。
2016-09-28 12:52:12@nomisukebot 然うして,3人居る公園に5人が遊びに来たときの子の人数は,3人と5人を合わせて3+5或は5+3とする。足し算では交換法則を自明なものとみなす数学的習慣である。
2016-09-28 12:52:43@nomisukebot 双六で3枡目から5が出て進む状況と5枡目から3が出て進む状況は区別せぬのかと問はれれば,左様なことはない。3枡目から5が出て進んだ目は3+5ではあるが,よく考えることだ。これは3に5を加えたのではなく3+1×5を簡単に表はしているのである。
2016-09-28 13:03:02@nomisukebot 従って,3枡目から5が出て進む目は3+1×5,5枡目から3が出て進む目は5+1×3。明確に式の上で区別される。
2016-09-28 13:03:57@nomisukebot ハナシを本文の主題に戻して繰り返すが,3+5が3+1×5とも1×3+5とも解されるというのは,これは【一つの数が何通りもの表現方法を持つ算数・数学の力強さ】故の3+5の多様性ではない。左様なことを申されると(チャンチャラ可笑しい)としか申しようがない。
2016-09-28 13:05:05@nomisukebot 左うではなくて3+1×5=3+5=5+3=5+1×3という(各辺の式が状況を表はす)計算で3枡目から5が出て進む目と5枡目から3が出て進む目が同じであることを数学の力で説明できるのである。
2016-09-28 13:06:21困ったものである。(論理的に破綻などせぬ。念のため)。 pic.twitter.com/5VW1u8vs5F #掛算 twitter.com/7takeuchi7/sta…
2016-09-09 22:06:32掛け算は可換なので、順番という勝手な定義を導入すると論理的に破綻するからまずい、というだけなんですが。そろそろ文科省が通達を出さないと子供たちが可哀想です。 twitter.com/chablis777/sta…
2015-11-03 03:42:47