ジェノサイドのこと。
多くの人が殺戮されないほうがいい。多くの人が豊かなほうがいい。でも、殺戮を決めて台頭に向き合う人々にはなにも言えないし、豊かさを捨てると決めた人々にもなにも言えない。
2011-02-16 10:20:04僕はジェノサイドを憎む。理由は簡単で、それがないと人権の基礎が崩れるから。人権がないというのは、オマエは人間じゃない死ねというに等しくなる。それは自分の問題として容認できない。それだけ。
2011-02-16 10:21:05@finalvent ジェノサイドにあたらない集団間の戦争も、集団内外の個人の(当人が望まない)人権侵害を招くのでは?「対等」か否かも程度問題ですし。古典的決闘への擬制はできないと思います。
2011-02-18 00:16:49@finalvent 人権を、超国家的・普遍的で個人に属する価値ととらえ、それが蹂躙される事態に憤りを覚えるのなら、ジェノサイド以外の他国での人権侵害防止を希求しても「嘘」ではないと思います
2011-02-18 10:18:43ちょっと難しい議論なんだけど、ジェノサイドは国家の本質的な問題というところがポイント。RT @sacon: @finalvent 人権を、超国家的・普遍的で個人に属する価値ととらえ、それが蹂躙される事態に憤りを覚えるのなら、ジェノサイド以外の他国での人権侵害防止を希求しても
2011-02-18 10:28:10RT 「嘘」というのは平和への希求の大義に自己正義化=自己権力化が潜むこと。バッシングの人々が喜々として言論暴力を正当化するような。@sacon: ...ジェノサイド以外の他国での人権侵害防止を希求しても「嘘」ではないと思います
2011-02-18 10:30:09@finalvent その「自己正義化=自己権力化」、「言論暴力の正当化」の危険が有り得ることは、ジェノサイドに対する憤りに関しても同様ではありませんか?国家の本質的問題というなら冤罪、とくに冤罪死も同様です。
2011-02-18 11:45:44@finalvent (国家間の)戦争も、それを望まない個人も否応なしに巻き込まれ生命すら侵害されるという意味で、国家による意図的な大規模な人権侵害であり国家の本質的問題だと思います。なお、人権は民族等の集団でなくあくまで個人に属します
2011-02-18 11:52:34@finalvent 関与の仕方、自己正当化や言論暴力の危険は、それ自体が問題なのであって、切り離した方がよいように思います。悪ぶって見せるような、逆立ちした自己正当化や言論暴力の例も多いですし
2011-02-18 11:58:56危険性では同じだろうと思います。ただ、冤罪と同じなのかはよくわからないです。RT @sacon: @finalvent その「自己正義化=自己権力化」、「言論暴力の正当化」の危険が有り得ることは、ジェノサイドに対する憤りに関しても同様ではありませんか?国家の本質的問題というなら
2011-02-18 12:09:44そこですね、ジェノサイドは区別されるのではないかと考えます。RT @sacon: @finalvent (国家間の)戦争も、それを望まない個人も否応なしに巻き込まれ生命すら侵害されるという意味で、国家による意図的な大規模な人権侵害であり国家の本質的問題だと思います。
2011-02-18 12:10:45そこは説得的ですね。RT @sacon: @finalvent 関与の仕方、自己正当化や言論暴力の危険は、それ自体が問題なのであって、切り離した方がよいように思います。悪ぶって見せるような、逆立ちした自己正当化や言論暴力の例も多いですし
2011-02-18 12:11:27@sacon 問題は、人権という文脈で、ジェノサイドの重要性が突出しているかということになるかと思います。私は突出すると考えます。国家とは民族幻想であり、その暴発だからという点が基本です。
2011-02-18 12:12:48@finalvent 広義の冤罪の中でも例えば政治犯に対する意図的・恣意的な(正当な根拠を欠く)刑罰は、人権が国家(集団内の多数派)による侵害から保障されるものであることを考えると、本質的問題だと思います
2011-02-18 15:09:19@finalvent ジェノサイドが国家による他の人権侵害と何らかの意味で区別されるべきという点に異論があるわけではなく、「国家または当人の所属集団による当人への意図的な人権侵害は、集団又は国家への帰属によってしても正当化されない」という考えです。
2011-02-18 15:15:33@finalvent 民族幻想の暴発か否かは侵害の理由・経緯にとどまり、現実に人権を侵害される側の個人にとっては、人間らしい扱いを受けないという点では変わりないと思います。民族を理由としない人権侵害ならやや許容される、ということはないのでは。
2011-02-18 15:22:50@finalvent 「ジェノサイドは、平等原則との関係で、国家による他の(生命を奪うという最大の)意図的な人権侵害に比してより不当だ」という意味でなら賛同します。個人を平等に扱うべきという、国家に課せられた義務の問題として。
2011-02-18 15:30:21@finalvent 民族幻想の暴発はそのまま暴走する危険が高いから、他国民がより積極的に介入しないと重大な人権侵害を生み続ける、という意味でもご主張は理解(賛同)できます。ただそれと、自己正当化の問題は別ではないかと。
2011-02-18 15:49:48いえ、そこの理路はそのような法学的なものではなく、国家論の問題から考えます。RT @sacon: @finalvent 民族幻想の暴発か否かは侵害の理由・経緯にとどまり、現実に人権を侵害される側の個人にとっては、人間らしい扱いを受けないという点では変わりないと思います。民族を理
2011-02-18 17:05:13いえ、そこは違います。RT @sacon: @finalvent 「ジェノサイドは、平等原則との関係で、国家による他の(生命を奪うという最大の)意図的な人権侵害に比してより不当だ」という意味でなら賛同します。個人を平等に扱うべきという、国家に課せられた義務の問題として。
2011-02-18 17:05:32@sacon "個人を平等に扱うべきという、国家に課せられた義務の問題"ですが、ジェノサイドは民族幻想で臨界されが外部との関連であるのに対して、通常の意味での人権は通常国家の市民救済の理念です。そこは、次元が異なります。
2011-02-18 17:07:02そこは文脈がねじれていると思います。RT @sacon: @finalvent 民族幻想の暴発はそのまま暴走する危険が高いから、他国民がより積極的に介入しないと重大な人権侵害を生み続ける、という意味でもご主張は理解(賛同)できます。ただそれと、自己正当化の問題は別ではないかと。
2011-02-18 17:07:52@sacon なぜ法学ではなく国家論なのかといえば、法哲学として無理だというころではなく、現実的に法の有効性の臨界問われるのがジェノサイドだからです。法は実質的には国家の内部にしか機能しません。
2011-02-18 17:09:10