「日本」の成り立ちを災害から思索する

東日本大震災の頃から地震や津波を意識することが多くなったが、それら「災害」がむしろ「日本」の成り立ちに深く関わっているのではないかと愚考するわけです。今回の鳥取の地震に触発され考えたことなどを纏めました。
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NHKニュース @nhk_news

【ライブブログ:鳥取県で震度6弱】 21日の地震で震度4の揺れを観測した鳥取県大山町にある寺では、国の重要文化財に指定されている仏像が倒れて破損しているのが見つかりました。 www3.nhk.or.jp/news/liveblog/… #nhk_news pic.twitter.com/cLIS1dd2nu

2016-10-23 09:38:48
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じねん @jinensai

(RT言及)全く不謹慎ではあるが山陰にも津波を伴うレベルの大地震が起こりうることが分かり、思索が確実に前進した。日本列島の基層を「島文化」と「洲(潟湖)文化」の言説的重ね合わせ(「洲=シマ」の無理な多重性)で思考しているが、洲最大の脅威が「津波=ヤマタノオロチ」ではないか。(続

2016-10-23 10:54:58
じねん @jinensai

承)山陰は古地形では中海・宍道湖(大洲)を始めとする潟湖の連なる海岸線で、古河内湖を扼する大阪湾岸(大日本洲)と条件的に類似している。津波・高潮被害による「高地性集落」(中国山地の麓や奈良盆地)への移動も含め、祭祀の習合に無理は生じない。銅鐸はいわば「津波警報」の象徴なのだ。(続

2016-10-23 11:11:49
じねん @jinensai

承)纒向遺跡も「集落跡」が無く「交流拠点」としての解釈が支配的だが、裏を返せば津波等で被災した山陰、東海(伊勢湾岸、浜名湖周辺)、大阪湾岸住民の一時的避難場所として急速に膨れ上がり、そこで混交した「文化」を携えた人々が故郷へ還ることで「日本」は一体化して行ったのではないか。(続

2016-10-23 11:25:24
じねん @jinensai

承)一方で日本海・東シナ海・瀬戸内海の島嶼を舟で移動し交流圏を形成していた文化圏がある。中国史書に連綿とその記載が続く海洋国家群「倭/倭人」である。「米(穀類)」を「洲」諸国との交易で賄う国情は「豊葦原瑞穂国」と相反するが「洲」を「シマ」と訓む言霊と「米」が習合を可能とした。(続

2016-10-23 11:36:33
じねん @jinensai

承)島嶼も当然ながら津波には無力であるが潟湖が受けるダメージはより深刻である。舟で被災地域を救援に赴くことで、感謝と尊崇の念は自然に醸成されたことだろう。「倭」を盟主とする連合はほぼ安定的に推移し続けるが、その「倭」が「白村江」の大敗で壊滅・罹災することで立場は逆転する。(続

2016-10-23 11:44:15
じねん @jinensai

承)敗戦した「倭」の受け容れで「日本(豊葦原瑞穂国)」も「倭」の官僚により整備され祭祀も習合される。「銅鐸」神話を生かしつつ「銅矛」で上書きしたものが「国生み」であろう。聖地「オノゴロ島」は矛から滴る塩にすり替えられる。「オオヤシマ」も「島(倭)」と「洲(日本)」の合従なのだ。

2016-10-23 12:01:06
じねん @jinensai

「日本」は「言霊」による重ね合わせ、「米」のやり取り、そして災害・戦争による否応の無い困窮体験の共有と「もちつもたれつ」の相互扶助によって徐々に「一体感」を形成してきたわけで、「災害/厄災」でバラバラだった人々・国々が纏まってきたのである。「纏」向とは良く言ったものである。

2016-10-23 12:11:47