茂木健一郎(@kenichiromogi)さんの連続ツイート第1926回「筆跡が残る絵について」
脳科学者・茂木健一郎さんの10月24日の連続ツイート。
本日は、感想です。
- toshi3636_1
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茂木健一郎
@kenichiromogi
ぼくは、ピカソの絵が好きで、特に、だーっと描いた、余白だらけっぽいのが好きだ。以前、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で猫とオマール海老の絵を見てすげえなあ、と思ってしまった。だーっと描いたのに、絵になっているのだ。
2016-10-24 06:31:46
茂木健一郎
@kenichiromogi
ブリジストン美術館にある、画家とモデルを描いたピカソの絵も好きで、自由奔放にだーっと描いていて、しかもその筆がぜんぶ生きている。そういう絵を見ると、ほれぼれしてしまう。ああ、いいなあと思う。
2016-10-24 06:32:36
茂木健一郎
@kenichiromogi
モネの絵などでも、筆の跡がわははとわかるやつがある。日傘をさした婦人の絵など、髪の毛がだーっと空との境目でテキトーに筆が走っているのがわかって、それが、離れてみるとちゃんと精緻な印象になっているところが、すごいなあと思う。
2016-10-24 06:33:45
茂木健一郎
@kenichiromogi
静謐をきわめているような印象のあるフェルメールだって、真珠の耳飾りの少女など、実物をよく見ると筆跡があきらかにだっ、だっ、だっ、とわかることがある。案外粗いのに、全体として精緻な印象を与えているところが、フェルメールの凄いところだと思う。
2016-10-24 06:34:54
茂木健一郎
@kenichiromogi
ここまでこう書いてきて、何が言いたいかというと、筆跡がわかっちゃうような描き方は古典的に見ればアウトなのかもしれないが、実に魅力的だなあ、ということで、つまりはそこには、画家の生命の躍動があり、一回性があるからかなあ、と思うのである。
2016-10-24 06:35:56
茂木健一郎
@kenichiromogi
逆に、筆跡を消してしまうくらい精緻に塗り重ねたものは、その画家という人が隠れて、あたかも自然の事物のようになっている。そのような匿名性も好きだけれども、筆跡が残っている絵も、好きだ。その筆跡が凄いということが、画家の個性と才能の証明のような気がしてしまう。バスキアもそうだね。
2016-10-24 06:37:15