@naagitaさんによる薮内聡子『古代中世スリランカの王権と佛教』要訳まとめ

佐藤哲朗(@naagita)さんによる、『古代中世スリランカの王権と佛教』山喜房佛書林 関連の連続ツイートをまとめました。
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佐藤哲朗(nāgita) @naagita

薮内聡子『古代中世スリランカの王権と佛敎』山喜房佛書林、読んでる。仏歯寺にある歯舎利はアバヤギリ派が管理してた。聖大菩提樹に水やるのはサンガミッター尼の故事に因んで比丘尼の仕事だった。歯舎利への供養はアヌラーダプラ時代は花と灯明と香だった(いまは大量にご飯あげてる)等々面白い。

2011-02-21 00:05:44
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

スリランカの比丘尼サンガ記録は10世紀が最後。ミャンマーも12,3世紀頃の碑文が最後の痕跡。5世紀に中国で比丘尼サンガを興したのはスリランカから渡来したテーサラーら11人の比丘尼チベット聖典の翻訳に寄与したスリランカ比丘尼もいたのか。(チャンドラマーリー尼。11世紀前半頃)

2011-02-21 00:32:57
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

結局、上座部系の比丘尼サンガは滅びちゃったんだけど、東アジア含む世界仏教への貢献度では男僧にぜんぜん負けてないような……。

2011-02-21 00:33:50
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

政情不安だったポロンナルワ時代のスリランカ仏教事情:「(比丘は)腹を満たすことをつとめとし、行(paṭipatti)をすることもなく、同一の作法その他いかなる正しい戒律をも省き、互いに会うことを望まず、妻子のいる比丘さえ存在したいまの日本と同じようなものだった。

2011-02-21 00:39:13
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

スリランカ仏教は、マハーヴィハーラ派アバヤギリ派ジェータワナ派の三派あって、マハーヴィハーラ以外はわりと大乗仏教の影響もうけていた(反大乗という意味ではマハーヴィハーラもかなり「影響」は受けていた)。シンハラ王朝が強力だったアヌラダプラ時代は、王朝の庇護をめぐって刃傷沙汰も。

2011-02-21 00:43:59
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

12世紀にパラッカマバーフ王によってサンガの浄化(統合)がなされた頃には、三派の対立関係はそれほどなかった。とりあえずアバヤギリとジェータワナの比丘が、マハーヴィハーラで再出家する形で統合された。それでも、三派の和合は、王にとって祖国統一より大変だったとw

2011-02-21 00:46:41
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

「サンガが五千年の間清浄であるよう、乳と水の如く和合させた」パラッカマバーフ王は、全サンガが遵守すべき教団規則を細かく定めた。注釈書の整備を通じて上座部(正確には大寺派)教義が確立したのは5~6世紀教団組織としてのテーラワーダ仏教は12世紀に確立。時間かけてムキムキになった。

2011-02-21 00:50:31
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

テーラワーダにおいても、仏教教団(サンガ)は「出家と在家の合作」で守られ、リストラされ、再構築されていった、とゆーことなのだ。だから、在家もちゃんと仏教を勉強しておかないと、あと、社会秩序しっかりさせとかないと、在家に依存する比丘サンガ組織はすぐヤサグレちゃうので、大変なのだ。

2011-02-21 00:53:25
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

こういう話は、プライド高いお坊さんはあまりしたがらないので、在家の僕が言っておく。これも役割分担とゆーことで勘弁して下さい。

2011-02-21 00:54:37
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

さっきのサンガ統合した王様はパラッカマバーフ一世ね。王権によるサンガ浄化の問題点は、知らず知らず世俗の価値観が教団運営に持ち込まれてしまうことだろう。13C前半に改定された教団規則では、出家許可に際して「低いカーストに属していないこと」など律蔵ではあり得ない制限が課される。

2011-02-21 01:04:22
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

テーラワーダのよいところは、テキストのレイヤーがある程度はっきりしていることだね。これはホントに美徳だと思う。

2011-02-21 01:12:49
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

三蔵のなかでは論(アビダンマ)がもっとも崇高とされ、比丘に与えられるお布施も、論蔵の師がいちばん高かった。(律蔵5vasag <経蔵7<論蔵12)そりゃぁ、みんな一生懸命、アビダンマ勉強するわなw

2011-02-21 01:30:17
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

パーリ三蔵の注釈書は主に五世紀、ブッダゴーサの手で編纂されたが、パラッカマバーフ一世による三派のサンガ統合ののちに、教義解釈の統一と体系化をはかる目的で複注釈書が編纂された。ムキムキ完成である。

2011-02-21 01:34:03
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

インド大陸からの侵略に断続的にさらされたスリランカでは、長らく「聖典の伝承が最優先」とゆー考えが支配的だった。瞑想よりもとにかく聖典を注釈書とともに憶えまくる。行か学かの論争では、「学が守られていてこそ行はなりたつ、学がなければ(聖典が散逸したら)証悟はありえない」と学の勝利。

2011-02-21 01:37:25
佐藤剛裕 @goyou

学問が大切か、実践が大切かということを論争したら、学問のほうが勝つのが当たり前じゃないかな。論争っていうのは、学問の範疇だからね。

2011-02-21 01:45:15
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

瞑想修習セクションに回るのはどちらかと言えば落ちこぼれや老齢での出家者……という時代も長かった。聖典が書写されて確実に保存されるようになると、冥想セクションもわりと整備されるようになった。この辺の変遷も興味深いところだね。

2011-02-21 01:41:51
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

ポロンナルワ時代の王朝が、比丘にも世俗的学問を推奨し、仏教寺院を在家者の教育のセンターとして活用したらしい、という指摘がされているが、具体的なことはよくわかんないようだね。

2011-02-21 01:54:15
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

紀元前2世紀にダミラ人(後のタミル人)から首都アヌラーダプラから奪還してシーハラ人(後のシンハラ人)王朝を盛り立てたドゥッタガーマニー王。しかし敵側のエーラーラ王は仏教徒ではなかったものの裁判は公平で仏教にも好意的だった。

2011-02-21 02:05:16
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

「オレは王位のためじゃなく仏法のために戦うんじゃ!」と槍の先にお守りとして仏舎利を仕込んでレコンキスタしかけたドゥッタガーマニーの方が狂ってる気がする。史書をまとめたのは、シンハラ王朝の取り巻きの坊さん。それでもエーラーラ王の徳を認めたのだから、ホントに人格者だったのかも。

2011-02-21 02:07:37
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

エーラーラ陣営もドゥッタガーマニー陣営も「民族」は入り乱れていた。群雄割拠を勝ち進んだドゥッタガーマニーが分かりやすく「仏法護持の戦い」を後付けしただけ。この対決をタミルVSシンハラの民族対立と読むは文献的に見ても明らかに、近代ナショナリズム脳の誤読であると。僕もそう思う。

2011-02-21 02:12:10
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

スリランカを断続的に支配したダミラ人の諸王はインドの神様信仰が多かったが、だいたいスリランカの仏教も保護してお布施もしていた。碑文資料で明らかに。でも仏教僧侶が書いた歴史書ではその辺は無視してる。歴史書に、「常に異教を奉ずる外国人」として描かれるダミラ人像は明らかな捏造。

2011-02-21 02:15:39
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

ドゥッタガーマニーを英雄視する大島史mahāvaṃsaは、ダミラ人の侵攻の驚異が鮮明だった時期(5世紀末から6世紀初頭)にマハーナーマ長老によって書かれた。日本で言ったら、神皇正統記みたいなもんかもな。

2011-02-21 02:19:19
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

スリランカ中世の動乱は、王室が政略結婚で南インドの諸勢力と複雑に絡み合うことでカオスに。政情不安がきわまり、仏教にとってはかなりの暗黒時代。

2011-02-21 02:28:57
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

13世紀初頭、南インドから襲来したマーガの軍勢によってスリランカは全島を蹂躙される。国の資産は奪われ、仏教寺院も徹底的に破壊されたと。けっこう難儀な歴史をたどってきたんだなぁ。

2011-02-21 02:38:02
佐藤哲朗(nāgita) @naagita

でも「マーガは四姓の分離を汚した」ってのは、具体的にはどういうことなんだろうか?秩序破壊者にはられる非難のレッテルなんだろうか。

2011-02-21 02:42:07