『テヅカ・イズ・デッド』を批判的に乗り越えるために

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uroak_miku @Uroak_Miku

1)『テヅカ・イズ・デッド』(伊藤剛、2005年)といえばキャラ/キャラクター論で有名になった本ですが、私が(批判的に)着目すべきと考えるのはむしろここです。 pic.twitter.com/ZjReFFsDoW

2016-11-12 12:12:12
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2)とりわけここ。文も図解も抽象的で分かりにくいので、以下私なりにかみ砕いて説明します。 pic.twitter.com/qQFQNwMOPX

2016-11-12 12:14:52
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3)まんが『SLAMDUNK』から。丸刈りでもぎ取ったインタハイ出場権。花道くんはさらなる特訓に挑む。このページをいつだったか父親に見せたところ「どう読むんだ?」と聞き返された。「この丸刈りの大男の子が主人公で、バスケットの球入れの練習をするところ」と説明したら pic.twitter.com/g0ezQ2lgya

2016-11-12 12:20:00
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4)「なんだこの丸刈りの奴、同じ奴なのか?」とまた聞き返された。私は驚いた。見ればわかるじゃないの、と。ところが父はまんがを読まずに育った世代なので、コマ①③④に描かれた青年が同一人物だとわからない。

2016-11-12 12:22:03
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5)丸刈り頭、手にバスケ球、黒の運動シャツが目印となって、①③④に描かれた人物が同じひとだとわかるはずなのに、父はそれさえてこずったのです。

2016-11-12 12:23:45
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6)先にお見せしたフランスの劇画。セリフがフランス語なので何を言っているのかわからないのも理由のひとつですが、読みにくい。コマ①と③に描かれているのが同じ逃走グループだと一目ではわからない。コマごとの絵としての完成度は高いけれど、同一人物だとわかる記号があまり強く出ていない。 pic.twitter.com/0WyeP5b00Y

2016-11-12 12:30:04
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7)ちょうど私の父が『SLAMDUNK』をいきなり見せられて、各コマに描かれた人物が同じひと(ひとりは花道くんではなくその師匠ですが)だと認識するのにてこずったのと同じです。フランス劇画に慣れていない私たちには同一人物だと認識するのに時間がかかる。 pic.twitter.com/WEpm6lmEaS

2016-11-12 12:34:10
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8)伊藤がこの図で述べているのは、私の父のようにまんが音痴は各コマの描かれた人物絵を同一人物だと瞬時に認識することができない、ということです。瞬時にそう認識できるのはまんがに慣れているからだ、と。 pic.twitter.com/3u86e292fg

2016-11-12 12:37:20
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9)コマ②③④に描かれている人物は同じひとだと認識できないと、縦長の絵が横に三つ並んでいるだけに思えてしまう。しかし同一人物だと認識できれば、②③④はばらばらの絵ではなく②→③→④と時間が経過しているのだと認識します。 pic.twitter.com/A18OzYcbht

2016-11-12 12:41:16
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10)②③④はいうまでもなく全然別の絵の連なりです。私の父の目には、極端な比喩ですがこんな風に映っていたと思います。 pic.twitter.com/5QJFBt12ad

2016-11-12 12:50:19
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11)しかし、同一人物だと認識できれば、ああこれは青年がバスケ球を投げ入れる動作をコマ送り風に描いているんだなとわかるわけです。 pic.twitter.com/gizMHUpg6J

2016-11-12 12:51:53
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12)伊藤が「『存在感』の成立」と呼んでいる現象がこれです。「桜木花道」という、架空であるはずの人物が、まるで本当にいて動き回っているかのように感じられる。 pic.twitter.com/rhoBIEaVT2

2016-11-12 12:54:48
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13)ただ伊藤はここで大きなエラーを犯している。「時間的連続性」がまずあって、そこから「キャラ」が自律すると論じていますが、正しくは「キャラ」があって「時間的連続性」が発生するというべきです。

2016-11-12 12:56:36
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14)詳しくは以下をどうぞ。 「キャラクター」は「時間」を生む - Togetterまとめ togetter.com/li/1047456 @togetter_jpさんから

2016-11-12 12:58:39
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15)伊藤のあの有名なキャラ/キャラクター論についてもその欠陥性を論じるつもりですが続きは後日。もう過去に何度か繰り返した話ですが、その応用編を語りたい。

2016-11-12 13:00:42

続きです。

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1)伊藤はここで「キャラ」ではなく「プロトキャラクター」と呼んでいます。 pic.twitter.com/lznA5eNaVu

2016-11-13 00:32:10
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2)コマ①②③④にはげの男性が描かれています。これが同一人物だと認識した瞬間に①②③④はばらばらの絵でなくなって①→②→③→④に時が流れているのだと感じられる。 pic.twitter.com/OuD04GHhhz

2016-11-13 00:34:21
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もっとも日本の四コマまんがは縦に並ぶので、読む側は上から下に重力を感じる。そのおかげでコマとコマが連続体として瞬間的に認識されやすい。まんが音痴でも読めてしまう。

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3)ばらばらの絵に描かれた人物を、あえて同一人物と認識する、つまり連続体としてとらえるとき、その人物は架空の存在でありながら疑似的に実在として眺められる。この疑似的実在を伊藤は「プロトキャラクター」と呼んでいます。「キャラクターになる手前の存在」というところでしょうか。

2016-11-13 00:36:42
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4)「プロトキャラクター」というからには「キャラクター」もあるわけです。トムとジェリーのアニメでトムが散弾銃で体をハチの巣にされても平気で歩いている(ひしゃくで水を飲んだら胴体から水が流れ出るギャグに続く)とき、トムはまだ「プロトキャラクター」ですが(続く)

2016-11-13 00:38:39
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5)仮にトムが物語の進行中に本当に死んでしまう場合、トムはもはや「プロトキャラクター」ではなく「キャラクター」となります。

2016-11-13 00:40:17
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6)実はこの考え方は正しくありません。私は可逆/不可逆の違いと解するべきだと考えていますが、今は伊藤の考えにそって説明しています。

2016-11-13 00:41:23
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7)さて伊藤はこのページで「プロトキャラクターは1920年代に萌芽がみられる」と述べていますが、正しくありません。前にも述べたように1890年代にもうアメリカン・コミックストリップの世界で芽生えているからです。 pic.twitter.com/scsNN6yb0A

2016-11-13 00:43:52
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8)彼のもうひとつのエラーは、これも先に指摘したのですが、彼の「時間の経過を保証するためのアイテムとして『プロトキャラクター』が生じた」説は因果関係がおかしい。むしろ「『プロトキャラクター』が発見されたことでまんが内に時間の経過が成り立った」と考えたい。 pic.twitter.com/W0oDdzDkmH

2016-11-13 00:46:49
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