日本における麻の始まり
日本における、最初の天然繊維の利用は植物の樹皮繊維束などではないかと考えられている。これは植物の皮などを蒸して水に浸した後、得られたものではないか、とも言われているが定かではない
2011-02-23 21:03:47最も具体的な形で有史以前に現れる繊維製品は麻である。麻として日本で利用可能なのは、主に日本原生の苧麻と外来の大麻である。鳥浜貝塚より出土された大麻製の細縄は縄文草創期の物であるとされ、これは日本のみならず、大麻製品としては世界最古のものであると考えられる
2011-02-23 21:05:47このように縄文時代にはすでに我が国に大麻は渡来しており、繊維材料として本格的に使用されてきた。これは日本各地の遺跡から大麻製品が出土している事からも明らかである
2011-02-23 21:07:45といっても縄文時代には布を織る技術は日本にはほとんどなく、麻は主に縄や紐として使われていたり、一種のセーターのような質感を持った編み物として袋、腰衣、腰蓑などに使用されていたとされる
2011-02-23 21:09:33なお、、縄文後期~晩期になると「編む」という行為から、「織る」という行為への過度期であると思しき、もじり編みの製品が出土しているが、その系統は渡来してきた本格的な織機の前に途絶えた、と考えられている
2011-02-23 21:11:06はてさて、その後の弥生時代に養蚕の歴史が始まったのは前の通りであるが、動物繊維である絹は大量生産には向かず、繊維材料の主力は麻であったろう。実際、絹の織り物はこの時代には稀にしか出土していない
2011-02-23 21:13:57またこの頃になると、出土品だけでなく書物も古代の繊維を知る重要な要素となる。「魏志倭人伝」などは非常に有力な文献であり、そこで書かれた倭人の衣類としては、弥生時代の出土品の大半がが大麻布である事から、大麻であったと考えられる
2011-02-23 21:16:31ただ、魏志倭人伝には「禾稲苧麻を植えている」という様な記述しかなく、なぜ大麻の話に触れられていないのかは、著者のミスであるのか、苧と麻がそれぞれ苧麻と大麻の事を指していたのかはいまだ議論の種である
2011-02-23 21:18:07その後古墳時代に入り、絹はその美しさから有力者階級に愛され、古墳より大量に出土する。対して麻は庶民の服装として、両者とも引き続き広く使用されている
2011-02-23 21:21:24しかし、この頃には麻製品の中で苧麻が占める割合が多くなり始める。これは大麻と比べて長い糸が製造でき、品質が良くむらも少ない良い製品を生み出せるためであると考えられ、後の奈良時代になると苧麻製品の割合が非常に高くなることからも、この時代に比率が逆転したのであろう
2011-02-23 21:24:19@die3035 >最初の天然繊維の利用は植物の樹皮繊維束などではないかと考えられている :木綿(ゆう)から作られたタヘが古代では随分使われたようですね。万葉にも頻出しますし。
2011-02-23 21:26:06@abysmalhypogeum ええ。それがこの国での最も初めの繊維では、と言われています。魏志倭人伝にある「木緜」は、カジノキやコウゾなどから採取された繊維である、と現在では考えられています
2011-02-23 21:30:57ここで少し「古事記」についてみてみると、もちろんだが絹製品や麻製品と思しき物も大量に出てくる。その中で一つ興味深いのは、天之日矛が夫婦喧嘩をかました後に日本にやってくる際、八種の神具を持参したとされているが、その中に浪振比礼・浪切比礼・風振比礼・風切比礼というものがある
2011-02-23 21:31:51これらは海上の波風を起こしたり鎮めたりする布とされ、これは布にある種の呪術性があると考えられていたといえよう。このように、古代人と現代人の「布」に関する考え方の違いもまた面白いものである
2011-02-23 21:33:34この後奈良時代に入ると、もう二つの有力な天然繊維である木綿と羊毛が、天皇への献上品として少しだけ歴史に顔を出す。しかし、木綿は室町時代ににようやく本格的な栽培が始まり、羊毛に至っては明治まで待たねばならぬほど遠い話である
2011-02-23 21:38:20では、木綿の話を少々。菅原道真が編纂した「類聚国史」によると、延歴一八年(779年)に崑崙人が三河国に漂着し、そこで木綿の種が日本にもたらされる。その後の延歴一九年には紀伊、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、大宰府にて栽培が始まった
2011-02-23 21:41:03縄文土器は文字通り、縄で紋様をつけたものが多く、その縄の材料も麻の場合が多かっただろう。一方で記紀神話から縄として使われていたはず葛の利用について考古学的には古墳時代まで。となるとその頃始まったのかどうか
2011-02-23 21:41:23しかし、南方の植物である木綿はどうも栽培には適さなかったらしく、817年あたりの収穫の記録を目処に減少、消滅し、年月がずいぶん流れた室町時代、中国や朝鮮からようやく気候に適した木綿が渡来する事で、再び歴史に姿を現す
2011-02-23 21:44:37その後、木綿は品質や生産のしやすさから、特に戦衣として戦国時代に爆発的に普及し、それに伴う生産ラインの発達、分業化によって、日本の繊維技術に大きな功績を遺したのだが、これはまた後にしっかりと語りましょうかね
2011-02-23 21:46:56