日本における麻の始まり

これ http://togetter.com/li/100144 の続きになります この話の続編 http://togetter.com/li/109720
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Die @die3035

さて、少々これからTLに妙なものが流れますがご容赦を

2011-02-23 21:01:21
Die @die3035

前回、養蚕に関することを話した以上、それ以外の天然繊維について触れんわけにもいかんべ、という事で今回は絹以外の繊維についてのお話をば

2011-02-23 21:02:00
Die @die3035

日本における、最初の天然繊維の利用は植物の樹皮繊維束などではないかと考えられている。これは植物の皮などを蒸して水に浸した後、得られたものではないか、とも言われているが定かではない

2011-02-23 21:03:47
Die @die3035

最も具体的な形で有史以前に現れる繊維製品は麻である。麻として日本で利用可能なのは、主に日本原生の苧麻と外来の大麻である。鳥浜貝塚より出土された大麻製の細縄は縄文草創期の物であるとされ、これは日本のみならず、大麻製品としては世界最古のものであると考えられる

2011-02-23 21:05:47
Die @die3035

このように縄文時代にはすでに我が国に大麻は渡来しており、繊維材料として本格的に使用されてきた。これは日本各地の遺跡から大麻製品が出土している事からも明らかである

2011-02-23 21:07:45
Die @die3035

といっても縄文時代には布を織る技術は日本にはほとんどなく、麻は主に縄や紐として使われていたり、一種のセーターのような質感を持った編み物として袋、腰衣、腰蓑などに使用されていたとされる

2011-02-23 21:09:33
Die @die3035

なお、、縄文後期~晩期になると「編む」という行為から、「織る」という行為への過度期であると思しき、もじり編みの製品が出土しているが、その系統は渡来してきた本格的な織機の前に途絶えた、と考えられている

2011-02-23 21:11:06
Die @die3035

はてさて、その後の弥生時代に養蚕の歴史が始まったのは前の通りであるが、動物繊維である絹は大量生産には向かず、繊維材料の主力は麻であったろう。実際、絹の織り物はこの時代には稀にしか出土していない

2011-02-23 21:13:57
Die @die3035

またこの頃になると、出土品だけでなく書物も古代の繊維を知る重要な要素となる。「魏志倭人伝」などは非常に有力な文献であり、そこで書かれた倭人の衣類としては、弥生時代の出土品の大半がが大麻布である事から、大麻であったと考えられる

2011-02-23 21:16:31
Die @die3035

ただ、魏志倭人伝には「禾稲苧麻を植えている」という様な記述しかなく、なぜ大麻の話に触れられていないのかは、著者のミスであるのか、苧と麻がそれぞれ苧麻と大麻の事を指していたのかはいまだ議論の種である

2011-02-23 21:18:07
Die @die3035

その後古墳時代に入り、絹はその美しさから有力者階級に愛され、古墳より大量に出土する。対して麻は庶民の服装として、両者とも引き続き広く使用されている

2011-02-23 21:21:24
Die @die3035

しかし、この頃には麻製品の中で苧麻が占める割合が多くなり始める。これは大麻と比べて長い糸が製造でき、品質が良くむらも少ない良い製品を生み出せるためであると考えられ、後の奈良時代になると苧麻製品の割合が非常に高くなることからも、この時代に比率が逆転したのであろう

2011-02-23 21:24:19
五蟻(いつあり) @abysmalhypogeum

@die3035 >最初の天然繊維の利用は植物の樹皮繊維束などではないかと考えられている :木綿(ゆう)から作られたタヘが古代では随分使われたようですね。万葉にも頻出しますし。

2011-02-23 21:26:06
Die @die3035

@abysmalhypogeum ええ。それがこの国での最も初めの繊維では、と言われています。魏志倭人伝にある「木緜」は、カジノキやコウゾなどから採取された繊維である、と現在では考えられています

2011-02-23 21:30:57
Die @die3035

ここで少し「古事記」についてみてみると、もちろんだが絹製品や麻製品と思しき物も大量に出てくる。その中で一つ興味深いのは、天之日矛が夫婦喧嘩をかました後に日本にやってくる際、八種の神具を持参したとされているが、その中に浪振比礼・浪切比礼・風振比礼・風切比礼というものがある

2011-02-23 21:31:51
Die @die3035

これらは海上の波風を起こしたり鎮めたりする布とされ、これは布にある種の呪術性があると考えられていたといえよう。このように、古代人と現代人の「布」に関する考え方の違いもまた面白いものである

2011-02-23 21:33:34
有我悟(あるがさとる) @Arugha_Satoru

@die3035 幻想郷の少女達の服がフリルフリフリな理由の呪術的根拠がこんな所に……!

2011-02-23 21:35:43
Die @die3035

@Arugha_Satoru ぬぅ、古事記に見る神代の衣服がこんな命脈を保っているとは…

2011-02-23 21:37:48
Die @die3035

この後奈良時代に入ると、もう二つの有力な天然繊維である木綿と羊毛が、天皇への献上品として少しだけ歴史に顔を出す。しかし、木綿は室町時代ににようやく本格的な栽培が始まり、羊毛に至っては明治まで待たねばならぬほど遠い話である

2011-02-23 21:38:20
Die @die3035

では、木綿の話を少々。菅原道真が編纂した「類聚国史」によると、延歴一八年(779年)に崑崙人が三河国に漂着し、そこで木綿の種が日本にもたらされる。その後の延歴一九年には紀伊、淡路、阿波、讃岐、伊予、土佐、大宰府にて栽培が始まった

2011-02-23 21:41:03
五蟻(いつあり) @abysmalhypogeum

縄文土器は文字通り、縄で紋様をつけたものが多く、その縄の材料も麻の場合が多かっただろう。一方で記紀神話から縄として使われていたはず葛の利用について考古学的には古墳時代まで。となるとその頃始まったのかどうか

2011-02-23 21:41:23
Die @die3035

しかし、南方の植物である木綿はどうも栽培には適さなかったらしく、817年あたりの収穫の記録を目処に減少、消滅し、年月がずいぶん流れた室町時代、中国や朝鮮からようやく気候に適した木綿が渡来する事で、再び歴史に姿を現す

2011-02-23 21:44:37
つきのみち @taki_tkz

@die3035 木綿が最初に渡来したのは三河国だったんですか… 三河人なのに全然知りませんでした。

2011-02-23 21:46:36
Die @die3035

その後、木綿は品質や生産のしやすさから、特に戦衣として戦国時代に爆発的に普及し、それに伴う生産ラインの発達、分業化によって、日本の繊維技術に大きな功績を遺したのだが、これはまた後にしっかりと語りましょうかね

2011-02-23 21:46:56
五蟻(いつあり) @abysmalhypogeum

@die3035 カジノキといえば諏訪の紋ですね。諏訪でももともと梶の利用が盛んだったのかもしれません。

2011-02-23 21:48:47