映画「この世界の片隅に」の細かすぎるこだわり
ほんとうにあったんだよ、あの町並は。画面に描いたものだけがすべてじゃなくて、映画の中では曲がらない街角の向こうにも世界が広がってるんだ。
2016-10-29 09:14:44日々のくらしも戦時もフェミニズムも軍艦や飛行機も全部内包して同居させる。なぜなら「世界」とはそうしたものだからだ。そんな世界の片隅でひっそり生きるすずさん。いとおしくてたまらない。
2016-11-11 04:27:13「この世界の片隅に」応援。片渕監督に情報を提供された中島関係の方のおうちは、散髪屋さん、旅館、写真館、お寺、洋品店、化粧品店、かもじ屋、歯科、履物屋、海産物屋、布団屋、時計店、味噌屋、金物屋さんなどでした。
2016-11-15 22:41:18江波の大岡貴美枝さん(94歳)の証言を本にまとめました。「証言 江波に生きる 大岡貴美枝さんの語る暮らし・戦争・原爆」。自費出版です。 pic.twitter.com/sBn2OxoPsI
2016-10-17 19:16:01「この世界の片隅に」舞台の一つ・・・『江波に生きる』刊行! (中国新聞10月20日・広島都市圏版) pic.twitter.com/oKO2IdmEBG
2016-10-20 11:58:23「この世界の片隅に」応援。毎日新聞で玉木研二さんが映画「この世界の片隅に」と「証言 江波に生きる」を取り上げてくださいました。「なんでも使うて暮らし続けにゃならんのです」は象徴的な言葉だ。声高に時代を非難するわけではない。ひたむきに家族と生活を守ることが無言の告発になっている。 pic.twitter.com/2CzUqhoGWR
2016-11-15 20:31:38江波の大岡貴美枝さんのご自宅で。新聞記者から、映画「この世界の片隅に」との関わりを聞かれる大岡さん。片渕監督に江波の海のきれいだったことを伝えたこと、カブトガニの話をしたことなどを話された。 pic.twitter.com/A993C0yzYa
2016-10-24 20:11:07江波の大岡貴美枝さんのご自宅で。活きたアサリを剥くのに使った貝剥きの道具。右は大岡さんのお母さんの使われたもの。ちびて短くなっている。左は戦後江波に帰ってきた大岡さんが使ったもの。映画「この世界の片隅に」の江波の海はアサリがいっぱいいた。 pic.twitter.com/MaBSeagkDs
2016-10-24 20:14:24江波二本松集会所の前。映画「この世界の片隅に」のポスターの前に立つ大岡貴美枝さん。新聞社の取材を受けて。「映画はぜひ見たいです。主人と一緒に見に行きます」 広島国際映画祭をご紹介しました。 pic.twitter.com/OfIeQ1jDqa
2016-10-24 20:08:07ヒロシマ・フィールドワークには2013年、2014年の2回、映画「この世界の片隅に」の片渕須直監督が参加してくださいました。その時の監督のお話を収録した証言集「証言 記憶の中に生きる町」を紹介した新聞記事です。 pic.twitter.com/S6R7tg6z20
2016-10-24 21:03:16「証言 江波に生きる 大岡貴美枝さんの語る暮らし・戦争・原爆」は映画「この世界の片隅に」との出会いの中から生まれた小さな本です。大岡さんはすずさんの4歳上。おうちもきっとご近所だったはず。 pic.twitter.com/TNKcTYBarE
2016-10-17 20:21:28大岡さんのお話。これがアサリを捕りに行くときの姉の姿です。日本手ぬぐいをして、その上に麦わら帽子をかぶってました。牡蠣があったりするから、踏んでけがをしないように地下足袋を履いてました。今ラーメン屋の陽気のある所です。 pic.twitter.com/YVwTY32qP6
2016-10-16 20:04:31大岡さんのお話。昭和25年に,NHKがね。テレビジョンの巡回公開で日本全国を回った時に、ファッション(ショー)があったんです。私は1メートル60何センチもあるから背が高いでしょ。それで引っぱり出されたんです。戦前戦後の苦しかった時代のこれが一番の想い出の写真なんです。 pic.twitter.com/m53W4749CN
2016-10-16 20:59:58映画「この世界の片隅に」ですずさんがこの前を走る「松下商店」。今も建物は当時のまま。右に折れたところにお好み焼き屋「わいわい」がある。 pic.twitter.com/gbEnZUxPo0
2016-10-17 19:09:52映画「この世界の片隅に」で、すずさんもこの店の前を通りました。中島本通りにあった化粧品のお店です。 pic.twitter.com/XsqrTM6PKE
2016-10-17 20:59:49戦前の中島本町にあったカフェ「想い出」で飼われていたエスという犬です。撮影者は、片渕須直監督に大正屋呉服店の真鍮の手すりについてなどの情報を提供された方。1942年頃の写真だそうです。 pic.twitter.com/WoyBllEHrK
2016-10-17 22:26:50映画「この世界の片隅に」で、この薬局が遠くに映ります。ヒロシマ・フィールドワークで、亡くなった上田昭典さんが「ローヤル薬局!」と叫んだ声が、今もありありと耳に残っています。中島本通りにあった薬局です。 pic.twitter.com/pZm9r6dIQc
2016-10-18 21:27:24中島本町に住んでおられた方たちが、映画「この世界の片隅に」のために、かつての町並みについて、片渕須直監督に説明しておられる場面です。何度も何度もこのようなことが繰り返されました。 pic.twitter.com/n0UK6qX6vI
2016-10-19 20:24:06今朝の「おはよう日本」で映った、濵井德三さんのご家族の写真です。濵井さんは映画「この世界の片隅に」にのために、たいへん協力なさった方です。明日は試写会に、のんさんを見に行くとおっしゃっていました。 pic.twitter.com/u3VYhogGZR
2016-10-19 20:35:24濵井理髪間の前で。お母さんと濵井德三さん。「母はハワイで生まれて小学校の六年まではハワイで暮らしていたから、英語はぺらぺらでしたよ。それでアルバムの中の写真にも西暦で年号が入っとるでしょう。」(「証言 記憶の中に生きる町」より) pic.twitter.com/O6Ri97LnXM
2016-10-19 20:56:17濵井德三さんとお兄さん。「兄貴はくそまじめだったんですよ。ほいじゃが、兄はぼくとよくかわいがってくれてね。自転車で二人乗りして、ぼくを後ろに乗せてくれてから、吉島まで飛行機が飛ぶのを見せに連れて行ってくれた」後ろは産業奨励館。 pic.twitter.com/5blQIwZDF1
2016-10-19 21:00:25濵井德三さんのお姉さん。陸海軍病院慰問舞踊「江戸っ子部隊」。「姉ちゃんとはあまり遊んだことがないですからね。無視されとったんですよ、私が悪がきじゃから。」「証言 記憶の中に生きる町 中島本町・材木町・天神町・猿楽町」より pic.twitter.com/yRkIVGxVtS
2016-10-19 21:10:18平和記念公園の慰霊碑参拝のあと、発掘調査の様子を特別に見学させていただきました。この場所からは炭化したしゃもじなど当時の日用品も見つかっています。賑わっていた街並み、人々のなにげない日々の営みに思いを馳せます。 #この世界の片隅に #のん #片渕須直 pic.twitter.com/rmeymSBN9D
2016-10-21 12:01:48『この世界の片隅に』に協力された濵井徳三さんのご家族は原爆でいまだに骨も見つかっていないそうで、片渕監督が本編にそのご家族を登場させたことをNHKの番組で知った。そこに注目して観ると作品に込められた様々な方の想いが伝わってきて… nhk.or.jp/ohayou/digest/… pic.twitter.com/2n60qHcpBV
2016-10-24 22:39:34映画「この世界の片隅に」のために。元安橋から本川橋まではちょうど中島本通りゆうて一番にぎやかな商店街じゃった。すずらん灯がついてね。子どもも夜九時一〇時ごろまでは遊びよりましたよ。 片渕監督も参加された2013年のヒロシマ・フィールドワークで上田昭典さんの証言。
2016-10-28 22:19:13