- kintoki_naruto
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「玉が勿体ないわ」→鬨の声。実際には、城際まで軍勢を前身させ、激しく鉄砲・大砲を激しく撃ちかけていました。鉄砲・大砲の音は、京や醍醐まで鳴り響いています。
2016-11-21 01:40:42出浦昌相、復活です。実際には、彼はこの時筆頭家老の大熊と並ぶ地位にありまして、吾妻郡の行政を担当していました(「吾妻職方」)。ですので、岩櫃城代という感じです。
2016-11-21 01:45:18ドラマでは、爆発(自爆)で全身がぼろぼろになっており、療養中という設定。実はこの翌年、昌相は大病を発し、「もしもの時には」嫡男幸吉への家督相続願いを出していますから、平仄が不思議とあっていたりします。結局回復し、他界したのは元和9年(1623)、享年78と長命です。
2016-11-21 01:47:33平野長泰は前回申しましたように、大坂方に馳せ参じようとして細川忠興に説得され、江戸に抑留されたという話が下敷きです。男平野、見せ場ですね。
2016-11-21 01:49:00真田信尹。家康の関東転封後、会津の蒲生氏郷に仕えていました。石高は当初5000石、後6000石。昌幸とともに「信玄の両眼」と謳われた曾禰昌世と行動をともにし、急に加増された蒲生氏の実戦要員となっています。しかし、氏郷の早逝とその後の御家騒動で致仕。
2016-11-21 01:50:45関ヶ原の2年後、甲斐で3000石を与えられ、旗本に復帰しました。大坂の陣では、武田旧臣たちが目付をつとめていまして、信尹もそのひとりです。諸大名に軍令を連署状で伝達していました。
2016-11-21 01:51:59信尹による信繁調略は、12月14日、本多正純が、当時加賀藩家老となっていた実弟本多政重(一時、直江兼続に養子入り)に協力を命じて行わせています。真田丸でボロ負けした加賀藩ですから、下手な動きをされると長暦に響くわけで、そこで撤退戦を見事に指揮した弟に相談したのです。
2016-11-21 01:54:28正純は弟政重に対し、1.信繁の身上は自分が責任を持って請け負う、2.真田信尹と相談せよ、3.信尹と自分は入魂。機密を話しても問題ない、などと「自筆」で書き記しています。恐らく、この書状そのものを信繁にみせようという腹づもりであったと思います。
2016-11-21 01:56:03この時、正純が提示した条件は「10万石(1万石という史料もあり)を与えるので、合戦中に寝返れ」というもの。信繁の回答は「合戦終結後であれば、1000石でお仕えしても構わない」というものであったそうです。ようするに、合戦中の寝返りは拒否したという形。
2016-11-21 01:58:36信尹から報告を受けた正純は「恩賞が少なかったのだろう」と考えたらしく、「それなら信濃一国でどうだ」と持ちかけたところ、信繁が激怒して交渉中止になったとされます。信濃一国を信繁に与えるには、諸大名を転封させねばなりませんから、豊臣を滅ぼさないと領地が足らないんですよね。
2016-11-21 02:00:47信尹と信繁の再会。名シーンでした。本当は密書は燃やして欲しかったのですが(破っただけなら拾われかねないし)、スタジオ撮影なので難しいとのこと。
2016-11-21 02:03:14有楽斎を通じた和睦交渉は、実はとっくに始まっていました。秀頼が、頑としてそれに応じなかったわけです。それを変えたのが、一発の砲弾でした。
2016-11-21 02:05:38淀殿の側に着弾し、侍女が死んだことに彼女がショックをうけたわけです。秀頼としても、兵糧が心配になってきたものと思われ、和睦交渉へと動きます。なお、徳川方の多くは寒いので早く帰りたいというのが本音。初陣が寒中の野営で、堪えたようです。
2016-11-21 02:07:53さて、実際に本丸に撃ち込まれた大砲をめぐっては、いろいろ議論がありました。カルバリン砲は、日本にとっては最新鋭で、射程は長いのですが、威力が非常に弱い。実際には、備前島もしくは今福あたりから撃ち込んでいるので、射程が短いが強力なカノン砲ではないかという意見がでました。
2016-11-21 02:14:05ただ、家康の陣所(茶臼山)から、真田丸頭上を越えて撃ち込む演出なので(そうしないと、信繁がみえないし)、そうなると今度はカノン砲では飛距離が足りません。
2016-11-21 02:17:38という議論を重ねた結果、カルバリン砲で、天守閣を損壊させたのではなく、狙いが逸れて(そんな飛距離だと命中率低いし)しゃちほこが奥御殿に落下し、倒壊した屋根で死者が出たという台本が仕上がってきまして、なるほど、これならカルバリン砲でまったく問題ない、と得心した次第です。
2016-11-21 02:19:49残りあと4話。うち2回は日曜不在なので(最終回はシンポ→PVだし)、どうなるかわかりませんが、豊臣の逆転勝利を信じて祈りましょう。
2016-11-21 02:31:06@kazumaru_cf いつも素敵な解説ツイートありがとうございます。真田丸に関して一つ質問をさせて下さい。 史実では、内記と出浦は どちらが立場的に上ですか? 内記は真田に長く仕えていますし、出浦は元国衆の一ですよね。出浦が真田に仕えてからはどちらの方が「偉い」のでしょう?
2016-11-20 19:09:35戦国~近世初期の真田氏筆頭家老は大熊氏でした。ただ、当主の早逝が続いて力を落とし、出浦昌相が並んでトップツーとなっていた感じです。高梨内記は、信繁の傅役みたいな立場なので、ランクはずっとしたです。実は、河原綱家のほうが高梨内記よりもエライです。綱家は、昌幸の従兄弟ですから。 twitter.com/mdr_vert/statu…
2016-11-21 02:23:03