【宗教】 カルトとマルチと市民運動と廚二病の相互関係について 【運動】
よく「宗教はアレ(否定的な意味で)」「あーこれだから宗教は…」という言葉を見るけど、これはどの前ツイのどこの部分を指した「宗教」なのか、対話者と予め確認しておかないと得てして良くない形で話が終わると思われる。 twitter.com/senjuin1010/st…
2016-11-27 11:06:53・新興カルト←宗教 ・新興健全教団←宗教 ・似非科学等への傾倒←宗教 ・伝統教団(仏教・キリスト教・イスラム教等)←宗教 ・飯食う前の「いただきます合掌」←(他文化圏の者から見れば十分)宗教 といったように「宗教という単語が含む範囲が広い」事には問題あるなーと常々思っている。 twitter.com/senjuin1010/st…
2016-11-27 10:47:41よく「お伊勢さん参りに1千万人」の話が宗教の話で出てくるんだけど、コレおそらくお伊勢参りを「宗教」として捉えて純粋に「参拝」に行く方って多くないんじゃないかと思う。でもそれは第3者から見れば十分に宗教的行為だと思うし、たぶん世界的に見れば「宗教」に分類されるんだと思う。 twitter.com/senjuin1010/st…
2016-11-27 11:10:57よく、「市民運動や、似非科学信仰や、廚二病的自信過剰は宗教と近い」っていう話をするけど、これをすると大抵は「カルト呼ばわりされた!」って拗ねられちゃうので、現代に於いて「宗教との類似性や近似性の比較」に持ち出されることは、侮蔑と受け止められてるケース増えてんだな、とは痛感してる。
2016-11-27 15:32:23宗教(の価値や評価)には色々な切り口があるけど、僕は ・価値観、概念、生活規範、共同生活規範などを共有させる統治手段 っていう要素が結構重要だとは思っていて。
2016-11-27 15:35:05日本は政教分離ってことで、「宗教が政治に関わることはタブー」って感じになってるけど、かつては政治(統治)って、宗教に求められた機能だったとは思うんだよなあ。 例えば邪馬台国とかみたいに、「法による威光」が成立する以前の古代の政治は、巫女(宗教)の威光で統治してた、みたいな。
2016-11-27 15:36:21んで、そういう「統治システムとしての宗教」っていう話と、市民運動とかの類似性や近似性っていうのは、「同一の価値観をコミュニティの内部で共有する」「そのコミュニティ(教団)の外には通用しない価値観を、内部では共有することが前提になってる」っていう点。
2016-11-27 15:37:42また、宗教教団内部には序列が必ずある。例えば神仏ご神体を頂点としつつ、その代弁者たる最高位の神官僧侶がいて、最下位のヒラ信者までの間に何段階もの「中間指導層」的な階級があり、それらの振る舞いは「教典」で律されている。 市民運動も大抵これと似た構造を持ってる。
2016-11-27 15:39:23所謂新興宗教(カルト)と呼ばれるものは、古から続く古典的宗教に比べて、規模が小さいし、構造も古典的なそれに比べれば簡略化されてるから、「序列」「教典」「ヒラ信徒」とかの別が分かりやすい。歴史の短い(ある意味揮発的なw)市民運動もそこは近いと思う。
2016-11-27 15:40:46カルトはマルチを兼ねてるケースが結構あるけど、カルトを兼ねないマルチはもちろんある。んだけど、マルチの構造というのもまた、紐解いていくと「序列」「域内ローカルルールの遵守」「経典」「神祖と憲兵(司祭)とヒラ信徒」みたいな構造になってる。
2016-11-27 15:43:13「理論家の中心人物とその補佐/右腕/実行部隊/No2を気取る武闘派憲兵と教団内部のヒラ信徒と、教団のルールの外にある部外者(異教徒)」っていう簡略化された構造は、宗教とかだけでなく「運動」にも当てはまる。例えばSEALDsにだって当てはまる。
2016-11-27 15:44:49ただこれ、「ヤンキーのチーム」とか「クラブ活動」とか「スクールカースト」とか「幼稚園児の仲良しグループ」とかもある程度まではこれで定義出来ちゃうんじゃないかなあ。 同様に、明確な組織ですらないSNSなどの「アルファとフォロワー」みたいな関係性の中にも、そういうのはあるかもね。
2016-11-27 15:46:00SNS上の議論なんかで、大抵「過激な尖兵」になるタイプの論客っていうのは、「神祖」でも「ヒラ信徒」でもなくて、「側近気取り、No2気取りの武闘派憲兵」だったりするケースは多いような気がする。
2016-11-27 15:47:38誰に向けたアピールかは時々で変わるだろうけど、「成果」を競うことでその規範に基づく集団、またはグループ内での序列を上げ、少しでもNo1の神祖とか理論家とか中心人物とかに近付くとか、覚えめでたくなろうとする。そのためにヒラを監視し、部外者をしばいて罰する。それを競う。
2016-11-27 15:48:50一方で、こうした「片腕、側近、No2気取りの武闘派憲兵」タイプの論者は、原理主義というか純粋化を目指しがちになるので、どこかのタイミングで「理論家の中心人物」に対し、不満を抱くようになる。 アレよ。反原発さんたちが散々持ち上げてきた小出助教を切り捨てたようなもんw
2016-11-27 15:51:05「手ぬるい」っていう、それまでNo2だった存在からの突き上げ、それまで精神的主柱だったはずの存在をNo2が否定するっていう流れは、まあ例えば奥田を否定して牛田が吠える、みたいなのを例示するとわかりやすいか。
2016-11-27 15:52:16最初は理想を追ってたはずなんだけど、「覚え愛でた」とか「純粋化」とか「理論家への失望」とかが、「序列争い」→「内ゲバ」を生みだし、教団・運動・集団は「脱落者をどんどん追い出す」という方向に向かい、規模を縮小させながら挫滅していく。
2016-11-27 15:54:18初期に於いては、教団や運動の拡大期に於いては、「教団の外」を脅威と感じてるから、内部では協業できてるんだろうけど、教団や運動の規模が大きくなってくると、どうしても主導権争いが起きてくる。「スローガンだけしか共有できてない団体」は各論で絶対に揉めるから瓦解する。
2016-11-27 15:55:47そこらへんの「参集と純粋化と瓦解」のプロセスをして、「ある種の運動と宗教の類似性・近似性」っていう話を割と毎度してるんだけど、表層的には「カルト呼ばわりという失礼な罵倒」と理解されちゃうんだよな、これ(^^;)
2016-11-27 15:56:55んで、「武闘派憲兵タイプの論客」と事を構えることが多い僕などは、どう考えるかというと、「この武闘派はいずれ自分自身の依存している理論家の中心人物に対して【裏切られた】と感じたり、【総括して浄化】を考えだしたりして、自分自身がその衣鉢を継ごうとするだろうな」とか考えちゃう。
2016-11-27 15:58:52理論家の中心人物が考えたロジックを借りてきて議論を展開する人は、そこに綻びが出てきたときに「綻びを修正する」とか「綻びを踏まえて再検証する」とかしないで、「自分は騙された」とか、「手ぬるいからだ」っていう方向に責任回避しがちだった(経験)
2016-11-27 16:00:07そうなっちゃうと、もうその武闘派憲兵タイプの論客は最終的にはその人自身が「教祖」になっちゃうんだよなあ。当人にそんな自覚がなくても。
2016-11-27 16:01:06