佐藤剛裕の8bit脳による仏教
仏教の分析では、心に沸いてくるネガティブな感情を煩悩と呼んでいますが、貪り、怒り、愚かさの三毒、もしくはそこに嫉妬と自惚を加えた五毒としてとらえています。
2011-03-09 23:42:35細かく規定された戒律を守ることで、外側の行動から先に律していくというのも一つのやり方ですが、菩薩道では、煩悩を退治する中和薬となる考え方を持って知恵に変化させてゆく方法が理論的に説かれています。
2011-03-09 23:47:54三つもしくは五つの煩悩の中で一番深刻なのは愚かさ、なのですが、そのなかでも最も愚かな見解とは、自らが確固たる存在であるという認識なんです。それを我執といいます。
2011-03-09 23:52:28もうね、この煩悩を知恵に変えるという実践方法については、他人の状況を自分に置き換えておもいやる、とか、世界中の全ての生き物が自分の子供だと思って愛する、とか、そういう方法論しかありません。
2011-03-10 00:05:05どう、実践してる?RT @goyou: もうね、この煩悩を知恵に変えるという実践方法については、他人の状況を自分に置き換えておもいやる、とか、世界中の全ての生き物が自分の子供だと思って愛する、とか、そういう方法論しかありません。
2011-03-10 00:08:05@goyou ちょうど今日、ブータンのジーケンボは利他心で出来ているような方だ、という話をしてきたんですよ。曰く、無私の境地にいらっしゃると。
2011-03-10 00:14:59ただ、ある程度、そうやって理論的に道筋をつけておくと、それを補強するような技法はありますね。外側にある事物を用いて儀礼を行うことで、内的認識を変容させようという密教のやりかたもその一つです。
2011-03-10 00:15:18最高の幸福っていうのは、かつて五毒と呼ばれる煩悩だった感情が、知恵に変容して湧き上がってくるときに得られるものであって、それ以上のものなんてないんだな、って思うんですよ。
2011-03-10 00:21:53@goyou 親鸞聖人の場合は自分を迫害する者も菩薩と仰いでいきます。でも、即座にではないですね。煮えたぎった煩悩を転換するには、やっぱり自分を遙かに超えた大きな視点に出会うことなんだろうなぁ、と思っています。
2011-03-10 00:19:08@goyou このごうゆうくんのツイートも、まさに利他の実践ですね!今日は良い事が続いたんですよ。そして1日の終わりも素敵でした。じゃ、おやすみなさい。
2011-03-10 00:24:35@goyou 念仏の話題で触れられていましたけど、阿弥陀仏がどこにいるか?ぼくらは、口から出る念仏を阿弥陀仏であると聞いています。自らが行いながらも、そこに我が力を認めない、というのが、聖人の受け取り方かと。
2011-03-10 00:26:58