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  • esehara
    さて、今日は早稲田あかねにて模索舎展示即売会・赤木智弘イベントが行われます。俺ももしかしたら何かやるかもしれない。 -> http://d.hatena.ne.jp/sk-44/20100126/1264442631
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    中川「赤木さんはオルタナティヴ界隈と近いところにいながら、そこと距離を置いている。もう一つは丸山をひっぱ叩きたいに代表されるような文章を書いて、いま何を考えているのか、を聞いてみたい」 #waseda_akane
  • esehara
    中川「実存と社会の問題を考えていくというスタンスで考えていったと思う。多分、一般的なフリーターからは”イケてる”状態になった。以前はバイトしていたけれども、フリーライターになっているんですよね」 #waseda_akane
  • esehara
    赤木「当事者性が無いから貧困問題を考えてはいけない、ではない。もってきた出所はずっと付きまとっていくとは思う。希望は戦争と言った立場からは離れられない。裕福ではないけれども、企画を持っていくと稼げる立場だし。自分の立場だと希望は戦争といえばウソになる」#waseda_akane
  • esehara
    赤木「10年でみると対して変わっていないという印象がある。何が変わっているかさっぱりわからない。落ちたあとに、何かして努力したという痕跡が見当たらない気がする」 #waseda_akane
  • esehara
    中川「スーパーフラットしていく世の中で、実存的な社会というべきか、個人がつぶされていく叫びというのがあって、九十年代はルサンチマンというのはあったんだけど、でもゼロ年代はルサンチマンを基盤としていない感じがする」 #waseda_akane
  • esehara
    赤木「Twitterとかを見ると、短文的なコミュニケーションになる。複雑な社会はわからないけど、二元論ならわかりやすい。例えば民主党はクソであるとか。そういうところで、ルサンチマンは解消されやすい。そこでわかった気になりやすいというか」 #waseda_akane
  • esehara
    松平「ゼロ年代という区別にこだわっている理由は、僕が31なんですけど、二十歳くらいにものを考え始めて、自分のわかる範囲でしか考えられない」昼間「それは君の20年代だよね」松平「でも20年で考えるというのがある」#waseda_akane
  • esehara
    赤木「もともと五年間くらいを考えたほうがベターなんじゃないのか」松平「僕は、文学を考えていて、文学史的に見ると10年で変わっていく」ひょうろく「僕は40歳なんですけど、批評にとってゼロ年代というのはありがたい。だってそれは僕にとってリアルじゃないから」 #waseda_akane
  • esehara
    ひょうろく「30歳までは新しいものにたいして現役というイメージがあるだけれども、40歳になると、もう現役ではない。ゼロ年代になると新しいものに対してリアルじゃない。もはや個人と社会というのは擬似問題にすぎない。タコ壺化して自分の居心地のよい共同体にいる」#waseda_akane
  • esehara
    ひょうろく「自分の感覚的では、共同体を繋げていくというのが民主主義のテーマになる。自分が『ゼロ世代について』を持ってきたのはそういう意味。役割で分担していく。それは全体的なイメージはありえない。それがゼロ年代のテーマになっているのではないか」#waseda_akane
  • esehara
    昼間「ミニマルな共同体で言語が伝わらなくなっている、というのが今の時代ではないか」ひょうろく「機能的には素人の乱と変わらないけれども、個人というよりは、消費集団単位でもルサンチマンがあるのではないか。向こうのほうが楽しいのではないか」 #waseda_akane
  • esehara
    昼間「集団を見ると面白くて、誰も小山の大将になれなくて、足を引っ張り合うグループと、大将になって信者がたくさんいるグループ」 #waseda_akane
  • esehara
    中川「ゼロ年代になると、わからないっていうのが天然になっている気がする」昼間「それは消費社会が進化する中で生まれている。一家にひとつ電話機だって無かったのに、部屋にひとつになったりする。だいたいテレビの誕生から60年代なので、そこまで遡るべきなのでは」 #waseda_akane
  • esehara
    昼間「共同体が分化されていくのはいいのとわるいのではある。コミケはその成功例だけれども、一方では漫画が売れないという問題ともつながってくる。ファッションと消費が結びついていたのが七十年代。七十年代は同じ服を着ていた」 #waseda_akane
  • esehara
    昼間「僕が考えているのは、社会にはコミュニティーが分裂していく過程があるんだけど、その文化が加速していく時代があるんではないか。90年代は実態として分裂は無かった(=ネタとして消費)んだけど、ゼロ年代は分裂が全般化していく」 #waseda_akane
  • esehara
    昼間「九十年代までは外が他の文化圏を見てみようという気があったんだけどゼロ年代はもうそういうのがないのではないか。その一つにオタクが自分たちは叩かれているという意識があったのではないか。他の本を見ていくんだけどオタクが猛烈に持ち上げられるところがある」 #waseda_akane
  • esehara
    昼間「そう考えると、オタクバッシングという2005年の奈良の事件に現れるんですが、宮崎事件以降、オタクは叩かれていたという神話が固定化されていく」ひょうろく「でも、それは神話でしょう」赤木「ネットでオタクバッシングされているという言説が増えてきた」 #waseda_akane
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    昼間「被害者になると楽しく他者を叩けるという知恵が生まれたんじゃないか。八十年代にネアカ・ネクラでどちらに入ろうかという感じなんだけど、ゼロ年代になると、それがベタになってそっちにならなきゃだめという真剣さがある」 #waseda_akane
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    赤木「通り魔よりも、児童虐待のほうが殺される危険があるんだけど、その被害者意識がコミュニティー意識に転化していくというのがあって、それが安心できる。オタクは実例であって、他の意見もありうる」 #waseda_akane
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    赤木「コミュニケーションが分裂していて問題があるかっていうとどういうのではないか」松平「いや、言論人が生きていけないでしょう。マスメディアがないと」昼間「でもそれNHKの老人がいうような感じですよね」 #waseda_akane
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    松平「僕、同人誌を作ろうとしてコピー機を借りようと思ったんですけど、府中だけでも団体が必要。10人や20人規模必要。地方でコピー誌作るよりも、ネットでコミュニティーを作ったことが楽。地方で人を集めるということと、ネットで人を集めることのズレがある」 #waseda_akane
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    赤木「同人誌という話であるならば、電子化してしまうほうが楽。物質化するという前提が無ければ楽」昼間「いろいろ起こるけどうまくいかないほうが多いのではないか。議論が低レベルすぎて存在しないのではないか。児童ポルノだと『アグネス氏ねよ』というレベル」#waseda_akane
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    昼間「表現の自由を守るために戦っても、企業の論理としてつぶれちゃうので、それで逃げちゃうというのはアリだよねと思うのは一つ。あと実際のゲームで陵辱的なゲームはそんなにないよねという問題。突っぱねて叩かれて規制を強くされちゃうとどうするの?っていう」 #waseda_akane
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    赤木「ウソも真実もいっぱい転がっているときに、自分が正しかろうとか考えていく際に、重要なのは『信仰』なんだと思う。マスメディアとニュー速のどっちを信じるのか、という問題になると信仰になる。それを考えていくと膨大な情報を考えないといけない」 #waseda_akane
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