「不謹慎」と非難される風潮に対する鈴木謙介氏の優れた分析

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Kensuke SUZUKI @kskszk

うかつなことを言うと「不謹慎」と非難される風潮への批判が目立ってきました。あるいは、日本人としての一体感を鼓舞したり、政府・技術者への無条件の感謝を捧げる声に、戦争中のナショナリズムに近いものを感じる人もいるようです。この点について、少しだけ考えてみます。

2011-03-16 10:49:29
Kensuke SUZUKI @kskszk

まず、こうした思考法は、特に社会学において顕著だと思います。戦後のある時期からの社会学は、行政官のための道具作りのような仕事だけでなく、マジョリティの視点や常識的な見解からでは見えてこないリアリティを映し出すことが重要だ、という立場をとってきたからです。

2011-03-16 10:51:15
Kensuke SUZUKI @kskszk

それとは別に過去の研究で参考になるのは、R.K.マートンが『大衆説得』で描き出した「献身の三角形」理論でしょう。彼はここで、3900万ドルもの戦時公債購入予約を獲得した、1943年のラジオキャンペーン(パーソナリティが18時間のマラソン告知に挑戦した)を採り上げています。

2011-03-16 10:53:13
Kensuke SUZUKI @kskszk

リスナーへのインタビューから彼が明らかにしたのは、放送が、戦場の兵士、他のリスナー、そしてパーソナリティの献身という三方からの圧力を生み、強い自己嫌悪と罪悪感、つまり心理的な緊張をもたらすものになっていたということでした。

2011-03-16 10:57:26
Kensuke SUZUKI @kskszk

この緊張(私は他の人に比べて全然貢献できてない!)を解消するために人びとは購入予約に走ったわけですが、興味深いのは、それまで興味のなかった人やすでに熱心に購入していた人より、ある程度は購入していた人が、もっとも強く反応したというところです。

2011-03-16 10:59:11
Kensuke SUZUKI @kskszk

つまり、貢献する意欲はあったけれども、それほど熱心ではない人が、「献身の三角形」を前に、強い罪悪感を抱き、「自分ももっと貢献できることがあるはずだ」と考えたのだと推測できます。

2011-03-16 11:01:22
Kensuke SUZUKI @kskszk

さて今回の場合、被災地での救助活動や原発への対策は非常に専門性が高く、多くの人にとって「感謝するくらいしかできない」のが実情だと思います。このことは、強い心理的緊張(もどかしい気持ち)をもたらすものになっていることは確かでしょう。

2011-03-16 11:03:39
Kensuke SUZUKI @kskszk

そうすると、たとえば「どういった点で貢献できるのかをある程度把握できている人」と「感謝と祈りと募金くらいしか手段はない」と考えている人を比較した場合、「不謹慎な人」に対する不快感がより高まるのは、後者の人びとではないか、という仮説が成り立ちます。

2011-03-16 11:06:17
Kensuke SUZUKI @kskszk

さらに、官僚的(機械的)な発表に終始する記者会見や、繰り返される被災地の映像、(僕は望ましくないことだと考えていますが)被災者へのインタビュー映像などを通じて、この「何かしなければいけないのに!」という気持ちは、さらに増幅されることになります。

2011-03-16 11:09:28
Kensuke SUZUKI @kskszk

もどかしい気持ちでいる人が不謹慎な人を不快に感じるのは、その気持ちの適切な発露の手段がないからだと考えられます。だとすれば「不謹慎にも寛容を!」と説得するより、「こんな人にはこんな手段で貢献ができる」という情報をたくさん流す方が効果的です。

2011-03-16 11:11:59
Kensuke SUZUKI @kskszk

ナショナリズムとの関係で言えば、たとえば語学が堪能な人は外国人被災者に対して貢献できるよとか、ネットにつながる僕らから海外の支援者に感謝の言葉を送ろうとか、そういうメッセージで、偏狭なナショナリズムに陥ることを回避できるのではないでしょうか。

2011-03-16 11:15:09
Kensuke SUZUKI @kskszk

仕事の合間の限られた時間に考えつくのはこんな感じでしょうか。『大衆説得』は図書館かマーケットプレイスで、手に入るものだと「24時間テレビ」とマートンの分析を比較した記述もある『マス・コミュニケーション入門』はどうでしょう。http://amzn.to/fKSy12

2011-03-16 11:19:36