私たちは「発達障害者のコミュニケーション能力」について思考停止していないか? ―松本先生と宇樹の連ツイより
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松本先生の連ツイの発端
松本先生の連ツイの発端として、宇樹による2 つのブログ記事がありました。
最近読んで大興奮した本についてレビュー書きました。:「自閉症と感覚過敏」レビュー・感想前編 むしろ感覚過敏が自閉症を形成する? decinormal.com/2017/06/14/aut… pic.twitter.com/KlWIcZRrxN
2017-06-14 11:06:46発達障害児の保護者さんとか、子育て中の方で「自閉症と感覚過敏」を読んでみようと思ってる方は、ぜひこの後編のレビューもお読みください。 twitter.com/decinormal1/st…
2017-06-14 14:34:34後編もアップしましたー。:「自閉症と感覚過敏」レビュー・感想後編 何が本当に本人の幸福なのか? decinormal.com/2017/06/14/wha… pic.twitter.com/lUeWhEpxCs
2017-06-14 14:22:06松本先生による連ツイ
支援者など、発達障害児者の周囲の人たちは「感覚過敏について支援しよう」「ソーシャルスキルを上げよう」「コミュニケーション能力をアップしよう」 と言って一生懸命支援するけれども、よく考えたらそもそも、感覚過敏、ソーシャルスキルとかコミュニケーション能力って何ぞや? って掘り下げて考えること少ないよね、もっと掘り下げることが必要だよね、という主旨。
感覚過敏ってそもそもどういうこと?
自閉症の人の感覚過敏について考えるには、いったん自閉症から離れて「感覚」全体について考えないといけない。
発達障害への理解を深めるためには、それを表現する言葉の一つ一つの意味をもっと掘り下げて考えていくのがよいと思うんです。たとえば自閉症に伴う感覚過敏。この過敏の「過」ってなんですか。何の基準に照らして「過」ぎてるって言ってるんですか。この時点でもうハッキリしないでしょう。
2017-06-14 20:52:28普通の人が気づかないような繊細な違いを感じ取れることを過敏というのであれば、たとえば香水の調香師やワインの鑑定士はみな感覚過敏だということになる。そうじゃないでしょう。また自閉症だから調香やワインの鑑定ができるわけじゃないでしょう。
2017-06-14 20:54:35もっと極端な例を挙げれば、犬は人間の100万倍の嗅覚を持っていますが、では、自閉症のある人のように特定の匂いに他の人よりも遥かに反応して気分が悪くなったりしますか。一部そういう犬もいるかもしれないが、全体としては少ないでしょう。そうでなければ人と共同生活はできないはず。
2017-06-14 20:58:23こういう風に突き詰めていくと、自閉症のある人の感覚過敏というのは何を意味するのかわからなくなってくる。「感覚過敏についてご理解ください」とはいうが、それが何を意味してるのか言ってる本人もわかっていないという本末転倒な事態になっていませんか。
2017-06-14 21:01:08ここを突破するにはいったん発達障害から離れないといけないんです。で、感覚過敏だというなら、そもそも人間の感覚とはどういうものかを研究しないといけない。しかし、ここを掘り下げて考える人が非常に少ないですね。「自閉症のある人には感覚過敏がある」で思考停止してしまう。
2017-06-14 21:05:55「コミュニケーション能力」「ソーシャルスキル」の定義とは?
小笠原流の武家作法をわざわざ習いに行かれたくだりがすごいです。
一般論として語るため、自分の専門外の感覚の話題を出しました。さて、私が専門的に追求しているのはコミュニケーション能力なんですが、これも「発達障害のある人はコミュニケーションが苦手」とは言うけれど、ではコミュニケーションを行う能力が何によって規定されるのか明確な定義がないですよね。
2017-06-14 21:10:29僕は大学院で発達障害のコミュニケーション能力を伸ばすためのソーシャルスキルトレーニングについて研究したんですが、そこで一番疑問だったのは、ソーシャルスキルがどうやって身につくかという問題以前に、その一群の「ソーシャルスキル」はどうやって定義されたのか、ということだったんです。
2017-06-14 21:13:34「ソーシャルスキル」は全部でどれくらいあるのか、それらがなぜ「ソーシャルスキル」と呼ばれているのか。その定義なり規定について、いくら文献読んでも納得の行く答えが得られなかったんです。当時院生だった僕は業を煮やして小笠原流の礼儀作法を習いに行ったんです。修論提出3ヶ月前にです。
2017-06-14 21:16:35「ソーシャルスキル」が何を意味するかどれだけ研究してもわからなかったので、日本古来の小笠原流の武家作法の中にその答えを求めに行ったんです。そしてこれは正解だったんですね。小笠原流の稽古の中では、全ての動き、たとえばお辞儀とか歩き方とか座り方とかが全部プロトコル化されていた。
2017-06-14 21:20:20だから人と関わる上では何も迷わなくて良いんです。どこで何をすればよいのか、全て小笠原流の中で規定されているんですから。これは衝撃的な体験でした。
2017-06-14 21:22:37人との会話の様式ってまさにプロトコルですよね。プロトコルというのは、やりとりをするときの決まった手順のことです。もともとは儀式の手順を指すものでしたが、最近はコンピュータのデータのやりとりの文脈でよく使われます。
かっちり規定された作法は、それを身に着けられる人にはとても楽だけど、身に着けられない人には非常に苦しいもの
しかし、僕は小笠原流の稽古を続けられなかったんです。その理由というのは、僕はLD傾向があって手先が不器用で、稽古のお月謝袋に入れる水引(画像みたいなの)が何回やっても結べなかったんです。 kichiju.com/blog/wp-conten…
2017-06-14 21:25:35だけど、そこを「僕LD傾向あるんで紐結べないんで勘弁してください」とは言えない。だって、鎌倉時代にその水引の結び方を制定した当の家に習いに来てるわけですから。それができないなら何を学びに来たんだ、という話です。
2017-06-14 21:29:36この一連の経験で学んだことは、コミュニケーションにまつわる作法が全部規定されているというのは、その作法を身に付けている人同士の関係においては大変快適であるけれども、その作法を身に着けていない、または能力的に身に着けられない人にとっては苦しいものになってしまうということでした。
2017-06-14 21:32:21発達障害者の認知やコミュニケーションについて深く学ぶには、専門知識の世界から飛び出して、ヒトの身体性のそもそもを「体験」しなければいけない
修論提出三ヶ月前にそんなことをやっていたものだから、結局修論あがらなくて大学院留年したんですよ私。でも、今振り返れば、こうした体験こそが研究だったと思うんです。コミュニケーションについて、スキルや知識でカバーできるところとそうでないところがあるとわかったんです。
2017-06-14 21:37:54