• masayachiba
    福嶋亮大さんの『神話が考える』読了。感想はこれから断片的につぶやいていこうと思います。
  • masayachiba
    とりあえずドゥルーズ研究者としてやはり注目せざるをえないのは、ラストでの『意味の論理学』の援用ですよね。なぜ、キャロルだけを扱って、アルトーの問題をスルーしているのか。
  • hazuma
    キタ! RT @masayachiba とりあえずドゥルーズ研究者としてやはり注目せざるをえないのは、ラストでの『意味の論理学』の援用ですよね。なぜ、キャロルだけを扱って、アルトーの問題をスルーしているのか。
  • masayachiba
    「キャロルのすべてを引き換えにされても、われわれはアントナン・アルトーの一頁も与えないだろう」という第13セリーの言葉(河出文庫版、上巻、170頁)を、どのように引き受けるのか、あるいはどのような狙いによってスルーするのか。
  • hazuma
    確かに福嶋くんにはぜひ國分功一郎氏のドゥルーズ論を読んでほしい。『神話が考える』のドゥルーズ理解はけっこうぼく経由な感じがするけれど、ぼくも忘れていた(ってのもひどい話だがw)『存在論的、郵便的』のドゥルーズ論部分の可能性が國分氏の論文には示されている。
  • masayachiba
    なるほど、キャロルに関する『意味の論理学』前半部は、文字通り、今日のゲーム的リアリズムの分析に適応するかもしれない。そして、レヴィ=ストロース的なその構造主義のシステムをそのままに肯定してみせることに福嶋さんの独創性があります。が、だとしたら、ポスト構造主義はどうなるのか。
  • masayachiba
    福嶋さんは、リゾームやセミラティスといったポスト構造主義的な多様性が「すでに」レヴィ=ストロース的な神話理解に「組み込み済み」だったという視点をとる。しかしドゥルーズ+ガタリは、あくまでも、構造主義「批判」を通してそうした多様体の問題を見出していた。
  • hazuma
    福嶋亮大&濱野智史は、ネット環境で構造主義の可能性を再評価する論客というところだろう。
  • masayachiba
    福嶋さんは、こうしたポスト構造主義の批判性、つまり「システムの外部」を考えるという立場を、これはひじょうに独特の立場だと思いますが、すっかり無化してしまう。
  • hazuma
    それゆえ、この批判が出てくるのは当然。RT @masayachiba (..) そして、レヴィ=ストロース的なその構造主義のシステムをそのままに肯定してみせることに福嶋さんの独創性があります。が、だとしたら、ポスト構造主義はどうなるのか。
  • masayachiba
    @hazuma そうです。そうなると、構造主義がもっていた否定神学性(ゼロ記号としての超越論的シニフィアンの作動など)を、いまさら、ことさら問題にしなくていい、という立場になる。
  • masayachiba
    キャロル的なゲームは構造主義的に、あくまで構造内部における不安定化要因とそれによってコントロールされる諸関係の変異を問題とする。しかし、アルトーを扱って、構造の外部を問題とする『意味の論理学』後半部は、キャロル的なゲームの可能性の条件それ自体を、問うものです。
  • hazuma
    ニコニコ動画のN次創作はそりゃキャロル的世界だろうけど、アルトーはいるのかよ!って @masayachiba は突っ込んでいるわけだな。
  • hazuma
    あーまじで心が洗われるな。ぼくはもともとこういうのが本業なんだよなー。
  • masayachiba
    そうした『意味の論理学』の後半部は、アルチュセールによるレヴィ=ストロース批判ともパラレルです。すなわち、リベラルな資本主義というシステムそれ自体がいかに生成してきたのか、という「動的発生」の視点です。それをスルーして、所与のシステム内的分析だけでよいのか。
  • masayachiba
    @hazuma そうなんですよ。僕としては、N次創作が生みだす世界の解離は、キャロル的なゲームフィールドの限界を超えて、身体の別のあり方、それが住まう別の可能世界を幻視させるファンタジーを生みだすと考えます。
  • masayachiba
    ぶっちゃけて言えば、キャロル的なナンセンスっていうのは、否定神学の構造なんです。これは浅田さんも東さんも指摘していたことです。キャロルは、ポストモダンとモダンの間に位置している。
  • hazuma
    ぼくはキャロルでもそれは行けるのではないかとも思うが... RT @masayachiba (..) 僕としては、N次創作が生みだす世界の解離は、キャロル的なゲームフィールドの限界を超えて、身体の別のあり方、それが住まう別の可能世界を幻視させるファンタジーを生みだすと考えます。
  • hazuma
    ドゥルーズの「意味の論理学」において、キャロル部分=否定神学、アルトー部分=否定神学システムそのものの生成という整理が可能なのはいいとして、ぼくとしてはむしろ、キャロル部分に郵便的思考の可能性が隠されていると論じたかったりするのだけどね。
  • masayachiba
    @hazuma ここがドゥルーズ読解の微妙なところなんです。『意味の論理学』では、キャロルとアルトーが区別されましたが、『アンチオイディプス』になると、かつて表層/深層と分けられたレベルが、一元的に癒着して、「キャロル=アルトー」になってしまうんですよ。
  • hazuma
    アリスは身体と生成についての小説だからな。しかしまあ、これはぼくの好みの問題(ふたたびロリ問題に!w)かもしれない。
  • hazuma
    これは重要だよね。RT @masayachiba ここがドゥルーズ読解の微妙なところなんです。『意味の論理学』では、キャルとアルトーが区別されましたが、『アンチオイディプス』になると、かつて表層/深層と分けられたレベルが、一元的に癒着して、「キャロル=アルトー」になってしまうんで
  • columbus20
    静的生成とセリー化された潜在性を扱うキャロル/フッサールに対し、動的生成とセリー化されない潜在性を扱うアルトー/フロイト 郵便本209p RT @hazuma N次創作はそりゃキャロル的世界だろうけど、アルトーはいるのかよ!って @masayachiba は突っ込んでいる
  • hazuma
    サンクス! RT @columbus20 静的生成とセリー化された潜在性を扱うキャロル/フッサールに対し、動的生成とセリー化されない潜在性を扱うアルトー/フロイト 郵便本209p 
  • masayachiba
    『意味の論理学』はただでさえ不安定な構成の本ですが、『アンチ・オイディプス』では、まさしくキャロル的ゲームに内在しつつ、ゲームそれ自体の生成が(身体論的なレベルまでも捲き込んで)問われるということにになり、キャロルとアルトーが峻別できなくなる。
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