人類学、社会学、アクター・ネットワーク理論

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るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

有事の学問は確かにタイムリーだけど、平時の方が圧倒的に長いんじゃないの、とまず思った。あと、有事に応用できないスキームは問題があるというか、有事平時の区別ができてしまう時点で社会科学としてどうなのと。

2011-03-30 21:43:50
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

災害があったからといって、社会の基本的構造が変化するわけではない。相変わらず生産と配分と再生産が経済の基礎だし、人々は意味を通じて相互作用している。「応用問題」としての有事の学は否定しないが、そこに主に注力するのはどうかと思う。

2011-03-30 22:28:05
久保明教 @ponQ

話すこしズレますが、社会が崩壊に瀕する過程を分析することでその成立条件を探るという視点はありえませんか? RT @lematin 災害があったからといって、社会の基本的構造が変化するわけではない。...

2011-03-31 00:25:13
久保明教 @ponQ

@lematin とつぜん失礼しました。なんとなく社会学にはそういう研究はあるんかなと興味もちまして。人類学にはいくつかあるんですが、基本民族誌記述で理論化はされてない感じです。

2011-03-31 00:28:56
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

@ponQ すみません、薄学にして…という感じです(社会学の守備範囲は基本的に近代以降なので、崩壊した社会というサンプルがあまりないという問題もあります)。まあ、フロムのあれとかを考えに入れれば別ですが。あと、東ドイツの崩壊をシステム論で解釈していた人はいたかと思います。

2011-03-31 00:45:53
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

@ponQ そもそも、これは今回の絡みで議論しようとしてそのままになってるんですが、「社会学は全体としての社会を対象とする学問ではないのではないか」という問題があるようにも思います。その意味で、社会学の考察も、こういう場合「記述・感想」の域を出ないのではないかと。

2011-03-31 00:49:12
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

@ponQ そもそも、これは今回の絡みで議論しようとしてそのままになってるんですが、「社会学は全体としての社会を対象とする学問ではないのではないか」という問題があるようにも思います。その意味で、社会学の考察も、こういう場合「記述・感想」の域を出ないのではないかと。

2011-03-31 00:49:12
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

@okometusbu @ponQ それはいい応用問題ですね。ちょっと話は違いますが、「阪神」のときの被害地図が、震災前の所得水準の地図とほぼ重なる、という論文を見たことがあります。まあ、あれは社会学のなかでは異端ぎりぎりでしたが…。

2011-03-31 00:57:06
久保明教 @ponQ

ほう、それはもともとそうではなかったということなのか、方法論的に無理なのか。「全体的社会的事実」をいまだ掲げる人類学としては気になります RT @lematin @ponQ 「社会学は全体としての社会を対象とする学問ではないのではないか」という問題があるようにも思います。//

2011-03-31 07:48:07
久保明教 @ponQ

「全体的社会的事実」といっても、個別の社会を一つの全体としてみるというより、経済や政治や宗教といった個別の領域が相互に浸透しあっているというテーゼとして理解されてるので、含意は随分ちがうと思いますが。 RT @lematin @ponQ

2011-03-31 07:52:05
久保明教 @ponQ

ちなみに人類学者がラトゥールやANTを割にあっさり受け入れたのも、こうした発想が、経済も政治も技術も社会もネットワークの断面にすぎないという彼らの主張と親和的だったからかと。脱線しつれい。RT @lematin @ponQ

2011-03-31 08:00:22
久保明教 @ponQ

@okometusbu @lematin 関東にいるからかもですが、今は国家を介して備給され国家を支える象徴資本(ブルデュー)がぐちゃぐちゃになってるようにもみえます。海外メディアの存在感がまし、日本社会論が日常かたられ、「菊と刀」まで召喚される。人類学者としてはザワザワします。

2011-03-31 08:18:08
久保明教 @ponQ

@lematin 首都圏の今の緩やかなパニック状態は(関西からはみえにくいと思いますが)自分が自律的な都会人だという前提が国家的なもの(インフラや情報の正しさの根拠)に全面的に依存してて、後者が壊れれば前者も壊れるということを上手く受け入れられないことに起因しているようにも、

2011-03-31 08:37:44
久保明教 @ponQ

@lematin 見えます(自分も含めて)。自分という判断の根拠があやふやになることへの恐怖、自分がパニックになる可能性に対する恐怖からくる緩やかなパニック状態が(薄れはしましたが)まだ続いてるように感じ、これを参与観察できるとは面白すぎ!って思う自分もいます。

2011-03-31 08:47:10
久保明教 @ponQ

@lematin 連投かつ途中から独り言化して申し訳ない。適当に流してやってください。

2011-03-31 08:49:18
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

そろそろ社会学の秘密についてつぶやいた方良いのじゃないかと思う。#sociology

2011-03-31 18:04:13
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

社会学の秘密。それは社会学は社会の状態や構想を研究する学問ではないということ。酒の席ではともかく、真面目に全体社会について論文を出す研究者はいない。#sociology

2011-03-31 18:17:04
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

たとえば、専門分野。社会学の研究者は必ず専門分野を持つ。それらは概ね院生時代の専修によって決まるが、労働社会学とか、教育社会学、産業社会学、農村社会学、家族社会学、社会学理論、歴史社会学といったように細分化されている。「専門は社会そのもの」という人はない。

2011-03-31 23:44:11
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

たとえば、専門分野。社会学の研究者は必ず専門分野を持つ。それらは概ね院生時代の専修によって決まるが、労働社会学とか、教育社会学、産業社会学、農村社会学、家族社会学、社会学理論、歴史社会学といったように細分化されている。「専門は社会そのもの」という人はいない。#sociology

2011-04-01 00:29:56
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

専門分野がないからやる人がいないのではない。その逆で「社会そのもの」について研究する人がいないので、それとわかる専門がないのだ。もちろん、社会学者が社会に無関心なのではない。だが、社会全体は研究テーマにはしにくい。#sociology

2011-04-01 00:31:04
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

では、社会学は何をやっているのか。たとえば、今、任意に選んだ都市社会学会の大会プログラムを見ようhttp://p.tl/Qrcf (PDF)。都市の研究といえば、ドーナツ化とか膨張とかが浮かぶが、そんなことは研究していないことがわかる。#sociology

2011-04-01 00:34:51
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

かつて、草創期には都市社会学にも「都市そのもの」を扱う人がいたのだが、今はそれらはほぼ地理学の領域になっている。では社会学は何をやっているかというと、「ニュータウンにおける町内会の誕生」とか「都市郊外の子育て活動背景」といったテーマがそれを示唆している。#sociology

2011-04-01 00:42:24
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

今ここで例に挙げている都市社会学の場合、都市そのものではなく「都市に住む人間の行動」に焦点を当てているのだ。これは、現代の社会学に共通する特徴であるといってよい。社会そのもの、都市そのもの、家族そのものではなく、そこにいる人間を研究しているのだ。#sociology

2011-04-01 00:44:51
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

いうまでもなく、「社会」とは、人々の集団のことを指す。だが、社会学においてそれそのものが研究対象とされることは稀だ。社会学は、基本的に個人の行動への影響を通じて社会にアプローチしようとするのだ。そこでは、社会は「社会的なるもの」として現われる。#sociology

2011-04-01 01:07:47
るまたん(ほぼインアクティブ) @lematin

かつて、草創期には「社会そのもの」を扱おうとする学者たちがいた。19世紀のころだ。だが、それらは今や社会学では「神話時代」として扱われる。彼らの伝統は引き継がれていない。なぜなのか、はっきりとはわからない。だが想像はつく。#sociology

2011-04-01 01:14:54
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