• kikumaco
    たぶん、今回のドイツ気象庁のシミュレーション図を「大変なことが起きているのに日本では知られていない」と流したマスコミやジャーナリストの言うことは、これから信じなくていい、という判断基準にできるんじゃないかな
  • tari_tipa
    間違えることよりそれをどう訂正するかの方が重要なのでは? RT @kikumaco: たぶん、今回のドイツ気象庁のシミュレーション図を「大変なことが起きているのに日本では知られていない」と流したマスコミやジャーナリストの言うことは、これから信じなくていい、という判断基準
  • kikumaco
    @tari_tipa きちんと訂正すればいいと思います
  • tari_tipa
    マスコミやジャーナリストに対する無謬性の追求は、原発に無謬性を求めたり警察や検察に無謬性を求めるのと同根の問題がある。前者は安全神話を産み、後者は数多くの冤罪を産み出してきた。(続く RT @kikumacof と流したマスコミやジャーナリストの言うことは、これから信じなくていい
  • tari_tipa
    続き)「マスコミやジャーナリストがミスをあげつらうから、(ミスを恐れて)リーダーシップを発揮できない」とか言いつつも、マスコミやジャーナリストのミスをあげつらうことはよしとする人たちの存在が、結果として記者クラブのようななんの情報もださないメディアをはびこらせてきたんだろう。続く
  • tari_tipa
    続き)震災であやふやになったが「カンニングぐらいで逮捕なんて」という声が非常に大きかった。あれも同じく、「逮捕される人は絶対悪人でなければならない」という意識の裏返しで、そういう声こそが冤罪を生み出している。普段冤罪問題に取り組む江川紹子さんなんかも同じ論調だったのに絶望した。
  • tari_tipa
    逆に言えば、逮捕されても推定無罪なんだから、「逮捕して調べてみたら実は大した罪じゃなかった」「悪い人はだれもいなかった」めでたしめでたし。で良くなれば、例えば岡崎図書館のような事件は起こり得なかったはずである。悪いのは逮捕すること自体ではない、逮捕=悪人とする無謬主義である。
  • tari_tipa
    原発に関しても同じで、便利なものには(原発に限らず)リスクはつきものなのに原発に関してだけは「ちょっとでもリスクがあると許さない」という声が大きく、それに呼応して政府・電力会社により「安全神話」作られてきた。それは東電じゃなく周りの反原発派にも責任があるという声もやっと出てきた。
  • tari_tipa
    話が逸れたんで元に戻すと、ジャーナリズムに関しても全く同じで、報道は絶対間違えちゃならないという声がいわゆるマスゴミを作ってる。そもそも記者が正しい科学的知識を「あらかじめ」持ってることは無いはずで、間違いは指摘し、その都度訂正をするのが筋だろう。
  • tari_tipa
    逆に言えば、「ジャーナリストや報道、マスコミも間違えることもあるもんだ」という意見が一般的になりさえすれば、間違った報道/過剰な報道でパニックになる確率も減るのではないだろうか。
  • tari_tipa
    まとめると、読者からみた正しいジャーナリストの選択としては、「間違えを言わない」人ではなくて、「きちんと訂正する人」にすべきである。「自己矛盾を指摘されるとブロックする人」とか、「間違え(誤字)の指摘に逆切れする」なんてのは論外だろうw (連続ツイート終わり)
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コメント

  • tari_tipa
    タイトル直してデコった
  • roma_08_28
    Amen! 間違いを「許さない」からこそおかしなことになる。人間は間違うものだという認識を発信側も受け取り側も持つことが必要。
  • WATERMAN1996
    マスコミに関して言うと、私は間違った報道をしても訂正をすればよいと思っているのだけど、マスコミ自身が訂正を行うことを恐れている、訂正すればマスコミの信頼性に傷が付くと恐れているのだと思う。
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