コメント

  • toshiro
    震災地の風景は、もう嫌になるほどテレビで見たけど、実際に私たちが共感できる言葉にできる人が言葉にしてくれたのが、何かすごく泣けてくる気がしました。
  • toshiro
    映像の力ってすごいと思うけど、実はチリ地震の時の津波の話を中村雅俊さんのエッセイなどで読んだことがある。その時はそれは凄まじい風景に思えた。今回の震災で起きた津波はそれを超えるものだったという。テレビでその映像も見た。でも、波の高さが何倍と言われても、中村雅俊さんのエッセイとどこか違っていた。それが、今朝、東さんのツイートを読んで蘇ってきました。
  • zetumu
    その光景を眼前にした時に受けるものというのは分かるんだけどさ。しかし@hazumaが言葉をそのように感じるのは単にこいつの言葉に力がないだけで、要するに今まで自分自身が言葉をそのように扱ってきたと吐露しているだけ。
  • zetumu
    本当の言葉の力というのは今眼前にあるものを受けきって、それでも尚つむぐ言葉であり、さらにその眼前に広がることを、そしてそこから受けるものをひっくり返していく力そのものだろう。
  • zetumu
    自分自身の言葉(それは単に自分が吐く言葉だけではなく書物などを読んできた読み方そのものも含めて)に力がないことを、一般化して語ること自体どれだけ傲慢かということであり、その狭さに気付かない限り本当の力のある言葉には到底届かないでしょう。
  • zetumu
    まあこのようなことを眼前にして、相変わらず言葉をそのように垂れ流している人もいるので、少しはこの事と向かい合おう(向かい合わざる得ない)としている@hazuma氏はまだましなのかもしれないが。
  • okaikki
    でも世界の歴史を振り返って考えてみると、思想や哲学が「役に立った」場面って、たいがいロクな場面じゃないと思う。元来、学問なんてヒマを持て余した昔のギリシャ人が始めたモノ、思想も哲学も宗教も読書も、役にたたないからこその値打ちなんじゃねぇのかな。虚学の徒たるを誇るべし、無用の人は無用の道を貫くべし。
  • okaikki
    「坐禅をしたらどうなりますか」「別にどうもならん」「どうにもならないなら、なんで坐禅なんてやるんですか」「馬鹿者! どうにもならんからやるんじゃ!」なんて禅坊主の台詞、どこで聞いたんだっけ。未だに覚えてるんだが。
  • zetumu
    下手に禅の言葉は持ってこない方が良いですよ。禅の不生は最も眼前のものと向かい合う、というか眼前のものをありのままに受け切る入り口だから。中観をきちんと捉えずに禅の言葉を持ってくるとまず間違えます。
  • zhengping
    「○○の後には××は無力である」といったクリシェを紡ぐことと「そういう立派な説教はなにか成し遂げてから言ったほうがいいよ。」とが共存するところが人間は面白いものですな。
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