心の寓意として解釈する『まどか☆マギカ』
- crowserpent
- 8663
- 0
- 23
- 1
「ファンタジー(メルヒェン)としての抽象化」がうまくいっているかというと、けっして成功してはいないし雑ではないか、という印象はぼくは変わらないんですよね。そう「読み解く」ことは不可能でないにしても #madoka_magica
2011-04-26 07:41:39このポストに集約されるけど、表現があいまいすぎる作品は「作品の良し悪しは別として受け手同士の語り合いを困難にする」から好ましくない、という考えが強いのです Twitter / 魔法少女システムの仕組みがあいまい(複雑)なおかげで ... http://bit.ly/g2H3eA
2011-04-26 07:49:31いわゆる「お伽話」として親切に解釈しようとしてたのは田中ユタカ先生くらいだった。あのSFを寓話に読み替えるのは、正直いえば強引にならざるをえないとぼくは考えてるんだけど、それでも「幻想と現実の足し算引き算」から寓意を取り出そうとする人の少なさは、さすが男性的なオタク論壇だなと思う
2011-04-27 15:01:53SF設定を完全に捨象して、子供の心のドラマに読み替えることは不可能ではないし、物語はそうするべきだと思うが、作中の描写はかなり無視することになる。だから以下のシナリオが「表現されて」いるわけではけっしてない
2011-04-28 11:05:49願いの奇跡は、なんてことのない「ズル」や「自己欺瞞」だ。杏子は父親に言えないズルをして客寄せをしたんだろうし、マミさんはきっと友達を見殺しにして助かった自分を「悪魔と契約して救われた」とでも思い込もうとしたのだろう
2011-04-28 00:06:35魔法少女の終わらない戦いは、激しい罪悪感との戦いだろう。最初は、自己嫌悪と同族嫌悪と「自分みたいな人を二度と生み出さないこと」を正義に掲げてなんとか生きることができる。
2011-04-28 00:08:28しかし自己嫌悪と同族嫌悪の行き着く先は自己否定にしかならず、正義の意味も感じられなくなり、自分と世界の破滅を望むようになる。それが魔女。
2011-04-28 00:11:45杏子がエゴイストを演じるのは、父親にズルがバレて絶望しかけたのを防ぐためだ。さやかは……。ちょっと苦しいが、最初からケガは軽くて回復のメドがあった上條くんに、なんらかの暗躍で「もう楽器弾けないね」って思い込ませて看病タイムを愉しんでたのかな。バレはしなくても、告白はできないね
2011-04-28 00:17:12逆に、大きな罪を重ねることで過去の小さな罪がフラッシュバックすることだってある。それが卑弥呼やジャンヌ。たぶん、お父さんが大事にしてるクラリネットを壊したのを黙って隠したり、寒そうな小鳥さんを助けようとして電子レンジに入れたり、友達を裏切って自分だけ先生に褒められたりしたんだろう
2011-04-28 00:26:52ほむらの願いそのものは、「最後の良心であるまどかを守るために自分は自己欺瞞しつづける」というものだ。なるべく自分の「良心」が過去の罪悪と向き合わないように遮りつづけ、罪悪の領域(マミやさやか)が良心を誘惑してきたら遠ざけるなり、排撃する
2011-04-28 00:30:33奇跡を自己欺瞞に読み替えるというのは、『天使な小生意気』の……ネタバレになってしまうが「本人以外の世界すべてに魔法をかけるよりも、本人の記憶に魔法をかけた方がよっぽど簡単」の理屈を連想するといいと思う
2011-04-28 00:35:48そして、ほむらが必死に「最後の良心」たるまどかを守りつづけたおかげで、まどかは全人格中でもっとも「現実から目を逸して希望を持つ心」と「全人格を愛し救おうとする気持ち」を増幅させる結果となった。
2011-04-28 00:40:15ほむらが絶対に避けなければならなかったのは、この純粋であるがゆえにもっとも自己欺瞞が得意となってしまったまどかが「全ての罪をなかったことにする」という最大の自己欺瞞をやらかすことで、最悪の絶望へ至る道筋を作ることだ。本
2011-04-28 00:44:30本来はほむらだけが現実を背負って生きるつもりが、しかし当然、心の機能がほぼ全滅状態なのでまともに生きられるはずもない。絶対に勝てないワルプルギスの夜はそのタイムリミット。まぁ、鬱で登校拒否をずっと続けていたけど受験が迫ってきた…とかかな
2011-04-28 00:48:36ここまでどんづまって、最後に導かれる解決策がまさに力技で、「自分の心をなんでも騙せる」まどかの考えたのが「自分がどんな過ちを犯したって、幸せを願っていたならどれも間違いじゃないって思い込む。もちろんこの思い込み自体も間違ってないって思い込む。そう励ましてくれる超自我になる」だった
2011-04-28 01:00:30別にそうは描かれていないけど、いわゆる「偽物の思いでも本物だ」とか、「罪にまみれてもれっきとした結果は結果」に近い結論(思い込み)を自力で作り出したことになる。言葉にするのは簡単でも、この転向をするには相当の思い込みの力(それこそ神秘体験並の)が必要。しかし誰でも持つ力でもある
2011-04-28 01:06:43そして自分の「良心」は信仰対象のような超自我に格上げされ、良心を守ることで全人格も生かしていたほむらが主人格におさまる。さやかはきっちり失恋し、マミさんと杏子とともに、自己嫌悪としての魔女狩りではなく「悪い心」と戦って生きていく。歳をとらないのは、三つ子の魂百までってことですね。
2011-04-28 01:13:36これを一人の女の子の心のドラマ(人格統合劇)として見ることもできれば、脚本家の葛藤としても読むことができる。いったん寓意化された物語は、誰の心にも当てはまる抽象性を獲得するからだ
2011-04-28 01:16:47「たくさんバッドエンドを書いてきた後ろめたさ」と「最後の良心」、「最後の良心を守ろうとする意志」、そして「ただハッピーエンドにしても自分を騙しきれないし許せない」「ならバッドエンドの中で描いてきた希望そのものを肯定して自分も許そう」というトンチなどはすべてこの物語に重なるだろう。
2011-04-28 01:21:12ここまで行けば、現実に意味を与えることのできるファンタジーとして解釈できるし、SF設定も振り回されることもないし、キャラクター関係の描かれなさや、群像劇のしわよせから来る不満感や、タイトル詐欺なども意にせずドラマが成り立つことになる。だが、しかし。
2011-04-28 01:24:34