緑の座から「真水をくむ」ということ

豊穣の地を捨てあらたな場所へと旅立たねばならぬとき、その導となるのは透明な真水のような知   あるいは、寄り添い、ともに歩もうとする意志   そのとき縁(えん)は緑(りょく)となってより深い碧(あお)を示すのかもしれない 続きを読む
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イスーカワ @ishikawakz

かなりややこしいことに「班目春樹委員長は2日の会見で、「基準を下回ったら、あとは文部科学省は何もしません、という誤解を生むような発信をしていたら、福島県内の保護者が憤慨するのは当たり前だ」と述べ」 / 福島の保護者憤慨は当たり前…班目委… http://htn.to/9g12PR

2011-05-03 17:23:35
イスーカワ @ishikawakz

こういうときソーシャルワーク的なものが作動しないと変な気がするのだが。

2011-05-03 17:25:14
イスーカワ @ishikawakz

もし放射線による被曝の状況があらわになってきたとき、どのようなことが起きるかと考えると未知数で恐ろしいわけであるが、そうなのであるが、そういう状態を想定して議論をしなくては対策ができないのではないかと思うのである。

2011-05-03 17:28:59
イスーカワ @ishikawakz

放射線による被曝の金銭的な保障はもとよりであるが、被曝だけでなく、避難や恒常的なストレスによる生活や健康の障害のリスクは高い。またこれは津波災害の場所でも似た形で考えられなければならない。巨大な福祉的医療的ニーズが将来的に出る確率は大変高いと思われる。

2011-05-03 17:31:43
イスーカワ @ishikawakz

長い射程を持って未来の人びとへのリスクや危険やあるいは可能性というものをある程度念頭に置きながら、今できる現実的な問題で一番難しいのが危険地帯でどう過ごすか避難するとしてもそれをどうケアするかということだろう。官僚はこの作業をうまくできていない。

2011-05-03 17:33:44
m_um_u @m_um_u

というか、仕事の問題ですね QT ishikawakz: 長い射程を持って未来の人びとへのリスクや危険やあるいは可能性というものをある程度念頭に置きながら、今できる現実的な問題で一番難しいのが危険地帯でどう過ごすか避難するとしてもそれをどうケアするかということだろう。官僚はこの作

2011-05-03 17:35:02
イスーカワ @ishikawakz

まず大事なのは、「一緒に考えさせてください」と現地住民の人にお願いすることである。何の縁もゆかりもなくても、心配でありおせっかいかもしれないですが今後のことを一緒に考えましょうと、汚染が心配される地域の人々の語りかける作業が必要であった。今は責任の擦り付け合いをしているだけだ

2011-05-03 17:35:27
m_um_u @m_um_u

今日も話で出てたけど、宮城とか、福島でもそうだろうけどテレビなんかでとりあげられる「派手な」(という言い方は語弊あるが)被災地は救援とか持続的支援がある。でも、茨城みたいなところはぢみにダメージうけてるのに持続的支援がない。具体的には仕事がなくなっていくとです

2011-05-03 17:36:58
イスーカワ @ishikawakz

念のため注意。ケアというのは福祉的なケアだけではなくて生活支援のことです。労働やなんかも全部入るはずです。ケアってのは手当てをする、注意を持続させるという意味で考えてください。

2011-05-03 17:37:17
m_um_u @m_um_u

くりちゃんの障害者の問題でもそうだけど「派手な」障害者にはアファーマティブ・アクションが働くのに、ぢみだと現実的には「中途半端」扱いされる http://bit.ly/jxXh33 QT @m_um_u: 今日も話で出てたけど、宮城とか、福島でもそうだろうけどテレビなんかでとりあ

2011-05-03 17:38:15
イスーカワ @ishikawakz

残酷な話もしなくてはならない。当該地域がどれくらいの汚染を受けこれからも受け続けるか、その見通しの中で町が失われるということの現実性をしかし言いにくいことではあるが、様々な人が一緒に考えなくてはならない。

2011-05-03 17:39:01
イスーカワ @ishikawakz

ある地域で産業や生活が失われる、失われたということはそれに通じる他の地域の産業に持続的な損害を与え続けることだ。したがって、身の振り方についても今後さまざまな変化が北関東、東北のみならず生じると考えてよいと思われるがどうなのだろう。

2011-05-03 17:41:18
m_um_u @m_um_u

そして、アファーマティブ・アクションについていえば、弱者が弱者である権力を過剰に振るう問題、「過剰支援」 ← そこへの妬みと権力の発生(cf.野中広務ほか食肉産業問題)、または「弱者」のラベリングの問題が生じてくる

2011-05-03 17:41:48
m_um_u @m_um_u

それは皮肉っぽいけど、ぢみに現実的問題です

2011-05-03 17:42:25
m_um_u @m_um_u

それとは別にディアスポラというか、故郷を捨てる問題というのはぢみにあります。これは、(まあ明らかになってないので放言ですけど)、契約(コミットメント)の心理と関わるように思います。制約と誓約

2011-05-03 17:44:11
m_um_u @m_um_u

感情的なものだろうけど、土地とかなんらかのものに対して、心中で契約的な関係を結び、それを内部規律として取り込むことによってひとは力を得ます。それは、ある方向に過剰ドライブすれば暴力になるだろうけど、だいたいにおいては生活における規律と心的安定→ 成長として効用となる

2011-05-03 17:45:41
イスーカワ @ishikawakz

人間はハイマートな存在で云々というのがあって、大阪の私にはあまりわからない感覚なんだが(というのは地場産業的な結びつきがないので)地方の古い町村は過疎化しつつもそういう地縁とかいったものがまだ感じられているのかもしれないなと思う。

2011-05-03 17:46:51
m_um_u @m_um_u

極端なことを言うと、かなり過剰に契約としての内部規律を内面化した場合、身体にも影響が出る。生まれた土地だけではないんだけど、自分が魂の契りとして結んだ規範に背くようなことをした場合、真面目な人ほど人生に狂いが出る

2011-05-03 17:47:32
イスーカワ @ishikawakz

私の親が生まれた四国なんかもそうだけど親は四国から大阪に出てきているわけで。あの世代は大量に地方から都市部に人口移動したわけで。人口移動したってことは人口移動された地域はダメージを受けている。そういうのが何十年も続いた。

2011-05-03 17:48:15
m_um_u @m_um_u

身体にも影響が出る、というのはわかり易い例で言えば痩せたり、健康を損ねたりします。 その前段階として、たとえば当人が特定の魂の契りに対して自分の人生が「堕ちた」と自認した場合、その後の人生にも影響が出ます(cf.自暴自棄)

2011-05-03 17:49:11
イスーカワ @ishikawakz

原発の建設は恐らく70~80年代が一番盛んだったと思うので、それはホントに人口が都市にどんどん移動して、その自治体や集落が自律的に成り立つ力を失い始めたときに忍び込んできたものではないのかと。

2011-05-03 17:49:52
m_um_u @m_um_u

土地を捨てる、というのはそのなかのひとつで。土地になんらかの心理的コミットをしている人の場合けっこうダメージはあるだろう、ということ。外部からは推し量れないほどに。

2011-05-03 17:50:47
m_um_u @m_um_u

それとは別に、土地とのコミットを相対化してる人もいますし。特定の土地を離れたとしても新たな土地や関係との再契約という道もある

2011-05-03 17:50:53
イスーカワ @ishikawakz

六ヶ所村の映画でもそうで、あるいはダム建設もそうなんだけど、国の方が地方を再生させるプランがなくて、原発を押し付け続ける。地方は高齢化して参ってしまう。また都市を中心に消費社会が成立するとそのエネルギー消費に半ば強引に押し込む形で原発がその地歩を固めてしまったとはいえないか。

2011-05-03 17:52:53
@surumeno13

濃いサッカーファンは、世界的にそういう傾向かもRT @m_um_u 極端なことを言うと、かなり過剰に契約としての内部規律を内面化した場合、身体にも影響が出る。生まれた土地だけではないんだけど、自分が魂の契りとして結んだ規範に背くようなことをした場合、真面目な人ほど人生に狂いが出る

2011-05-03 17:53:14