- soramame002
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私は「プログラミング教育を公教育に導入することで、1000人に一人くらいトッププログラマーが生まれる可能性もある」という言説が大嫌いです。999人どうすればいいの? 同様に「『山月記』を公教育で課すことで、1000人に一人くらい次の文学を生む可能性がある」という言説も大嫌いです。
2019-01-25 09:23:05これは「山月記」を「微分」(数学)といっても同じことです。 「1000人に一人の数学者を出すために微積が必要」と、もしも数学会や数学者が言ったなら、それも私は同様に「大嫌い」といいます。 (元数学会教育委員長として、数学会は決してそんな愚かなことを言わないと信じていますが。)
2019-01-25 15:49:24早速注文しました。 やっぱり「なぜ山月記なのだろう」という疑問を持った方が他にもいたんですね。 私も「国語教育の装置として選ばれた『山月記』という存在」にずっと疑問を持っていたので。
2019-01-29 16:54:10山月記への疑問として、まず(例えば芥川の羅生門や蜘蛛の糸に比べて)ディテールの圧倒的欠如を挙げたい。 どんな毛並みの虎なのか、どんな叢、どんな山道なのかさっぱり書いていない。
2019-01-29 16:58:18次に、余白の欠如。李徴が、余白なく、経緯も理由も、あるべき反応も反論も、悉く自分で喋り尽くしてしまうこと。それが非常に一本調子であり、陰影に欠けるところ。(羅生門と比較するとわかる。)
2019-01-29 17:04:53けれど、筋書き自体は非常にわかりやすい「青春の蹉跌」話なので、種明かしをされればみんな読んだ気持ちになれる。 が、筋書きを知っている=読んだ、は実は文学の衰退を早めるのではなかろうか。
2019-01-29 17:09:32そして、極め付きが「なぜ、李徴の書いた詩はどこか微妙な点でかけているのか」に安易な答えが用意されているところ。
2019-01-29 17:12:12「駄作だから国民教材」としてふさわしくない、と言ってません。 いくらでも他に優れた作品がある、という根拠を示した上で、なぜこの作品が国語B100%の採用率なのか。それは「山月記」を外すと採択率が下がるという事実があるからです。では、国語の先生はなぜ「山月記」の有無で採択を決めるのか。 twitter.com/camomille0206/…
2019-01-31 09:37:29という李徴の言明を根拠に「協調性や社会性を失っては怪物と化す」という平板で凡庸な道徳を導入し、読みの多義性を逼迫させる教育の国家装置的ありかたこそが批判されているのではないのだろうか。「駄作だから国民教材にふさわしくない」という主張とはぜんぜん違う。どうもそこからズレがある。
2019-01-31 00:41:41RSTの結果から考えて、高校生は自力では特にファサード(冒頭漢文調)部分は読めないです。先生の「導き」と「種明かし」(筋書き)の提示がなければ。 つまり、「山月記」は、(こんなに教科書の文が読めていない実態の中で)「国語を教える(週5回)」とは何か、を考える過程で象徴的な「何か」かと
2019-01-31 09:45:26この「(反論を一切許さない)信じがたい圧倒的な支持」は、国民教材としての「山月記」が装置として巧妙に機能しているということだと思います。大変興味深いではありませんか。 もし、柄谷行人以降の文学部が「装置としての『山月記』」について検討していないとしたらそれは勿体ない。
2019-01-31 09:52:27だいたい「国民教材」ということ自体が、異様です。 ある文学作品が「国民教材」で、それに誰かが「あれはわからない」「あれはそれほど良いと思えない」と言うと袋叩きに合う教材。 国民、って、誰? 李徴への共感を強要される国民、って何? それはきわめて危険な教材ではないでしょうか。
2019-01-31 10:00:581.私は自分の「山月記」の好き嫌いを主張していませんし、あなたが「山月記」を好きかどうか聞いていません。 2.私は「山月記」が国語Bで100%採用されている一方で、高校生の多くが教科書が読めていない実態を示す数万のデータを持っており、国語とは何をする科目なのか不思議に思っています。
2019-02-01 09:18:453.まず、素直に私が疑問に思うのは、地理や簡単な算数の文章題を読めず、自力で記述式問題の採点ができない生徒に接しながら(それらは皆日本語で書かれているわけですが)中高の、特に高校の国語の先生は、自分ごととして、心が痛まないのだろうか、ということです。
2019-02-01 10:04:214.記述式の問題の丸つけができるようになる、観察したことを正確に表現する、手順を正確に理解したり表現できる、箇条書きとはどのように箇条すべきか、そういうことを多くの高校生ができない、という現実があります。そして、それによって進路が左右される。
2019-02-01 10:08:535.その事実を突きつけられても、小説に触れる時間を削減するな、とのご意見が今広がっています。その旗頭が「山月記」も読まない高校生でいいのか、なので。疑問をあげました。以上です。
2019-02-01 10:10:406.私は小説を減らせ、とも言ってません。テクニカルライティングを増やせともディベートにしろとも言ってません。 現実を見て、自分ごととして「何かすべきことはないか」と問わないその気持ちがわからない、というだけ。
2019-02-01 12:10:007.今後、日本語を母語としないより多様な生徒を日本の学校が受け入れていく状況の中、伊藤氏貴氏の「中島敦『山月記』や漱石『こころ』のような、日本人なら誰でも読んだことがある文学作品が、契約書やグラフの読み取りに取って代わられる」と「伝統的国語教育の危機」を煽る姿勢は、ただ空しい。
2019-02-01 15:16:558.ちなみに私は文学少女でした。文学も演劇も大好きです。そして大学院の副専攻はピアノです。でも、そのこととこの議論になんら関係はありません。 私は、自学自習ができる生徒を育てること、望む進路に進めること、望む資格を取得して夢を実現できること、を最低限教育で保証したい。それだけです
2019-02-01 15:29:119.「提案が何もない」とのご批判がありましたので、袋叩きに合うことを覚悟で書いてみます。 小中高校の国語の時間の半分は、それ以外の教科の教科書を日本語で書かれた題材として読解する、という時間に充ててもよい、ということにしてはどうでしょう。(「必ず充てる」ではなく、充ててもよい)。
2019-02-01 15:51:1410.伊藤さんも紅野さんも、あまりに「契約書」を軽んじています。契約書を読めるかどうかで「命をつなげるか」や「自分を守れるか」が直接左右されます。 憲法は当然のこと、必要に応じて生活保護を申請し、AV強要契約を拒否できるか、そのための基礎読解力は、生徒にとってライフラインです。
2019-02-01 17:36:31@gorotaku ご意見、拝読させていただきました。本来は義務教育で読めるようになる「べき」なわけですから、仰る通りです。また、数学も「原点を通る円」を正しく選べない中学3年生が8割もいるのですから批判は免れません。 だからこそ、1000人中999人ができないものをただ押し付けるのは、どれも嫌いと書きました
2019-02-01 18:19:54@gorotaku 私としてはそのような中で「山月記」が100%採用率を誇っている原因を知りたかったのです。山月記は「たった一作品」ではなく、「城の崎にて」等が消えても絶対的地位を誇っている教材です。何度も読み返して考えているうちに、それは、都合がよいから、が理由ではないかと思うに至りました。
2019-02-01 18:32:00@gorotaku その部分について、明確な数字的根拠がない、ということは認めます。 ただ、冒頭の数行を読める生徒は極めて少ないと思います。「山月記」を読んだはずの高校2年生後半で狷介等の語彙の単語親密度を測ると身についたのか、それともあらすじを覚えているだけなのか推定できるかと思います。
2019-02-01 18:57:30