ではtwitter読書会開催です!お題は舞城王太郎「好き好き大好き超愛してる。」です。では各々お願いします! #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:01:58というわけで読書会ツィートをば。好きなシーンは美世子ちゃんが「メタカ」に怯えて泣いちゃうシーンです。このシーンにこの物語がどれだけ救われてるか。 #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:02:02さっそく第一声!RT @tsukushi_k: というわけで読書会ツィートをば。好きなシーンは美世子ちゃんが「メタカ」に怯えて泣いちゃうシーンです。このシーンにこの物語がどれだけ救われてるか。 #tw_dokusyokai #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:03:58ここは自分も一番好きなシーンっ RT @tsukushi_k: というわけで読書会ツィートをば。好きなシーンは美世子ちゃんが「メタカ」に怯えて泣いちゃうシーンです。このシーンにこの物語がどれだけ救われてるか。 #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:07:05物語は批評にさらされて、分解されて、形式や構造になっちゃう。でもそんな事知らない女の子が、理性じゃなくて感情の部分でそれに怯えちゃうっていうのは示唆的、つーかもうこれが批評的なんだけど、とにかく初めて読んだとき涙が出たのはここだった。 #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:09:10「好き好き大好き超愛してる。」には4組の男性と女性が出てくる。女性たちはそれぞれ別の形で亡くなってしまう。その亡くなっていく女性たちに向かい合った時の男性の「祈り」を描いた作品であると思う。 #tw_dokusyokai #ume_kansou
2009-12-01 00:20:09あとこれは読解としての問題なんだけれど、「柿緒」パート以外を治の書いた小説と解釈するのか、あえて違う読み方をするのか、とかでも読み方が変わってきそう。色んな意見見たいなー #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:23:10私は前者の解釈をしています QT @tsukushi_k: あとこれは読解としての問題なんだけれど、「柿緒」パート以外を治の書いた小説と解釈するのか、あえて違う読み方をするのか、とかでも読み方が変わってきそう。色んな意見見たいなー #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:24:46ある大きな「世界」があって、それが断片化したものが夢で、その夢は一人しか見ていない。という構造から浮かんだのは、 ツイッターが世界だとすると、タイムラインは各自しか見てない夢のようなものだ、という事だ #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:25:03あとこれはどうでもいいこと。ASMAってネーミングが東浩紀へのあてつけにしか見えない(笑) まぁどう考えても邪推なんだけどw #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:25:52どれがメインってわけじゃないんだろうけど、いくつか入ってる話の中で一番印象が強いのは夢荒らしの話で、あの主人公がミスターシスターを殴るシーン。あの時ツトムは夢と現実は一つの世界だという自分の考えを否定しようとしたんだと思う。 #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:30:21@rigyaku 確かに「リアルな女の子」っていうよりかは、メタ化を拒否する感情を具現したキャラクター、っていう感じは否めないですねー。でもだからこそ読者的にはバッチリ感情移入しちゃって泣いちゃう、というか。 #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:31:48作品元ネタ「好き好き大好き」からは愛を伝える事の不能性を読み取る事が出来るが、恋愛に限らずコミュニケーションとは届くか分かぬ郵便を送り続けるような不能性を本質的に抱えている。それを前提とした上で、それでも届いて欲しいと思う事。言葉に出す事。それは祈り #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:34:20「ただひたすらこのとき、お互いが本当に思っていることを言いたいように素直に言っただけのことである」 この言葉があるから薄っぺらく見える題名も「その瞬間の」真実味をもって感じなきゃいけない。この言葉のせいで逆にあらゆる描写が正当化されちゃう気も・・・ #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:35:49ミスターシスターが妙子を連れてこられなかったから、自分の好きな相手が世界にいないと思い、ミスターシスターを否定して、夢と現実は違うものとして、夢の中だけでも妙子の存在があることにしたかったんじゃないか、と。 #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:39:29ミスターシスターが妙子を連れてこられなかったから、自分の好きな相手が世界にいないと思い、ミスターシスターを否定して、夢と現実は違うものとして、夢の中だけでも妙子の存在があることにしたかったんじゃないか、と。 #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:39:29@catekin 素直に読めばそうなりますよねー。しかしそのメタレベルの構造の距離感とどう折り合いをつけるかも読み所。きっと石原慎太郎がこの小説を読めなかったのはそういう読み方をする小説の読み方を知らなかったから。 #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:41:18@taninsw 他者はわからない、他者も自分の本当の気持ちはわからない、いくら愛し合っても「神」=運命?には勝てない。全体を通して不能性というか「ないない尽くし」です。もううっちゃって祈るしかない!愛なんだ、言葉なんだ!っていう感じですかね。 #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:42:42∑あれは治の小説だったのか!となりました…。 QT @tsukushi_k: あとこれは読解としての問題なんだけれど、「柿緒」パート以外を治の書いた小説と解釈するのか、あえて違う読み方をするのか、とかでも読み方が変わってきそう。色んな意見見たいなー #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:45:53もちろん作中で明示されてないし、この読み方が正しい保証もないのです。とりあえず、あれを柿緒への「祈り」の形、と解釈するとスッキリするというだけで。物語はもっと自由に読まれていい! RT @hoonoki: あれは治の小説だったのか!となりました…。 #tw_dokusyokai
2009-12-01 00:53:57