ベルセルク

人は、 イドの子として受肉し、 赤い帳を経てまた闇に還る。 死の耽溺は母なる闇への回帰に似て、 続きを読む
2
m_um_u @m_um_u

ベルセルクは、プロトタイプの発想からしても、本当は13巻の触が描けたらおわるような作品だったんだと思う。なのであれがベルセルク第一期 1st

2011-05-08 09:00:33
m_um_u @m_um_u

そこから立ち直っていくガッツを描くんだけど本格的に内省した描写、作者もかなり悩んだことが伝わってくる描写は17巻。ここはたぶんあまり評価されてないと思うんだけど、あそこの自省・思考が作品全体の屋台骨になってる。なので13~17巻までがベルセルク2nd

2011-05-08 09:02:01
m_um_u @m_um_u

2nd終了直前の妖精の女王偏もよく描けてた。わなび少女と魔女な話に似てる

2011-05-08 09:03:50
m_um_u @m_um_u

そんで断罪の塔に向かい第二の触(触の現世への相転移)を描いてるまでがベルセルク3rd。巻数でいうと18~ ( ^ω^)・・・25ぐらいだっけ?(断罪の塔がくずれてグリフィスはどっかとんでっちゃうところまで)

2011-05-08 09:05:40
m_um_u @m_um_u

いまは4thで、そもそも触とは?、ということを外縁から描きつつ世界の理まで踏み込もうとしてる。グリフィスをメシアに見立ててしまったので必然的に?というか結果的にかガッツは仏道の菩薩行か修羅かなんかに。いまはわりと菩薩に近い、けど自分で阿修羅とかまとってたたかう

2011-05-08 09:07:26
m_um_u @m_um_u

キーテーマは三位一体。それが真夏の夜の夢の妖精の島を舞台として展開される。あるいは妖精の島でその謎に近いところまでいき、現せではほぼ無敵と化したグリフィスに対峙する。

2011-05-08 09:10:01
m_um_u @m_um_u

キーは三位一体の「l子」部分。グリフィスであり、キャスカとグリフィス・ガッツの子であり、ガッツとキャスカの再生の象徴でもある

2011-05-08 09:10:06
m_um_u @m_um_u

肉としての「子」、魔(神?)の子の子として霊性をそそぎこまれた一つ目の嬰児とは別に、精神体に近い存在の子がガッツとキャスカに近づく。 精神体が肉にどう還るか(宿るか)、も見せ場の一つとして、描写が大変そうなところ

2011-05-08 09:12:25
m_um_u @m_um_u

というわけで特に「無駄」はないのだよ。単にテーマ上適切な場面を描くためのゲージが溜まってないだけ

2011-05-08 09:15:21
m_um_u @m_um_u

特に断罪の塔偏はよくできてたな( ^ω^)・・・あれはそのまま神曲かなんかではないかな? そして、スピンアウトとしてのファルネーゼとセルピコの話の心理描写が特によく描けてた。 少女漫画的な心理描写をどこからか吸収していったのだよね三浦建太郎は

2011-05-08 09:17:14
m_um_u @m_um_u

というか、物理的にはグリフィスはガッツとキャスカの子として受肉してる。でありながら、精神体としてはグリフィスのほうが父の立場に近い。三者が三者とも親であり子である関係を成している。

2011-05-08 09:40:55
m_um_u @m_um_u

あたりまえだけどベルセルク全体がファウストでありニーチェなんだよ

2011-05-08 09:53:40
m_um_u @m_um_u

ベルセルクの四方の陣のイメージはあらためてすばらしい描写ですね (ΦωΦ) あれこそ霊感的直観かな?

2011-05-10 03:02:55
m_um_u @m_um_u

三浦建太郎はそういう方面たぶんトップレベルで高まってると思う

2011-05-10 03:03:10
m_um_u @m_um_u

基本知識としてはグノーシス系新プラトン派だけど、彼自身が、たぶん掴んでいったんだと思う

2011-05-10 03:04:01
m_um_u @m_um_u

そして、あれがあるからこそ、あの作品が呪われたものであることから、解き放たれていった

2011-05-10 03:04:28