子供に異文化への態度を教育する時「嫌いと考えてはいけない」「嫌いと思っても言ってはいけない」どっちが『正しい』?
「「英国人の子どもが、醤油の匂いを嫌う権利」はあるか〜cdb、青識亜論両氏の議論を軸に」をトゥギャりました。 togetter.com/li/1340430
2019-04-22 06:03:10児童にする指導として、「見知らぬ異文化を嫌いと考えてはいけません」と「嫌いと思っても言ってはいけません」だとどちらのほうが「正しい」んだろうか
2019-04-21 11:47:54私は内心の自由を重視するので「考えてはいけません」という言い方に強い反発を覚えるのだが、「考えるのはいいが直接言うな、うまくやれ」というのは別の歪みを呼びそうではある
2019-04-21 11:51:31@stdaux 「見知らぬ異文化にはそれなりのわけがあるので、嫌うならまずそれを知りましょう」ではどうでしょう。
2019-04-21 11:51:01@stdaux 「分からないから嫌うのは止めよう」じゃないですかね 知ってから嫌う(苦手)は無理やり直させるものでも無いですし
2019-04-21 11:53:40@stdaux どちらか一方なら後者優先じゃあないかと思います。 まあ、前者も「詳しく知りもしないで食わず嫌いするのはもったいない」というニュアンスなら別に矛盾はしないかと。
2019-04-21 11:55:27@stdaux 「お前は嫌いという自由がある。だが言われた相手にはお前に決闘を申し込む権利がある」なんかだと素敵なんですけども。
2019-04-21 12:01:54@stdaux 後者は明らかに言論の自由を封じているし、むしろ嫌いであることを表明することが好ましい状況すらあるから完全に悪手。前者は思想の自由を封じているように見えて、実のところ適切な条件付きの封じ手なので問題はない。好きではないけど消去法で選ぶとしたら前者に利がある。
2019-04-21 12:03:01@stdaux 「見知らぬ異文化を嫌いと考えたり言うのは個人の自由だからいいけど、それを好きな人もいるから、他の人に強要してはいけないよ」かなぁ。
2019-04-21 12:13:48@stdaux 後者ですかねぇ。好き嫌いを持つのは人間ですし仕方ない事ですが、それを口に出す時と場所には気を遣いなさい、と思います。
2019-04-21 12:27:54@stdaux 前者は違和感を嫌いと定義する前に見直す必要がある、後者は思うことは自由だけど黙れとする、で、前者が正しくはありますが指導者に悪意があれば洗脳や混乱させることも可能かなとも思います。後者であれば内観はなしで言わないけれど態度なり措置に出てもいいという扱いも出うるかなと思いました
2019-04-21 13:50:24@stdaux 法学的には嫌いだ発言もワンチャン位なら許されないとダメでしょうけど、 こと教育となると悩みまんな。 狭い社会で顔を合わせるからには言うな思うなは両方覚えさせるしかなさそうです。
2019-04-21 13:54:19@stdaux @kokogaga 違う文化もあるということを受け入れましょう。 好き嫌いがあるのは仕方がないけど、自分が嫌いな文化を好きという人がいることも忘れないようにしましょう。 が私的な理想。
2019-04-21 13:59:55@stdaux 「嫌い」と思うことは理屈ではないので仕方ないことだけれど、相手には相手の故あってのことなので、「嫌い」と言われて嬉しい人はいないのだから、頼まれもしないのにわざわざ言いに行くのはやめてあげましょうねというくらいでしょうか・・たとえ嫌いでもそれなりに尊重することが大事かなと。
2019-04-21 14:22:29@stdaux 嫌いと考えたり思ったりする自由を万人が持っていると思うが、それを他者に表明する自由は誰も持っていないのではないか。つまり前者は誤りであり、後者は正しいと言いたいところだが、「嫌いと思っても大声で言ってはいけません。」・・・かな?
2019-04-21 14:52:38@stdaux 嫌いは嫌いでしゃあないから、二者択一なら後者では? ただ、違うというだけで嫌いになってはいけないよ。世界は君とは違うものしかないのだから 。と補足したいですね。子供に実感が伴うのかは分からないですが。
2019-04-21 15:07:25@stdaux 「好き嫌いは個人の自由です。でも、その異文化の中で生きる人達のことは尊重しなければなりません(=嫌いだということを、学校での生活やお仕事の中に持ち込んではいけません)」ではどうでしょうか。
2019-04-21 15:48:14