シュタイナーって発達心理的にどうなの?( ´д)ヒソ(´д`)ヒソ(д` ) (仮)

Togetter - 「とーごーさんの「ヴィゴツキー入門」感想」 http://togetter.com/li/134749    ( ゚Д゚)<シュタイナーとかモンテッソーリってなんか「(゜д゜)<あら良家の坊ちゃんは銀の匙ならぬ黄金色のランドセルと木製のおもちゃをもらってうまれてくるのだわ!」的な腐臭がただよってびみょーなんですが、、、   続きを読む
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m_um_u @m_um_u

やっぱ7年期だよ( ^ω^)・・・ 発達心理的にはどうですか?>7年区切り  @TOGO_Masanaga / シュタイナー教育の教員資格-シュタイナーとモンテッソーリ幼児教育 http://htn.to/3hhswY

2011-05-16 16:03:28
m_um_u @m_um_u

ピアジェとヴィゴツキーの違い、的な? >例えば、両者とも幼少期の教育を大事にしていることは共通していますが、シュタイナーは「7歳までは夢の中」と主張し、想像の世界で遊ぶことを優先しています http://bit.ly/m0re2x

2011-05-16 16:05:44
m_um_u @m_um_u

( ^ω^)・・・そんで「モンスター」(浦沢直樹)問題だよ

2011-05-16 16:07:23
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga ついで つ QT ピアジェとヴィゴツキーの違い、的な? >例えば、両者とも幼少期の教育を大事にしていることは共通していますが、シュタイナーは「7歳までは夢の中」と主張し、想像の世界で遊ぶことを優先しています http://bit.ly/m0re2x

2011-05-16 16:12:50
東郷正永 @TOGO_Masanaga

@m_um_u 覚えてないので調べました。ピアジェは0~2才までを「感覚運動期」2~7才「前操作期」7~12才「具体的操作期」12才以降「形式的操作期」としてます。

2011-05-16 16:15:57
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga その場合は内部に置いてどのような構造変化が想定されてますか?シェマがゲシュタルトみたいな感じになってうにうに、っと?あと、つづき つ http://bit.ly/lmM2pW

2011-05-16 16:17:39
東郷正永 @TOGO_Masanaga

@m_um_u ヴィゴツキーの発達段階説はちょっと独特なのでまず説明。彼は段階があがる前には「危機的時期」という時期があると考えました。「新生児の危機」を抜ければ乳幼児に、「1才の危機」を抜ければ幼児に、という考え方です。そして、1才・3才・7才・13才に危機があるとしています。

2011-05-16 16:18:01
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga ( ^ω^)・・・にゃるほど。それは「社会化」の圧迫に依る危機意識ということですね?

2011-05-16 16:20:26
東郷正永 @TOGO_Masanaga

@m_um_u ピアジェの発達理論の根幹は、弁証法です。まずシェマがあります。そしてこのシェマでいろいろと認識しようとします。しかしうまくいかなければ、シェマの方を変更します。こうして、シェマと認識が一致することが発達です。これを繰り返すことで、発達段階があがります。

2011-05-16 16:26:55
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga うむ、うむうむ。 >おぼろげなシェマと現実の弁証法で発達段階を上げていく

2011-05-16 16:29:47
m_um_u @m_um_u

そいやシュタイナー関連で3冊ゲットしたので、また近いうちに @TOGO_Masanaga@sunnyfunny99 にまとめてなんか聞けると幸甚。いちおザラッと目を通しときます m(_ _)m

2011-05-16 16:34:48
東郷正永 @TOGO_Masanaga

@m_um_u ヴィゴツキーの場合は、発達は「心の構造」と「発達の社会的矛盾」との解決とみます。僕もそんなに詳しくないのですが、単純に社会化といってしまうと、発達に自律性と社会性の両方を見るヴィゴツキー的には少しずれるかと。

2011-05-16 16:34:57
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga ああ・・・ヴィゴツキー的には<社会>を単なる外部の( ゚Д゚)<わるものー的に見ているのではなく、社会性と個人的感覚の弁証法全体を「社会化」として肯定的に捉えている、って感じしょうかね?

2011-05-16 16:37:36
東郷正永 @TOGO_Masanaga

そんな感じだと思います。 @m_um_u 社会性と個人的感覚の弁証法全体を「社会化」として肯定的に捉えている

2011-05-16 16:43:15
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga ( ^ω^)・・・そのへん自我とか超自我とか関わってきそうですね。あれはおぼろげなのでちゃんと記憶してませんが、一回設定されたらそれっきり、ってモデルに成ってるような・・・。わたしあれは通過儀礼段階(シュタイナーだと7年期)に再構成されると思ってる

2011-05-16 16:44:18
東郷正永 @TOGO_Masanaga

フロイト=ラカン的な発達は、去勢がキーワードですからチンポ切られるのは一度っきりですね当然。ただしラカンは女性の場合は一度っきりでもないようなことを言ってますね。 @m_um_u 自我や超自我

2011-05-16 16:47:26
東郷正永 @TOGO_Masanaga

@m_um_u なので、教育の介在に関してはヴィゴツキーがもっとも重視しています。このあたりは、1930年代のソ連って感じぷんぷんですね。一方ピアジェは構造主義者なので、もう少し自律的に発達を捉えてます。フロイトは親との関わりだけを見るのでちょっと特殊。

2011-05-16 16:49:19
東郷正永 @TOGO_Masanaga

ぜひぜひ。こう見えても教育学部出身です!教職は取ってないけどw @m_um_u @sunnyfunny99 シュタイナー関連

2011-05-16 16:51:46
東郷正永 @TOGO_Masanaga

@m_um_u という訳で、ピアジェもヴィゴツキーも、7才を一つの区切りにはしています。しかしこのあたりは西洋の「子供」という概念のとらえ方に影響されてるような気もします。そもそもピアジェは、発達段階ということが大事なんで、具体的年齢はどうでもいい、あくまで目安という態度です。

2011-05-16 16:53:23
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga 嗚呼・・・ >1930年代のソ連。 それでちょっとつぶやいた「モンスター」(浦沢直樹)問題ですよ。勘としてはシュタイナーのほうがエリートチックでちょっと不安だったんですが、そういわれるとヴィゴツキー≠モンテッソーリと仮定すると( ^ω^)・・・

2011-05-16 16:53:37
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga 7歳・・・はたしかにびみょーですね。エレメンタリースクールの開始段階に対応 ← それは社会的にとりあえず設定された ← ヴィクトリア朝以降の「子供」の設定、でしょうしね。なので自分の感覚を頼ると( ^ω^)・・・わたしその辺のグリップ弱いのであれだな

2011-05-16 16:56:28
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga 自分がそのあたりで「変わった」と思った記憶は小学三年生ですね。したがって9歳ぐらい。あの頃までは松本大洋で表されてるように世界の王様感覚がつよくて死も怖くなかった。 ほかのひとに聞くと二歳で言語化されてく時の記憶がある、とかいうけど

2011-05-16 16:58:35
東郷正永 @TOGO_Masanaga

ヴィゴツキーは、最近接領域といって、子供の自発性をまたずに大人が教育することを推進しますけど、でもその領域はきちんと大人が把握しなきゃいけないから、実際の教育手続きは、ピアジェの臨界期、モンテッソーリの敏感期とそうは変わらない気がしますけどね。言い方が旧ソ連っぽいだけでw

2011-05-16 16:58:36
東郷正永 @TOGO_Masanaga

僕はいきなり言葉が全く通じない国に引っ越すという経験が強烈すぎるので、ずばりイギリスに行った6才ですね。 @m_um_u 9歳ぐらい。あの頃までは松本大洋で表されてるように世界の王様感覚がつよくて死も怖くなかった

2011-05-16 17:00:23
m_um_u @m_um_u

@TOGO_Masanaga んー( ^ω^)・・・じゃあやっぱ個人の環境に依るでしょうのぅ。。「親」とか、その外縁としての「環境」みたいなの

2011-05-16 17:03:36