批評家と他者の作品

他者の作品に対する批評家としての佐々木敦は何をするのか。 生徒に対する先生としての佐々木敦は何をするのか。 面白い話と思ったので、まとめさせていただいた。
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佐々木敦 @sasakiatsushi

生徒に対してだったら、現時点でその作品がどんなレベルであろうと、まずは頑張れよと言うし、求められれば僕なりに相談に乗ったりもする。けれど批評家としては、僕は常に出来上がったもの=作品を僕的に評価するだけで、こうすればよくなる、というようなアプローチはしないし、頑張れとも言わない。

2011-05-29 11:41:14
佐々木敦 @sasakiatsushi

これが自分にとっての、いうなれば批評家であることと、先生であることの違いだ。どちらにしろ表現をして作品を作っているのは僕ではない誰か、他者である。まずはその人自身の納得と、それに向けた研鑽だ。どうしたら自分が納得できるのかわかるようになるための思考と試行だ。

2011-05-29 11:43:42
佐々木敦 @sasakiatsushi

だが、当たり前のことだが、それは僕のものではない。僕がするのは、そうして出来上がったものを、僕がどう思ったか、を言葉にすることだけだ。もしも「自分ならこうする」「自分的にはこのほうがいい」とか思うのだったら、真っ先にまず自分で作ってるだろう。

2011-05-29 11:45:20
佐々木敦 @sasakiatsushi

だから批評家として接することと先生として対することは違う。ところが、あたりを見回すと、この違いをごっちゃにしてしまっている人は結構多い。あたかも細かいアドバイス=ダメ出しが批評であるかのような勘違いと傲慢。そしてそういう者は往々にして批評対象とズブズブの関係になりがちである。

2011-05-29 11:48:51
佐々木敦 @sasakiatsushi

そういうひとはわれわれが他者同士だということをわかっていない。しかし弱気な作り手は、ついついそういう人をこそ求めてしまう。まるでそういう接し方が、自分を理解しようとしてくれているがゆえであるかのように。僕はそういうのは傍で見てても気持ち悪いし、自分は出来るだけコミットしたくない。

2011-05-29 11:51:44
佐々木敦 @sasakiatsushi

つまり、他者に仮託して自分の表現をしようとすることは、批評ではない、ということである。

2011-05-29 11:56:10