ishitakuma企画案「(仮)視ることと読むこと」

TL上で展開されたリンクから見えてくる展覧会のプラン(継続中)
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Takuma Ishikawa @ishitakuma

一つのダブルスタンダード 資本主義に迎合しつつ専門家を煙に巻くこと=キッチュのコピペ濫用という手法=欧米型現代美術。その不毛さに対する学習意欲の低迷が、素朴な衝動回帰=日本回帰を生んだといえる。が、この現象もまだ作品を分析させる意思にまでは至っていない。とするならどうするべきか?

2010-04-17 02:18:23
Takuma Ishikawa @ishitakuma

もし、僕がオーガナイズ、あるいはキュレーション的なことをするとしたら、どのような展覧会を企画するかという話。

2010-04-17 02:19:51
Takuma Ishikawa @ishitakuma

おそらく、“視ることと読むこと”の再考を問う、それを一つの軸としたいと思う。

2010-04-17 02:21:29
Takuma Ishikawa @ishitakuma

これはもちろん党派制に訴えかけるようなものではない。かといって、美術の本質主義の問題でもない。たとえば、電子書籍やウェブと本や紙媒体で文章を読むことの違いについて、フェティシズムとは違う形式的な考察。それは何とは確定できないにせよ、感触の違いがある。

2010-04-17 02:25:41
Takuma Ishikawa @ishitakuma

もう一つ。たとえば、1995年に「視ることのアレゴリー」という展示があったが、こういった展覧会のタイトルが機能しなくなってしまったことはどういうことか?

2010-04-17 02:29:03
Takuma Ishikawa @ishitakuma

その意味で絵画や彫刻という枠組みを超えて、それが閉じたもん体系として認識させないためにも、視ることと読むことをテーマにした問題をやるべきだろう。またそれは、フォーマットの問題ではなく、美術と文学あるいは詩の問題の再考を意味するものでもある。

2010-04-17 02:31:53
Takuma Ishikawa @ishitakuma

以前ツイートしたが、文学的という言葉を再考する必要もあるはずだ。モダニズム的流れとしてはわかるが、美術ではすでに茫漠としたものであるにもかかわらず文学的という印象を安易に否定的に語りすぎてきたところがあるのではないか?

2010-04-17 02:36:55
Takuma Ishikawa @ishitakuma

たとえば、絵画や彫刻というものと、テキストの作品をぶつけてみること。そこに不可避的に批評性を導入すること。視ることと読むことの不可避性を意識させること。絵画や彫刻に歴史が前提として内在しているというふうに見せないでいかにして作品を提出するか。

2010-04-17 02:42:55
Takuma Ishikawa @ishitakuma

既出の組み合わせだが、エルスワース・ケリーとアンディ・ウォーホルの共通性でもいい。なぜそれが語りうるのか?

2010-04-17 02:53:37
Takuma Ishikawa @ishitakuma

美術作品が読み物として機能する必要は必ずしもないかもしれない。しかし今の状況を考えれば、読まなくてもわかる/読んでもわからない(ナンセンスとは別の意味で)のダブルスタンダードを破壊するために、この強制的な態度が必要となってきていることは明らかなはずだ。

2010-04-17 03:00:49
Takuma Ishikawa @ishitakuma

キュレーションとかいって、でかい作家の名前を出しましたが、別に巨匠ではなく、これは今の作家の作品を集めてもできると考えています。ただまだ前提をわかりやすくするために素朴な響きが否めないために、巨匠の作品を出しました。

2010-04-17 04:07:04
Takuma Ishikawa @ishitakuma

例えば僕はこういう人たちにも可能性を感じています。Plump Plum http://michael-crowe.blogspot.com/ 夜明けのフィラメントhttp://d.hatena.ne.jp/tkayk/

2010-04-17 04:14:08