伊勢田哲治「科学的合理性と二つの「社会」概念」におけるエスノメソドロジー研究の位置:その2

伊勢田哲治(2001)「科学的合理性と二つの「社会」概念」、『情報文化研究』14号 http://www.bun.kyoto-u.ac.jp/~tiseda/works/SSK.html をめぐるディスカッションの続き。 ■その1:http://togetter.com/li/148357
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縮限 @contractio

【金言】“@kikumaco: 「普通ではない」と言うためには、「普通の状態」を知らなくてはならない”

2011-06-14 11:41:45
縮限 @contractio

「そこでエスノメソドロジーですよ」

2011-06-14 11:42:00
縮限 @contractio

「自然科学の研究をすること」と、「研究活動の様々なモメント(に関する記述)を、合理性の描像のもとで再記述すること」とは別の活動である(しかも相当に別の活動である)。後者は──科学研究ではなくて──「科学研究に関する論争」というゲームにおける差し手であろう。

2011-06-14 12:31:41
縮限 @contractio

@tiseda いまこちらに求められているのは、リンチのテクストに即した返答だと思いますが、それには──私は外国語の文献を読むのに時間がかかるので──もう少し時間をください。 @medicineman @frroots

2011-06-14 13:32:43
縮限 @contractio

@tiseda それはさておき、このあたりのツイートについてですが: http://ow.ly/5h2Mr http://ow.ly/5h2My http://ow.ly/5h2ME @frroots

2011-06-14 13:33:40
縮限 @contractio

@tiseda 懐疑論・認識論等々へに対するリンチによる批判の _経験的な社会学研究にとっての_ 含意については、戸田山さんが1994年の論文でかなりクリアにまとめてくれています。 http://ow.ly/5h2Ow @frroots

2011-06-14 13:35:43
縮限 @contractio

@tiseda 伊勢田さんはもちろん既読ではありましょうが、お手すきのときに、ちょっとこちらを再読していただけますか。 @frroots

2011-06-14 13:37:08
縮限 @contractio

@tiseda 「戸田山論文内で扱われている論点に限っても「合理主義的科学観への異論を積極的に述べること」にリンチの仕事の眼目があるという疑いを(伊勢田さんが)持つのかどうか」を教えていただけると、少し戦線を絞ったかたちで議論ができるかもしれません。 @frroots

2011-06-14 13:37:20
縮限 @contractio

@tiseda もし「ここにはない」ということならば、改めて他のところに探しに行けばよいので。 @frroots

2011-06-14 13:37:43
縮限 @contractio

@tiseda いま私が伊勢田さんに対して抱いている疑いをひとつ表明させていただくと。 @frroots

2011-06-14 13:43:28
縮限 @contractio

伊勢田さんがこうした↓評価をするときに、 RT @tiseda: @frroots そう答えるような認識論に関心のない人がこれだけ熱く懐疑主義や科学主義を批判する本を書くだろうかという疑問はある。

2011-06-14 13:44:57
縮限 @contractio

@tiseda ひょっとしたら、リンチの こうした議論が、「経験的な社会学研究の」やり方をめぐるものである、という観点が 抜けていないだろうか ──というのがそれです。 @frroots

2011-06-14 13:46:38
縮限 @contractio

@tiseda 強い根拠があって言っているわけではなくて、伊勢田さんの疑問がどういうものであるかを理解するのがむずかしいので、あれこれ想像をたくましくしてみた結果にたどり着いた思いつき、程度のものではありますが。 @frroots

2011-06-14 13:49:28
縮限 @contractio

これの評価はまかせた。>@frroots RT @tiseda: というくらいの読解が間違っていないかどうかはEM研究者の方たちにチェックしていただけるとうれしい。このまとめでだいたいあっているとして、…

2011-06-14 14:00:34
縮限 @contractio

【識者】エスノメソドロジーについてのコメントが含まれる戸田山さんの論考は、前掲1994と、2002年のこれ http://d.hatena.ne.jp/Minik/20110207 のほかに、まだあるのかしら。

2011-06-14 15:47:20
縮限 @contractio

そういえば、わたくしは『哲学の探求』29 を入手しなければならぬ。

2011-06-14 15:49:12
伊勢田哲治 @tiseda

@contractio @frroots 「積極的」というのが第一の目標かといえばもちろん第一の目標ではないでしょう。そもそもLynch 1992でもLynch 1993でも合理主義についてはあまり触れられていません。

2011-06-14 16:28:41
伊勢田哲治 @tiseda

@contractio @frroots でも、マートン派の研究者から「懐疑主義者どもをやっつけてくれてありがとう。君たちの研究は合理主義科学観に特に何もつけたさないけど勝手にやってる分にはかまわないよ」とか言われたときに、「いやそんなつもりはない」と積極的に答えるということは

2011-06-14 16:32:00
伊勢田哲治 @tiseda

@contractio @frroots ありうるでしょう。そういう意味で「積極的」だという疑いは持っています。

2011-06-14 16:33:59
伊勢田哲治 @tiseda

@contractio @frroots もちろん大局的には経験的な社会学研究の方法論が問題になっているわけですが、でも、科学論という枠組みの中でこの論争がどういう意味を持っているか(なんでまたリンチは科学論という領域でこの論争を挑んでいるのか)はそれとちょっと独立だと思います。

2011-06-14 16:36:25
伊勢田哲治 @tiseda

@contractio @frroots EMがラディカルな社会学方法論を提示していて、Lynchの論考でもそれが主に扱われ、戸田山さんもそれを評価している、という点には異論はありません。それは一旦おいといて、科学論の中でLynchのまわりで何がおきているかを考えているわけです。

2011-06-14 16:42:10
縮限 @contractio

私はひょっとして「合理主義科学観」というものをよく知らないのではなかろうか。

2011-06-14 16:41:37
KOMIYA Tomone @frroots

時間がないので簡単に。 RT @contractio: これの評価はまかせた。>frroots RT @tiseda: というくらいの読解が間違っていないかどうか

2011-06-14 18:37:02
KOMIYA Tomone @frroots

リンチの議論は、「カガクカガクした方法は使わない」というよりは「テツガクテツガクした方法は使わない」と言う方が適切だと思います。「発見とは何か」とか「知識とは何か」といった問いに答えることで科学という営みを説明しようとしない、という意味で。 @tiseda @contractio

2011-06-14 18:38:25
KOMIYA Tomone @frroots

「認識論を忘れろ」というのもそうした趣旨だと思います。 @tiseda @contractio

2011-06-14 18:38:48
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