神のみ、このカノ、バクマンに見る「理想」と「現実」の物語

※7/2 創造(創作)を軸にした考えを追加しました。 今、少年漫画誌で「理想」と「現実」をテーマの軸に据えたマンガが、『神のみぞ知るセカイ』、『この彼女はフィクションです。』、『バクマン。』と三者三様に連載されていることに気がついたので、まとめてみました。 他の方のご意見がぜひ聞いてみたいところです。
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相応恣意 @aioushii

ひとまず少なくとも、神のみクラスタは『この彼女はフィクションです』を読むべき。「理想」と「現実」を神のみと真逆のベクトル(理想現実になる)で描いている作品なんで、きっと琴線に触れるはず。

2011-06-27 23:41:35
相応恣意 @aioushii

ジャンプやチャンピオンにそういう作品あるかな? なんにせよ、同時期に別々の週刊少年漫画誌で「理想」と「現実」をキーワードにした作品が真逆のベクトルで連載されているという事実は考察に値すると思う。誰が考察するかは知らないけれど。

2011-06-27 23:51:50
相応恣意 @aioushii

そういや昨夜寝る前に思いついたけれど、ジャンプで理想現実をテーマにしたマンガありましたね、『バクマン』だ。ただこれはもう、アプローチの仕方が神のみこのカノと全く異なるから、同列に語るのは難しそうだけれども、もしかして連載開始時期って、神のみとそんなに変わらなかったりする?

2011-06-28 19:17:10
相応恣意 @aioushii

昨夜から『バクマン。』、『神のみぞ知るセカイ』、『この彼女はフィクションです。』それぞれにおける理想現実の取り扱い方とかについて考えていたのでちょっと語ってみる。

2011-06-28 21:55:59
相応恣意 @aioushii

まずこの3作品の中で明らかに毛色が違うのは『バクマン。』で、これは”理想”を”現実”の中に置いている。”理想”の前に”現実”が立ちふさがるとはいえ、両者は決して相容れないものではない。

2011-06-28 22:00:36
相応恣意 @aioushii

これに対して『神のみぞ知るセカイ』と『この彼女はフィクションです。』は、”理想”と”現実”が二律背反の関係にある。”理想”は”現実”の外にあって、決して相容れるものではない。そしてそのことを両作品の主人公は誰よりも理解している。

2011-06-28 22:03:09
相応恣意 @aioushii

だが、そこからのアプローチが真逆のベクトルとなっている。『神のみぞ知るセカイ』の桂木桂馬はままならない”現実”と決別し、”理想”に生きることを選び、『この彼女はフィクションです。』の葉村裕里は逃避に過ぎなかった”理想”と決別し、”現実”に生きることを選んだ。

2011-06-28 22:08:04
相応恣意 @aioushii

そしてここからが面白いところなんだけれど、『神のみぞ知るセカイ』では、”理想”を求める桂馬が”現実”に翻弄されるわけだけれど、『この彼女はフィクションです。』ではユーリが”理想”に翻弄される。桂馬の元によっきゅんが現れたら、桂馬は喜んで受け入れるだろうに(苦笑)。

2011-06-28 22:10:56
相応恣意 @aioushii

なぜ両者にこれほど差が出るのか。おそらく主人公の本質は2人とも一緒だった。けれどもユーリは、”理想”を吹き飛ばす”現実”に――フーコ先輩に出会ってしまった。桂馬ユーリが本来辿る道であったかもしれず、同時にユーリが辿る、”理想”との決別という道は、いずれ桂馬が辿る道かもしれない。

2011-06-28 22:15:57
相応恣意 @aioushii

そう思うと同時に、桂馬は決して何があっても、ユーリと同じ道は辿らないんだろうなとも思う。両者は似ているけれど、それでもやっぱり違う。大小さまざまな違いがあるだろうけれど、もしかしたら一番の違いは、ユーリが創作者だったということ。その点では実は、『バクマン。』に通じるところがある。

2011-06-28 22:21:05
相応恣意 @aioushii

ただ”理想”を追い求めるのは簡単だ、”現実”と向き合わなければいい。ところが”理想”を創るためには、どこかで”現実”にぶつかり続けなければいけない。だからこそ『バクマン。』ではサイコーは最初は”理想”を諦めていた。

2011-06-28 22:27:49
相応恣意 @aioushii

そんな閉塞感をぶち破ったのが『バクマン。』ではシュージンだった。そして『この彼女はフィクションです。』でユーリの殻をぶち破ったのは、フーコ先輩だった。それでは『神のみぞ知るセカイ』では?エルシィは確かに桂木桂馬のセカイに風穴を開けた。でもそれがぶち破るまでには至っていない。

2011-06-28 22:31:36
相応恣意 @aioushii

大事なのはこれらの存在が全て第1話で登場していると言うこと。そういった意味では、ストーリーの展開中に価値観が大きく変わった主人公はまだいない。これから先、果たして桂馬の殻をぶち破る存在が現れるかは分からないけれど、桂馬には他の2人とは違う道を見つける宿命があるのではないだろうか?

2011-06-28 22:35:52
相応恣意 @aioushii

バクマン。』のゴールはスタートから見えている。『この彼女はフィクションです。』のゴールはかつての”理想”との折り合いが求められている。では『神のみぞ知るセカイ』のゴールはどこにあるのか?それをいつの日か、この目で見てみたいと思う。

2011-06-28 22:39:30
相応恣意 @aioushii

(本当は『バクマン。』⇒神のみこのカノという流れから現実現実理想の狭間⇒理想って流れで話すつもりだったけれど、実は神のみの方がバクマンより連載開始早かったんでこんなgdgdになっちゃいました、すみません……)

2011-06-28 22:41:45

ここまでまとめてから、あることに気がつく。

相応恣意 @aioushii

まとめながら思ったけれど、桂馬にとってってどういうものなんだろう。”理想”を求める過程で、”理想”を創造したいと思ったことはないんだろうか。

2011-06-29 23:38:58
相応恣意 @aioushii

『サマーウォーズ』から考えるに、創造しようという発想自体なかったみたいだもんなあ。でも栞へのアドバイスを見ると、創造に対して否定的というわけでないのは間違いない。

2011-06-29 23:41:59
相応恣意 @aioushii

昨日のとぅぎゃりをお気に入りにしてくれた人をフォローしてみるなど。ただ、『この彼女はフィクションです。』における、ユーリを”現実”と結び付けてくれたのは創作であったにも関わらず、ユーリが”理想”との決別のために創作を捨てていると言う視点は目から鱗でした。どう捉えるべきか……

2011-06-30 20:38:14

そして色々と考えた結果……

相応恣意 @aioushii

桂馬にとってとはどんなものなのか。自分の中で答が出たのでメモしておいて、後でとぅぎゃっておこうと思います。

2011-07-02 01:54:04
相応恣意 @aioushii

結論から言って、桂馬創造をしようとおもったことはないはず。なぜならばその必要がないから。

2011-07-02 01:55:02
相応恣意 @aioushii

なぜ人は創造するのか? 端的に言えばそれは他者と”理想”を共有するためではないだろうか?

2011-07-02 01:57:16
相応恣意 @aioushii

想像と創造の絶対的な壁。それは他者と”理想”を共有できるかどうかだと思う。なればこそ、”現実”に絶望し、自分の”理想”を求める桂馬にとって、よっきゅんとともに過ごす”理想”を想像することはあっても、創造する必要はないのだ。

2011-07-02 01:59:53
相応恣意 @aioushii

そしてここに桂馬ユーリの絶対的な差があるのではないだろうか? 桂馬ユーリもかつてひとりだった。しかしその意味合いは全く違う。ユーリは孤独だったのに対し、桂馬は孤高だった。少なくとも心の持ちようでは。

2011-07-02 02:02:21