日垣隆氏と町山智浩氏の意外な邂逅

なんと、日垣隆氏と町山智浩氏の因縁は二十数年前に遡るというのだ。驚愕の事実(?) 町山氏の宝島時代のエピソードが語られる中盤は、貴重では?話がディープ過ぎて理解できない所も多かったが、出来うる限りまとめてみました。
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日垣隆(T-Higaki) @hga02104

韓国系ヤクザ「宝島」編集者時代に、彼から私は原稿依頼を受け、原稿料が安すぎたため断ったことがあった。恨みの原点。ストーカー体質は、人格障害の一種。このたび百万円を払うべき本が大量に受け取ったにもかからず、見栄を切った手前もあるのにそれすら払えず、無視とウソをかななている。哀れ。

2011-07-18 21:12:43
日垣隆(T-Higaki) @hga02104

その後、別の「宝島」編集者に原稿を頼まれ、またしても安かったので断ったら、即座に単価が3倍に上がった。 ふと思い出した、きわめてちいさな歴史の一コマ

2011-07-18 21:13:45
nakai @nnakai

日垣隆さんってホントに、自分から喧嘩を吹っかけるのが好きなんだろうなぁ。惨敗したはずの町山智浩さんに対して「韓国系ヤクザが「宝島」編集者時代に、彼から私は原稿依頼を受け、原稿料が安すぎたため断ったことがあった。恨みの原点。」とまた挑発。「原稿頼んだ事なんて無いよ」と言い返される?

2011-07-18 21:40:31
町山智浩 @TomoMachi

@nnakai  ごくろうさまです。僕が「宝島」編集者だった頃、「宝島」はパンク・ロック・カルチャー雑誌でした。彼はパンクなど何もわからないと思います。その部分で突っ込んではどうでしょう。

2011-07-18 23:31:20
町山智浩 @TomoMachi

@nnakai あとですね、僕が「宝島」編集者だったのは87年までです。彼がライターになったのはその年なので噛みあいません。

2011-07-18 23:42:11
nakai @nnakai

たしかに「宝島」が依頼する理由がわからないですね。RT @TomoMachi: @nnakai  ごくろうさまです。僕が「宝島」編集者だった頃、「宝島」はパンク・ロック・カルチャー雑誌でした。彼はパンクなど何もわからないと思います。その部分で突っ込んではどうでしょう。

2011-07-18 23:46:42
町山智浩 @TomoMachi

@nnakai あ、ごめんなさい昭和天皇崩御の年だから89年まででした。どっちにせよ、彼はまだ駆け出しだったから、向こうから売り込みに来ない限り、原稿を依頼する可能性はありませんそもそもパンクロック雑誌だし。

2011-07-18 23:53:59
町山智浩 @TomoMachi

RT @nnakai: 僕は88年12月まで宝島編集者でした。

2011-07-18 23:57:51
nakai @nnakai

それは致命的な誤りですね。なんでこんなにずさんな嘘をつくんでしょうか?RT @TomoMachi: @nnakai あとですね、僕が「宝島」編集者だったのは87年までです。彼がライターになったのはその年なので噛みあいません。

2011-07-18 23:48:53
nakai @nnakai

たしかに、宝島が欲しがる人では無い。RT @TomoMachi: @nnakai あ、ごめんなさい。昭和天皇崩御の年だから89年まででした。どっちにせよ、彼はまだ駆け出しだったから、向こうから売り込みに来ない限り、原稿を依頼する可能性はありません。そもそもパンクロック雑誌だし。

2011-07-18 23:57:04
町山智浩 @TomoMachi

@nnakai あと、当時、宝島という会社は大作家でも駆け出しのライターでも原稿料はみんな同じで400字4000円でした。大作家だから3倍払うなんてことは当時、編集長が許可しませんでした。しかも、当時の彼はライター始めたばかりですよ。

2011-07-19 00:01:20
nakai @nnakai

88年当時の日垣さんは「長野の社会派ライター(新人)」だったはず。ますます頼む理由が無いですね。RT @TomoMachi: RT @nnakai: 僕は88年12月まで宝島編集者でした。

2011-07-19 00:03:26
nakai @nnakai

日垣さんは、「軽井沢で、読書の夜。涼しい。」(現在軽井沢は天気が悪いですが…)リゾート満喫中らしいのだけれど、ちょっと聞いてみようか…どうしようか。ツイートした途端に、嘘がバレる」ってとんでもない才能だとは思う。(何も考えていないんでしょう。)

2011-07-19 00:10:45
町山智浩 @TomoMachi

@nnakai あと、その「別の編集者」って誰でしょうね。宝島社は当時、どの雑誌も編集者が少なく、しかも同じフロアだったんです。また、3倍の原稿料で書いたのはどんな記事か? 断ったならその理由は? 当時の彼は駆け出しだったのに? 僕は名前を出されてないので自分で聞けないんですが。

2011-07-19 00:07:45
町山智浩 @TomoMachi

僕は宝島社(当時JICC)新卒入社が85年で88年いっぱいまで宝島編集部、89年から別冊宝島で、93年だけ宝島30編集部で94年には洋泉社に出向しました。日垣隆大先生はその間まったく無名でした。原稿なんて依頼するはずがありまへん。

2011-07-19 01:25:55
もんじゅ君かわいい @monjukun_moe

@TomoMachi 国会図書館の雑誌記事索引で検索してみたところ、日垣隆先生が書いた最古の記事は1990年10月(岩波書店『世界』546号)に世に出たものでした。89年当時は、原稿料が安いと断る以前に、そもそも雑誌で仕事をしてなかった可能性があります。

2011-07-19 00:33:13
@letsgo31

日垣隆公式サイトのプロフィール欄に、「1988年生まれて初めての聞き取り取材」、と”はじめてのおつかい”的な事が書いてあるのに、どうして原稿料が三倍とか言えるのでしょうw @TomoMachi @nnakai

2011-07-19 01:00:44
heroyoukey @heroyoukey12

@TomoMachi あの先生が台頭するきっかけはいったい何だったんでしょう・・。

2011-07-19 01:27:00
町山智浩 @TomoMachi

松代大本営の講談社現代新書で初めて名前が知れたと思います。僕はその頃、既に宝島社にいませんでした。 RT @heroyoukey12:

2011-07-19 01:31:22

Wikipediaの「日垣隆」のページより抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/日垣隆
著作

  • されど、我が祖国 中国残留帰国者物語(信濃毎日新聞社、1988年)
  • 信州教育解体新書(信濃毎日新聞社、1991年)
  • <ルポ>高校って何だ(岩波書店、1993年)
  • 「松代大本営」の真実 隠された巨大地下壕(講談社現代新書、1994年)

「宝島」から意外な展開が

渡辺祐 @MakeItFunky

あら、そんなに払ってたっけ? RT @TomoMachi 当時、宝島という会社は大作家でも駆け出しのライターでも原稿料はみんな同じで400字4000円でした。大作家だから3倍払うなんてことは当時、編集長が許可しませんでした。

2011-07-19 00:10:57
町山智浩 @TomoMachi

@MakeItFunky 85年頃は3500円でしたが89年には4000円で依頼してました。

2011-07-19 00:18:20
渡辺祐 @MakeItFunky

@TomoMachi 82~83年頃は、さらに(笑)。部数の伸びの比率から言えば、87~89年ぐらいは相対的には安いかも。しかし、お疲れ様ですなあ、ガッキー関連。

2011-07-19 00:35:54
町山智浩 @TomoMachi

@MakeItFunky 88年終わり頃は毎号の広告収入が億を超えて、広告のスペースがないので台を増やし、それでも全体のページ数の半分が広告というバブルな時代でした。

2011-07-19 00:38:31
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