詳解、細谷雄一さん騒動

読売新聞掲載の書評に始まり1IDのブロックに終わる、騒動と呼ぶのもおこがましい、小さな小さな事件(イベント?)を分かりやすく解説してみる。なお、文中の敬称は略させていただきました。 お分かりでしょうが、 「細谷雄一さんへの質問」http://togetter.com/li/163030 の副読本的なまとめです。
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1.読売書評とその前後

1-1.兼原信克『戦略外交原論』に対する主な批判

  • 古典の引用や解説に関して、以下に列挙するような問題がある。
      a.古典の引用が間違っている
      b.引用は正しくても、著者の「解釈」が原文と乖離している
      c.部分引用で文意を歪めて、主張に援用している
      d.「文献Aに~とある」と書くが実際には存在しない
  • また、時として歴史的事実に関して、100年単位で史実の順番が狂っている。例えば「マグナ・カルタは(中略)名誉革命の産物である」と述べるが、マグナ・カルタ(大憲章)は1215年制定、名誉革命は17世紀の出来事だ。
  • 間違った根拠に基づいて行われた主張に、論述としての妥当性は無い。

詳しくは、トゥギャッターまとめ
「兼原信克『戦略外交原論』査読」[http://togetter.com/li/144564]
を参照のこと。

1-2.細谷雄一による書評(要旨)

  • 著者である兼原信克駐韓公使は、「学者外交官(学者のような深い学識を持ち、それを外交に活用する職業外交官)」と呼ぶに相応しい。
  • 本書は『孫子』『ウパニシャッド』『ニコマコス倫理学』など古典の叡智があふれ、著者の視野の広さに圧倒される。
  • ヨーロッパ大陸の哲学書の多くのように、概念定義や歴史哲学が明示的に示され、具体的な政策提言へと帰結する。
  • 本書を貫く大きなテーマは「価値を守る」ことの重要性、いわゆる「価値外交」である。
  • 著者にとり、価値観とは信条体系であり、人間にとっての良心でもある。(*)
  • 本書が、しだいに内向きとなりまた価値を語らなくなった日本において、多くの読者に恵まれることを期待したい。

詳しくは
読売新聞書評「『戦略外交原論』 兼原信克著」[http://www.yomiuri.co.jp/book/review/20110627-OYT8T00452.htm]
を参照のこと。
(*補足:著者は『戦略外交原論』において「信条(brief)」と記述している。同書における「信条」とは、belief や creed ではなく、brief の意である。)

1-3.細谷書評に対する主な批判(意訳)

  • 古典の引用において捏造歪曲や文意の改竄が見られる本に、「古典の叡智」を感じ取るあたり、どうかと思う。
  • 細谷は書評を書くに当たって、論拠である原典の調査を行ったか? (行っていない、あるいは行っても問題に気づかなかった、そのどちらにせよ研究者として失格である。)
  • ヨーロッパの「四民」とか、マグナ=カルタが名誉革命の産物とか、「天子」が「天の使い」とか、そんな荒唐無稽を言う著者が「深い学識」をもつ「学者外交官」ですか?

詳しくは、トゥギャッターまとめ
「細谷雄一さんへの質問」[http://togetter.com/li/163030]
の冒頭を参照のこと。

1-4.細谷によるツイート

@yuichihosoya

昨日の読売新聞で兼原信克駐韓公使の『戦略外交原論』を書評で取り上げました。色々と歴史記述など細部で批判があるようですが、だからこそそこではなく「価値外交」という大きな枠組みの意味を取り上げ、著者の外交観を紹介しました。本書は今後賛否両論を含めて様々なかたちで議論されるでしょうね。

2011-06-27 18:14:04

上記ツイートへツッコミを入れてみる。

  • 仮に一つ一つが細部であっても、それが全編に及ぶのであれば「細部で批判」と表現するのは間違いです。
  • 「大きな枠組み」を支える土台(前提)がグズグズです。取り上げるに足る意義があると思えません。
  • 外交官である著者の「外交観」が、交渉国の(間違った)歴史理解に基づいて生まれ育まれたと思うと、恐ろしいものを感じずにいられません。無批判に賞賛されるのは如何なものでしょうか。
  • (事後的感想)同書は、様々なかたちで議論されるべきと考えます。細谷雄一先生も同様のことを予見されているようで、うれしく思います。先生とは最初に、その書評を巡る形で議論したかったのですが。

2.質問返し

2-1.ジョンお姉さんによる質問

ジョンお姉さん @jpn1_rok0

@yuichihosoya 事実に反するものを根拠として構築した論理の信頼性は如何にして担保すると考えているのですか?そこらへんをお聞かせ願えれば幸い。

2011-06-27 21:59:55

要約すると、

  • 嘘や間違いを根拠にして、それって良いの?

2-2.細谷による逆質問

@yuichihosoya

@jpn1_rok0 歴史に深い造詣をお持ちのようですから、当然佐藤卓己『八月十五日の神話』をお読みでいらっしゃると思いますが、そこでの議論を踏まえて、「事実」として、第二次世界大戦がいつ終わったのか、明確な論理と根拠をもとに教えて頂けますか?それ以外の「日付」は全て誤りですか?

2011-06-27 22:45:04
@yuichihosoya

@jpn1_rok0 歴史学の世界では「歴史的事実」について、ランケ、クローチェ、コリングウッド、カー、エヴァンズなど多様な解釈があります。いったいどのような文脈で「歴史的事実」を捉えていらっしゃいますか。もちろん「一般的な意味で」などという非学問的な返答はなさらないで下さい。

2011-06-27 22:49:56

要約すると、

  • 「歴史的事実」というものについて、どうお考えか?
  • あなたの指摘は、先に述べたとおり「歴史記述など細部」への批判でしかない。
    解釈すると、
  • ランケやクローチェを知っている私は学者。素人は黙りなさい。

2-3.ジョンお姉さんによる再質問

ジョンお姉さん @jpn1_rok0

@yuichihosoya 質問に対して逆質問で返しますか?それは質問の回答たり得ますか?( ´H`)y-~~プハー

2011-06-28 00:06:17
ジョンお姉さん @jpn1_rok0

@yuichihosoya 私は貴兄が『戦略外交原論』をして、事実はさておき「価値外交」という大きな枠組みの意味を取り上げたとの趣旨のツィートをした事に対して、「事実に反するものを根拠として構築した論理の信頼性は如何にして担保する」のかと問うているだけですが?

2011-06-28 00:11:54
ジョンお姉さん @jpn1_rok0

@yuichihosoya 学者の名前を羅列して「こんなのは読んだか」というのは、質問の回答たり得ていないと思えるのですよ。浅学な私にとっては。( ´H`)y-~~

2011-06-28 00:14:17
  • 要約:答えになってない。誠実な回答を願う。

3.誰が「歴史論争」だなんて言ったの?

言わずもがなのツッコミ。

  • 歴史的事象とその解釈をめぐる、いわゆる「不毛な歴史論争」などではありません。
    分かっていなければ、明らかに文章理解力の不足。
    分かっているのなら、明らかに悪質な話題そらし。

3-1.細谷ツイート

@yuichihosoya

日本では至る所で「歴史論争」がありますが、多くの方は基本的な歴史理論を無視し、また「客観的事実」が歴史学でどのように論じられてきたかも前提にしていません。日本の高校までの歴史教育では、歴史理論は教わらず、ランケ史観的な「客観的事実」の認識を刷り込まれます。

2011-06-28 07:55:50
@yuichihosoya

『八月一五日の神話』では、いかにして政府が主導して、国民が終戦記念日を「八月一五日」と認識するか、誘導されて歴史的事実が加工されてきたかが論じられている見事な研究です。その事実を知らずに、当たり前のように、戦争が終わったのが「客観的事実」として「八月一五日」と論じる。

2011-06-28 07:57:39
@yuichihosoya

「歴史的事実」がこのようにして、「現代」という時代が変わることで次第に再構築され、変わっていくものであり、絶対的でも固定的でもないというのが、クローチェ的な「生きた歴史」であり、カー的な「史実と歴史家との対話」であり「過去と現在との対話」となります。「歴史家」に応じて可変的。

2011-06-28 07:59:40
@yuichihosoya

つまりは、ランケ的な歴史観をとるか、クローチェ的な歴史観をとるかで、「客観的事実」が固定的か否か、歴史家に応じて味方が変わるか否かが違う。日本ではランケ史観的に、「客観的事実」が固定的に捉えられ、再構築され得ないものとされる。ですので、「私は正しくあなたは間違っている」となる。

2011-06-28 08:01:28
@yuichihosoya

言うまでもありませんが、真珠湾攻撃の日付は、日本とアメリカで時差の関係上、異なって記憶されています。フランス革命の解釈は、フランスとイギリスで異なります。「客観的事実」や歴史解釈が、国境を越えてどれだけ共有可能かという問題も、重要なテーマです。

2011-06-28 08:03:42
@yuichihosoya

日本人の多くの読者は、日本語の歴史を今という時代に読む。他国でどのように歴史が解釈されているか、異なる時代でどのように解釈されてきたかという視点がない場合が多い。一定の歴史家の著書を通じて「刷り込まれて」、しかも場合によっては政府が加工した解釈に基づいて「客観的事実」を語る。

2011-06-28 08:06:02
@yuichihosoya

明らかな誤認や誤植というものは存在します。ただし「客観的事実」がいかにして歴史と共に再構築されてきて、時代や国によって異なっており、歴史家の解釈の対立が見られるという認識は、日本のように「択一式」の受験を経て、絶対的に正しい「事実」があるという教育を受けると理解困難でしょうね。

2011-06-28 08:09:32
@yuichihosoya

このような理由からも、日本における不毛な歴史論争の多くの場合は、高校までの教育で歴史理論や歴史学における「客観的事実」の意味を学ばないことにあると思います。より多くの知識で優越感を競い合う風潮は、結局は受験勉強的な記憶型の歴史理解の延長線上にあるのかもしれません。

2011-06-28 08:14:11
@yuichihosoya

歴史を理解する上で、より多くの正確な知識を得ることはもちろん重要ですが、決して歴史を学ぶ魅力や意義は、そこに留まることではないのです。

2011-06-28 08:14:18
  • 総括:論点ずらしに必死。「認識」「解釈」等の話にすり替えをはかっている。

3-2.ジョンお姉さんの再々質問

ジョンお姉さん @jpn1_rok0

@yuichihosoya では、ここで重要な質問を2つ3つしましょう。貴兄の学生が「清教徒革命の結果として成立したマグナカルタ」なるものを論拠に、その歴史的意味を論ずるレポートを提出した場合、それを「解釈の範疇」として認めるや否や?

2011-06-28 13:21:55
ジョンお姉さん @jpn1_rok0

@yuichihosoya さらに、そのレポートについて、マグナカルタの成立と清教徒革命の時系列等について確認することもなく、学者として、教授として手放しで「優」だの「A」だのという評価を与えることの可否は?

2011-06-28 13:24:27
ジョンお姉さん @jpn1_rok0

@yuichihosoya 学生のレポートに引用されている出典を調べたところ、引用しているとした部分が原典に存在しない、そのような部分が大量にあるレポートに高評価を与えることは、学者として教授として是か非か?即答できる極めて簡単な質問と認識しております。

2011-06-28 13:26:58