メディアの共有が「ゆるい共有」から「強い共有」へ(段階的に)変化して来ていることについて

メディアの共有が「ゆるい共有」(※1)から「強い共有」(※2)へと段階的に変化して来た/来ていることについて、泉信行(izumino)さんが獨協大学(埼玉)での漫画論の講義における学生達のレポートについての話を発端に幾つか問題意識、観点を提示していた呟きを(みやも(miyamo_7)さんとのやりとりも含めて) まとめました。 【関連】「Twitterは受動のメディアか、能動のメディアか?」 http://togetter.com/li/121209 続きを読む
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泉信行 @izumino

実は、獨協大学のレポートで、メディアの共有(例えばSNSや実況や議論など)についてのお題を出していて、それに目を通していたのですが、みんなけっこう共有化をポジティブなものとして捉えよう、という大前提がある。まぁネガティブなことは意識して書かなかっただけかもしれないけれど

2011-07-26 03:26:40
泉信行 @izumino

もちろん、「コミュニケーションのためにコンテンツを消費する時代、近い未来アニメもゲームも消滅する!? http://t.co/sz3XWEQ ←こういう悲観論も偏見すぎるんだけど、共有によってかえって狭くなるもの、ということに自覚の視点が要らないかといえば要るわけで

2011-07-26 03:31:32
泉信行 @izumino

ちなみにネガティブな分析が少ないとはいっても、集まったレポートそのものは非常に興味深いものでしたので、念のため。ボリュームが一人あたりけっこう充実しているのがうれしい悲鳴です

2011-07-26 03:40:08
みやも(大阪府) @miyamo_7

実況の問題はなー   「完パケ対自分」を重んじる向きには、台詞や絵ヅラに対して集中力のリソースが分散しちゃうから実況やコメは不純で難ありって言われやすいのかもだけど、ひっくるめて「“実況やコメのついたアニメ”に集中する」という体験も良いような。それはそれでナマの体験だろうかなと

2011-07-26 03:52:55
みやも(大阪府) @miyamo_7

(→)twitterで「TLが実況だらけになってうっとうしい」みたいのはちょっと申し訳ないけどそこは別の議論に足つっこむので整理せんとね

2011-07-26 03:55:13
泉信行 @izumino

.@miyamo_7 どっちかというと「個─コンテンツ」との比較ではなく「小集団─コンテンツ」は、「大衆─コンテンツ」の関係からむしろ遠ざかりやすいんじゃないかっていう観点でぼくは考えてますね。で、それはむしろ「個」の孤独感を大事にしていた方が大衆に接続しやすいこともあるだろうと

2011-07-26 03:57:49
みやも(大阪府) @miyamo_7

(→)あと見るほうの姿勢以前に、「これは集中して見たほうがいい作品やエピソードである」「これは実況やコメがついた状態で一層加えた“完成”にいたる作品やエピソードである」と、作品ごとお話ごとの性質があるから何の作品でも一括りに正座して見るとか実況して見るとかいうことはべつにないかも

2011-07-26 03:59:38
みやも(大阪府) @miyamo_7

@izumino ひとりでキッズアニメの映画を見に家族連れぎゅうぎゅうの劇場へ行くと、最初は肩身が狭いんだけどだんだん目が自分から離れて客席全体に拡がってくような瞬間はあるw>大衆に接続   ただまあそれは「お客さん」への接続までなので「大衆」とまではいえないけど

2011-07-26 04:12:01
泉信行 @izumino

ふたつ観点があって、ひとつは「コンテンツの私物化ないし従属化」の問題。もうひとつは「みんな同じ気持に違いない」という「なんとなくの共有幻想」が映画やテレビなどの「ゆるい共有メディア」を支えていたのが、強い共有は、なんとなくの幻想ではなく確固とした具体性を持ってしまうという問題

2011-07-26 04:19:24
泉信行 @izumino

で、具体性を持たない幻想は、主観に陥りやすいわけでもなくて、「なんとなく普遍的な感性」への自問自答にもなりうるんじゃないかな。それが映画の感動を支えている。「映画語り」が、基本的に「劇場を出た後」でしか行われない、という時間差も重要なのではないかと

2011-07-26 04:23:26
みやも(大阪府) @miyamo_7

コンテンツと集団意識といえば、たとえば「めちゃくちゃ大勢のひとが読んでる人気漫画のアニメ化」で原作既読層に属してるときってついつい自分はもう「みんな」化してるような気分になるけどそこはやっぱ違うんだよね… とくに“一昔前の超有名作品”とかだと気づかないズレが生じやすい

2011-07-26 04:41:57
泉信行 @izumino

「ゆるい共有」から「強い共有」への段階変化は分析されていい問題で、いかに古代から「劇はみんなで体験するもの」だったとしても、「私語禁止」というマナーはあったわけだろうし

2011-07-26 04:43:25

以下、当初のまとめ翌日の追加分

泉信行 @izumino

また、学生さんのレポートを読んでます。共有型の消費がとても有意義だった、特に友達を作るきっかけになったという報告が多くて、「娯楽はいったい何の役にたつのか」という問いに対して「友達が増える」という回答は現実に有効だろうなと実感を覚えたりしています

2011-07-27 04:27:23
泉信行 @izumino

友達作りという面では、高校デビューや大学デビュー後の経験の報告もありますが、子供の頃の話が多い。中には「子供番組は選択肢が少ないのでみんなで同じ番組を見ることになりやすく、だからごっこ遊びに向いた番組になっているのだろう」という分析をしたレポートもあって、それはそうかと納得したり

2011-07-27 04:30:57
泉信行 @izumino

その一方で当然、「友達ができて良かった」で終始してしまうと「じゃあ番組の内容は?」となってしまうわけで。「子供が昔大好きだった番組のストーリーをまったく覚えていない」という現象も、記憶力以上に「友達との共有の方が楽しかったから」という理由があるかもしれませんね。

2011-07-27 04:35:04
泉信行 @izumino

そう考えると、良い子供番組とは「友達との繋がりの材料を提供すること」に特化した番組だということもできるけど、その、子供に対してのサービスと変わらない提供が今の漫画アニメにも求められている〜という見方もできるかもしれない

2011-07-27 04:38:01
泉信行 @izumino

『あの花』のノスタルジー感や深夜アニメとしての商法って、そこらへんからでも(象徴的に)語れるんじゃないかなーと考えてたりしますが<子供番組と変わらないサービス

2011-07-27 04:44:21
泉信行 @izumino

脚本家はしゃべり場を意識していたというし、ああいう「マニア的な消費者」とは対照的な、「つながり重視のテレビっ子な学生感覚」を掬いとろうとしたシナリオなのだと思うと、ますますおかだまりは『ゴールデンタイム』も担当すべきなのではないかと思うわけですが

2011-07-27 04:48:15
相楽 @sagara1

※参考:「『あの花』の最終回は、あの伝説的テレビが元ネタ!?(ダ・ヴィンチ) エキサイトニュース」 http://t.co/rlZz8bx 「序盤の展開は、10代の若者たちが等身大のテーマを討論する伝説的テレビ『真剣10代しゃべり場』(NHK教育)を意識した」

2011-07-27 10:37:59
泉信行 @izumino

「一般人のオタク化」よりも、「オタクの 一般人化」の方が見通しとしては合ってるかもしれませんね(「ライトオタク」という言い方はもう通用しない)。昔はオタクというと、子供番組が好きで卒業せず、そのままプライベートなマニアの道に入り込んだ人を指していたのだけど、(続く

2011-07-27 04:57:08
泉信行 @izumino

→)今のオタクも「子供番組から卒業しない」という点では同じでも、子供の頃に超平和バスターズをやって友達を作っていた一般人の子供が、そのまま大きくなって、やっぱり超平和バスターズ的に友達を作っている、それを今はオタクと呼んでいる、みたいな。

2011-07-27 05:00:52
泉信行 @izumino

ガイナックス制作の『おたくのビデオ』を今見返すと、(主人公が一般人の設定だから)第一世代オタク的な価値観で支配された作品ながら、けっこう「今のオタクの在り方」を予言してるようなところがあって面白いですね

2011-07-27 05:04:19
泉信行 @izumino

「番組の内容は?」の問題に対しては、もちろん友達作りがシナジーとなって作品への愛情が深まることも当然あって。レポートの中では「受け手同士で繋がることが楽しいのと同じように、共同制作の繋がりを楽しんだスタッフの作品だからこそ楽しいのだろう」という指摘もあって、そんな見方も可能か、と

2011-07-27 05:14:27
泉信行 @izumino

こういう話を展開させていくと「個人から個人へ向けた作品の立つ瀬は?」という疑問が出てくると思いますが、まぁ需要はなくならないんじゃないかなと。「サイレントマジョリティが強い人気小説」がまだ少なくないことがそれを表してますね

2011-07-27 05:21:46
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