ゲームとは何かについて考えた「Game tsu meet」二回目の アフタートークまとめ(中

「罪神」制作スタッフの「Game tsu meet(げーむつみーと)」の第二回(http://togetter.com/li/16657)のアフタートークをまとめはじめました。服部さんと森さんと成さんとくらさん(@kura23)がトークしてるみたい。 まとめはsericoがお送りしております。 罪神 公式サイト http://www.tsumigami.com 続きを読む
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@tsumigami

まだまだ未熟ではあるけれど、最近になってまた新しい「ゲーム」の捉え方を獲得できつつある。まだ、ゲームの本質に切り込めていないけれど、外周を着実に埋めつつある。そういう実感がある。(成)

2010-04-25 03:25:30
@tmgm_nishida

~やってないひとにはわかんない、という言明は、説得の可能性を縮減する。どうしたら、やってみるか。へ導くことができるか。いろんな入り口をつくっておくこと。

2010-04-25 12:32:59
@tmgm_hattori

その入り口と、入り方と、入りやすくする工夫そのものを作品としたものがゲームです。それは説得とは対になる、逆方向のものです。説得がセールスなら、ゲームはマーケティングです。

2010-04-25 13:15:21
@tmgm_neomoze

芸術というものが「何の役にも立たない」ものっていうことを本来的に知ることからしか芸術は始められないと思う。

2010-04-25 21:13:44
@tmgm_neomoze

ゲームがゲーム中にプレイヤーに行為させることが表現であり、それで何か今までに無いものを掴ませることが出来る可能性を秘めた芸術であるというのならば、

2010-04-25 21:18:13
@tmgm_neomoze

「別に着想力とかなくても大丈夫。鍛えなくて良い。近所のおばちゃんでも、機械的に使える。新しい視点を得られる」ことは「誰にでも」出来ることではないのではないか?

2010-04-25 21:18:57
@tmgm_neomoze

だって、芸術体験を通過することでもしかしたら自分の世界観に変更を迫るかもしれないのならばそこには体験者はかなりの能動的な飛躍する力を求められるって思うから。

2010-04-25 21:20:54
@tmgm_hattori

まず、僕の中ではゲームは芸術ではありません。ここは上野さんと違うところ。

2010-04-25 21:23:33
@tmgm_neomoze

え!そうなのですか!?

2010-04-25 21:24:42
@tmgm_neomoze

そこはお二人の共通項だと思ってました。

2010-04-25 21:25:25
@tmgm_hattori

僕と上野さんは、そこが違うことをお互いに面白いと思って組んでいます。

2010-04-25 21:26:48
@tmgm_neomoze

やっぱりまだわかんない。

2010-04-25 21:51:04
@tmgm_nari

僕と服部は、西田が映画によって生きてこられたように、森さんが(たぶん)音楽との出逢いによって生きてこられたように、ゲームというメディアの恩恵で生きる力を得てきたという部分と、だからこそ、ゲームによって自己実現を果たしたいという欲望を根っこに抱えているところが、共通しています。

2010-04-25 22:16:26
@tmgm_nari

その自己実現の手段がぼくと服部は違ってて、ぼくはたまたま芸術系の作品に触れることが多かった為、「ゲームをエンターテインメントの枠組みからアート(仮)へと跳躍させたい」という願望を持ち、服部は純粋に「ゲームシステムという一つの機能」の最大化・超越を望んでいるんだと思います。

2010-04-25 22:20:35
@tmgm_nari

(服部の部分は、ぼくなりの表現・解釈ですが)

2010-04-25 22:21:04
@tmgm_nari

芸術というものが「何の役にも立たない」>森さんほど深く掘り下げて考え切れていないと思いますが、これはぼくも同意です。

2010-04-25 22:26:25
@tmgm_nari

以下、参考になるかわかりませんが、昨日と違う表現で、ゲームの特徴を説明してみます。

2010-04-25 22:27:07
@tmgm_nari

映画が、フィルムを通して映し出された【光と影の結晶】である、といった原理的なレイヤーで説明すると、ゲーム(コンピュータゲームもトランプも含む広義のゲーム)は、受け手の【アクション(行動)とレスポンス(結果)の結晶】です。仕組み、そのものが、ゲームです。

2010-04-25 22:30:26
@tmgm_nari

【光と影の結晶】である映画に、どのような思想・感情・体験を乗せるのも創り手の自由ですし、乗せないのも自由です。ゲームも同じで、行動と結果の往還があるだけで、たとえば影踏みをしながら下校するだけでも広義のゲームはそこに存在しているという風に言えます。

2010-04-25 22:32:23
@tmgm_nari

また、行動と結果に創り手の評価軸を加え、「狭義のゲーム」として成立させることもできますし、一般的には、昨日の話もそうでしたが、評価軸のないものは厳密なゲームとは定義されないのが普通です。

2010-04-25 22:33:54
@tmgm_nari

あ。補足として。まず、「ゲーム」とはそもそも「遊び」という前提があり、そこに【プレイヤーの行動と、その結果の往還と、一定の評価軸を持つ】という構造が加わります。

2010-04-25 22:37:41
@tmgm_nari

ぼくはあまり詳しくないので偉そうに言い切ることはできませんが、仮に、映画が光(視覚)で、音楽が音(聴覚)に基づく存在であるならば、ゲームは行動(意思決定)に基づくものだ、と。森さんの疑問の解消には足りないと思いますが、そう、思ったので、書いてみました。

2010-04-25 22:41:35
@tsumigami

http://twitter.com/tsumigami/game-tsu-meet の続き的に。「ゲームが、プレイヤーのアクションによって駆動する(生まれる)」ということを理解し、デザインされたゲームは美しいと思う。その狂気的な美しさを、どのように使うかは、人間次第だけれど。

2010-04-25 23:15:48
@tsumigami

あ。狂気的じゃなくて、凶器的だった。

2010-04-25 23:17:41
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