ゲームとは何かについて考えた「Game tsu meet」二回目の アフタートークまとめ(中
まだまだ未熟ではあるけれど、最近になってまた新しい「ゲーム」の捉え方を獲得できつつある。まだ、ゲームの本質に切り込めていないけれど、外周を着実に埋めつつある。そういう実感がある。(成)
2010-04-25 03:25:30~やってないひとにはわかんない、という言明は、説得の可能性を縮減する。どうしたら、やってみるか。へ導くことができるか。いろんな入り口をつくっておくこと。
2010-04-25 12:32:59その入り口と、入り方と、入りやすくする工夫そのものを作品としたものがゲームです。それは説得とは対になる、逆方向のものです。説得がセールスなら、ゲームはマーケティングです。
2010-04-25 13:15:21ゲームがゲーム中にプレイヤーに行為させることが表現であり、それで何か今までに無いものを掴ませることが出来る可能性を秘めた芸術であるというのならば、
2010-04-25 21:18:13「別に着想力とかなくても大丈夫。鍛えなくて良い。近所のおばちゃんでも、機械的に使える。新しい視点を得られる」ことは「誰にでも」出来ることではないのではないか?
2010-04-25 21:18:57だって、芸術体験を通過することでもしかしたら自分の世界観に変更を迫るかもしれないのならばそこには体験者はかなりの能動的な飛躍する力を求められるって思うから。
2010-04-25 21:20:54僕と服部は、西田が映画によって生きてこられたように、森さんが(たぶん)音楽との出逢いによって生きてこられたように、ゲームというメディアの恩恵で生きる力を得てきたという部分と、だからこそ、ゲームによって自己実現を果たしたいという欲望を根っこに抱えているところが、共通しています。
2010-04-25 22:16:26その自己実現の手段がぼくと服部は違ってて、ぼくはたまたま芸術系の作品に触れることが多かった為、「ゲームをエンターテインメントの枠組みからアート(仮)へと跳躍させたい」という願望を持ち、服部は純粋に「ゲームシステムという一つの機能」の最大化・超越を望んでいるんだと思います。
2010-04-25 22:20:35映画が、フィルムを通して映し出された【光と影の結晶】である、といった原理的なレイヤーで説明すると、ゲーム(コンピュータゲームもトランプも含む広義のゲーム)は、受け手の【アクション(行動)とレスポンス(結果)の結晶】です。仕組み、そのものが、ゲームです。
2010-04-25 22:30:26【光と影の結晶】である映画に、どのような思想・感情・体験を乗せるのも創り手の自由ですし、乗せないのも自由です。ゲームも同じで、行動と結果の往還があるだけで、たとえば影踏みをしながら下校するだけでも広義のゲームはそこに存在しているという風に言えます。
2010-04-25 22:32:23また、行動と結果に創り手の評価軸を加え、「狭義のゲーム」として成立させることもできますし、一般的には、昨日の話もそうでしたが、評価軸のないものは厳密なゲームとは定義されないのが普通です。
2010-04-25 22:33:54あ。補足として。まず、「ゲーム」とはそもそも「遊び」という前提があり、そこに【プレイヤーの行動と、その結果の往還と、一定の評価軸を持つ】という構造が加わります。
2010-04-25 22:37:41ぼくはあまり詳しくないので偉そうに言い切ることはできませんが、仮に、映画が光(視覚)で、音楽が音(聴覚)に基づく存在であるならば、ゲームは行動(意思決定)に基づくものだ、と。森さんの疑問の解消には足りないと思いますが、そう、思ったので、書いてみました。
2010-04-25 22:41:35http://twitter.com/tsumigami/game-tsu-meet の続き的に。「ゲームが、プレイヤーのアクションによって駆動する(生まれる)」ということを理解し、デザインされたゲームは美しいと思う。その狂気的な美しさを、どのように使うかは、人間次第だけれど。
2010-04-25 23:15:48