恋文というものを書いて、男は散れ
- rikiyanopi
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諸般の都合でレポートを自宅に送ってもらった。平成5年あたり生まれの学生の30%は、封筒の裏左下に差出人の住所氏名を書くという常識が無い。19歳の時の自分のことを必死で思い出そうとするが、差出人としての自分の名前をカットするという発想はなかった。もう君たちはもう郵便も使わないのか?
2011-08-05 09:58:11承前:確かに今日「恋文」などというものを封筒で送る19歳は極小数だろう。祖父や祖母に「お元気ですか」と手紙を書くこともないだろう。年賀状はメールで「あけおめ、ことよろ」だし。封筒にレポートを入れて切ってを貼るまでは知っているけど、差出人を示すまでは知らなかったのかもしれない。
2011-08-05 10:01:41承前2:私のゼミでは、「葉書を書こう運動」を展開中だ。週に一枚、ゼミのメンバーにとにかく一枚手書きで葉書を書こうというものだ。ルールはひとつ。必ず「これまで使ったことのない言葉を使おう」だ。今年は去年より不活発だ。送ってくれた女子学生の感想「何か、新しいメディアって感じですね」。
2011-08-05 10:04:37承前3:葉書を手書きで書くと、万年筆が欲しくなり、インクの好みが出てきて、かつ書けない漢字を調べ、それをきっかけに雑学知識に遭遇し、何故か返事が来ないかと郵便ポストが気になりだし、本当に会いたい友人が絞られてきて、なおかつ可愛い葉書が欲しくなり、自分で造り・・・いいことばかりだ。
2011-08-05 10:07:01承前4:「♪一銭五厘の葉書でも千里万里の旅をする♪」という古い唄がある。残念だが、「一銭五厘」の段階で学生とはディスコミュニケーションとなる。同様に「てめぇみたいな木端兵隊はなぁ、一銭五厘でいくらでもいるんだよ!」という古い映画のセリフの意味がワカラナイと言われる。無理もない。
2011-08-05 10:10:11承前5:世の中で最も恥ずかしいもの。それは夜中に書いた恋文である。翌朝再読して毛穴という毛穴から汗が噴き出してくるようなことが書いてある。「うわぁー!」と叫んで引き出しの奥に突っ込む。でも捨てない。そういうのが5つぐらいたまった頃に実家を離れる。引っ越しの時迷う。でも捨てない。
2011-08-05 10:14:49承前6:好きな女の家に電話をする。目をつぶって「本人が出ろ!」と祈る。呼び出し音一回半でつながる。父親だ。「もしもし」の一声ですべてを見抜かれているような気になり、シュリンクする。「あの・・・」と言う途中で「〇子はいません、ガチャン」と切られる。2割くらい何故か「ほっと」する。
2011-08-05 10:17:37承前7:桜木町などでデートをする約束を取り付ける。夕方になり、この後も永遠に一緒にいたいと思うのだが、「お父さんにコロッケ作ってあげる約束しちゃったから」と、女は踵を返す。もうその時点で見込みはゼロなのだが、虫よりバカな男子は「父親想いのいい娘だ」と合理化する。全然ちがうのに。
2011-08-05 10:20:25承前8:1982年の夏。携帯も、メールも、インターネットも、お金も、根性も、諦めも、漠然とした不安も、政権交代も、背負うべき責任も、人生の先輩達への敬意も、幼き者たちへの慈しみも、何も、なぁーんも無かった。電話と手紙と葉書と「自分は死なない」という思い込だけがあった。29年前だ。
2011-08-05 10:24:10承前9:昔が良かったなどとは言うまい。でも、「書いたけど出せなかった手紙」が物理的に残存せず、幻のようなゼロとイチのデジタル記号としてだけ残っている今日、19歳はどうやって過剰で鬱陶しく諦めが悪く子供じみたマヌケな自意識の痕跡と向かい合うのだろうか?ハズカシイ俺をやり過ごす夏だ。
2011-08-05 10:27:39承前おわり:寝言で「あんぱんまぁん」と呟き、埴輪のような顔をして眠る我が豚児の顔を眺めるにつけ。日本映画史上に残る渥美清の名セリフが頭をよぎる。「ミツオ。お前も恋愛するんだなぁ。・・・可哀相に」。でも、どれだけドン引きされても、恋文というものを書いて、男は散れ。おしまい。
2011-08-05 10:31:25