Nyarlathotep_44氏による旧日本陸軍の歩兵用対戦車兵器のお話
WW1から戦車が恐竜敵進化を遂げていくと、当たり前ですがその戦車を撃破するための兵器も開発され、進化を遂げていきました。最初は現地での創意工夫から始まった応急兵器も、それ専門に設計された兵器へと変化していきます。
2011-08-11 19:49:50今、対戦車兵器と聞くと度派手な兵器を思い出すのが一般的だと思いますが、戦車誕生期に対戦車武器として歩兵のお供をしてきた手段の一つは、なんと手榴弾でした。
2011-08-11 19:55:48今の人は「手榴弾で戦車を…と」思うかも知れませんが、昔は歩兵が戦車に対抗できる数少ない手段として、手榴弾の炸薬を大量にまとめた「収束手榴弾」などが使われていました。写真で言うとこんな感じのものですね(画像中央) http://twitpic.com/64bqz1
2011-08-11 20:03:02まあこの収束手榴弾でも戦車の主装甲は破壊できなかったので、エンジンルームや履帯を狙って投げてたりしたんですけどねー
2011-08-11 20:03:58そんなこんなでまあWW1と同じような考えが旧軍にあったかどうかわかりませんが、昭和5年(1930年)頃半ばから、敵戦車の装甲に磁石で吸着させる試製対戦車手榴弾の研究が始まります。
2011-08-11 20:09:06まあもろもろの仕様設計を千葉の富津射場で、装甲作業機を標的とした装甲板への投擲吸着実験や、6mm~30mmの装甲板への爆破効果実験などを経て、1938年にキャンパス布製の円盤型本体に炸薬と磁石を内蔵した試製吸着手榴弾が完成し、早速17mm厚の装甲板に対してのテストが行われます。
2011-08-11 20:18:10テストの結果は「装甲に対して威力不足」 という訳で見直してみると、内蔵された磁石が爆発の威力を殺していることが分かり、磁石を炸薬の外に取り付けた改良案を同年4月に開発。17mm厚の装甲板に対して好調な結果を残し、これを踏まえて名称が「試製破甲爆雷」に変更されます。
2011-08-11 20:22:44この最終型はT-26戦車九七指揮戦車を相手に破壊実験がなされ、25mm厚の装甲板に対して貫通、内部に確実な損害を与えることが実証され、試製破甲爆雷は「九九式破甲爆雷」として制式採用されることとなります。
2011-08-11 20:26:54こちらの写真がその「九九式破甲爆雷」です。形状から「亀の子」とか「アンパン」等のあだ名がつけられていたようですね。 しかし同年5月に発生したノモンハン事件で使われた時はBT戦車の装甲板が破壊できず、威力不足が確認されています。 http://twitpic.com/64c2nm
2011-08-11 20:30:25しかし、これだけでノモンハンを乗り越えたと思うのはまだ早い。極少数でしたが、旧軍歩兵向けの対戦車兵器がもう一つ、ノモンハン事件に持ち込まれていました。その名も「九七式自動砲」
2011-08-11 20:34:23昭和10年(1935年)前線の部隊とともに移動して、対戦車戦闘が行える軽量な機関砲が必要となった陸軍技術本部は、口径13mmの手動式砲を名古屋工廠に、口径20mmの自動砲を小倉工廠に試作させます。
2011-08-11 20:38:26翌年3月に試作型が完成した2つの砲は富津射場でテストされ、機能と命中精度は好調だったものの、操作性が悪かったので改良を依頼、昭和12(1937)年に完成した改修型で13mm型は威力不足となり開発中止、残った20mm自動砲に細かい部分の改修を行ったものが、この「九七式自動砲」です。
2011-08-11 20:43:26この九七式自動砲は極少数ですがノモンハン事件に参加、こちらは良好な結果を残しているようです。しかし、当時としてはかなり高額な装備であり、1943年までに400あまりしか生産されませんでした。 http://twitpic.com/64ca3g
2011-08-11 20:47:31そんなこんなで、歩兵部隊が装備している対戦車兵器は有用なものが少なく、更に強力な4.7cm一式機動砲も開発が間に合わないまま日本はノモンハンで現れた問題を抱えたまま太平洋戦線似突入していきます。
2011-08-11 20:57:30@Nyarlathotep_44 ノモンハンで駄目だった説を確かに見かけますが、仮制式制定(JACAR:C01004900400)時の開発経緯説明によると、ノモンハン事件時はまだ試作品を実施学校で試験中の段階なんです。たぶん93式戦車地雷と混同されてるのだと思います。
2011-08-11 21:00:16@baron_yamaneko なんと……手元にある本だとノモンハンで使用されたと書いてある……編者の勘違いしてたのかなぁ、ご指摘ありがとうございまするー
2011-08-11 21:03:23ご指摘によると、九九式破甲爆雷はノモンハンでは使用されてなかったらしいようでする。勘違いしてたのかなぁ、ご指摘ありがとうございまするー
2011-08-11 21:05:44じゃあ旧軍歩兵は連合軍の戦車相手にどう対応していたか? それが皆さんお待ちかね、火炎瓶などを始めとする既存の武器、間に合わせでの武器による肉薄攻撃か、大口径の野砲などによる近距離射撃での撃破など、WW1の戦車発生期の頃とほとんど変わらない手法でしか戦えませんでした。
2011-08-11 21:07:2393式戦車地雷はいわゆる対戦車地雷ですが、肉迫攻撃資材兼用でした。しかし、軽量化のためキャタピラを切断できるギリギリの炸薬量まで削られており、堅い相手には2個重ねて威力を増す連結用法で使用されました。連結用法に備えて結束用の紐が付属する親切設計。生産数62万個。
2011-08-11 21:08:3193式戦車地雷はノモンハン事件にも投入されましたが、砂地にめり込んでしまい不発となることが多かったようです。なお、竹竿の先にくくりつけて素早く敵戦車のキャタピラの前に差し出し、踏ませるという工夫もあったと模様。
2011-08-11 21:11:23具体的な方法だと、火炎瓶をエンジンルームへ狙って投げつける、戦車に張り付いて手榴弾をハッチや主砲に投げ込み殺傷する、小銃や拳銃を操縦席のバイザーに押し付けて発射する、爆薬を履帯に踏ませて爆破破壊するなどなど……戦車を破壊するには危険な肉薄攻撃を行わなければいけませんでした。
2011-08-11 21:12:26中には、軍刀を抱えた将校が戦車の中に飛び入って、拳銃と軍刀で乗員を2~3人斬り殺し、戦車の乗員の一人が拳銃で応射するなどの壮絶な肉薄戦が行われた、との話もあります。
2011-08-11 21:14:40