- ja_bra_af_cu
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ボカロの声は生気が無いとよく言われますがそれ故に歌詞に込められた生々しさを時としてフィルタリングしてしまうのです。たぶん、スッと入ってくるという気分の正体はそこ。
2011-08-14 22:13:15自分が個人的にそれを強く感じたのが梨本ういさんの"死にたがり"ね。あの曲は人が歌ったものを聴くと詞が直球すぎてどうしても自分の中で拒絶してしまうのです。勿論、そうでない人はいくらでもいるでしょうけど。
2011-08-14 22:17:56自ら物言わぬボカロが詞にメッセージを込める作者の代わりにフロントパーソンとなり歌い上げる。使い処によっては結構危険だな、と思う事もある。
2011-08-14 22:24:49. @JP_Jibaba 人間とボカロが両方うたってるCDのクロスフェードを聞いたら、映像で言うと人間が実写でボカロがアニメみたい、と感じました。「アニメ声」には、ある程度虚構化・仮想化された感じを受けるのかも知れないなと思いました。
2011-08-14 22:30:34.@ja_bra_af_cu @JP_Jibaba 押井守いわく、アニメは監督の映したいものだけが写せる映画だそうです。実写だと、現実のノイズがどうしても混じると。そんなわけで、実写とアニメを対比させてボカロを語るのは、面白いですね。
2011-08-14 22:36:19@ja_bra_af_cu アニメっぽいから、虚構だからある意味聴く方も油断していると思うんですよね。"秘密警察"も最初から人が歌った曲だったら、あの歌詞はどう受け止められていたのかなーと。
2011-08-14 22:37:53@im9d ボカロを含むDTMはほぼ作者の意図したことしか入り込まないでしょうから、その点もアニメと近いかも知れませんね。個人製作か集団制作かの違いはありますが。
2011-08-14 22:39:28@JP_Jibaba "秘密警察"今聞いてきましたが、歌詞自体がフィクション的だから人間歌唱でもそこまでどきつくないかもと思いました。例えばほぼ日Pの曲とかが、ボカロじゃないと生々しすぎて成立しづらいだろうなと思います。
2011-08-14 22:43:53@im9d @ja_bra_af_cu ノイズ...正に自分が言いたかった事です。押井さんがそういうお話をされていたとは知りませんでした。
2011-08-14 22:44:26@ja_bra_af_cu 新海誠が「ほしのこえ」を発表したとき、アニメ業界は震撼したんですよね。パーソナルなDTM的アプローチがアニメでも可能なことを示してしまった。逆に、ボカロを含むDTMは、個人の作家性が極めて強いので、音楽業界でも稀な出来事だと思ってます。
2011-08-14 22:44:50@im9d 前にもおっしゃってましたね>ほしのこえ 確かにプロデューサーやアレンジャーやバンドメンバーといった他者の意図や技術が混じらない音楽というのは珍しいですね。
2011-08-14 22:50:33@ja_bra_af_cu ほぼ日Pは確かにw ノイズがフィルタリングされてると受け入れられにくい主張でもアリになってしまう。タイトル忘れてしまいましたが、どこかの国で日本の所謂スパロボ系のアニメが反政府活動に繋がるのを恐れられて放映が禁止されたという話を思い出しました。
2011-08-14 22:50:39@ja_bra_af_cu そういう意味では、どの曲もものすごく生々しいんですよね。それをボカロというフィルタに通すことによって、ある種の普遍性を獲得できる。生身の人間がアクトしていないというのは、その一因としてありそうです。
2011-08-14 22:54:04@im9d そうですね。パーソナルな想いやメッセージが込められてる歌が多くて、そこがボカロ音楽のいいところだと思ってます。そういう強い表現を可能にするのが虚構的な声だとすると、それがボカロならではの良さだといえそうですよね。
2011-08-14 22:58:37@ja_bra_af_cu その話を聞いた時は一笑に付しましたし、実際にそんな事は現在に至って起きていない訳ですがw でも世界の識者が日本のアニメが持つ潜在的な力を恐れる気持ちも分かる気がします。まさかボカロを通じてそういう心境になるとは思いもしませんでしたが。
2011-08-14 23:04:50ベタさ、クサさを回避しつつ強いメッセージや物語性や倫理性なんかを歌うにはキャラクターによる虚構化が必要になってきてるのかもな~。ボカロしかりアイマスしかり。
2011-08-14 23:05:57