@naoki_ma (松沢直樹)氏、「終戦記念日に、祖父のことを偲び、接点のあったコルベ司祭の生涯を追うと、今の時代の危うさが見えてくる」。
- ujikenorio
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今日は終戦記念日だけど、その後朝鮮戦争がすぐにはじまったからね。もう他界したけど、陸軍看護学校出身の叔母は、朝鮮戦争が始まった後、召集令状が届いて看護要員として国連軍に従軍したそうだ。今は無くなってしまったけど、福岡の海の中道に、国連軍病院があって、米軍の傷病兵をケアしてたって
2011-08-15 10:50:48一次資料が残っていないし、叔母の証言だけだから、なんともいいようがないけど、召集令状で看護師の資格を持つ軍関係の学校出身者が召集されたらしい。
2011-08-15 10:54:59叔母は、アメリカ人女性看護師の上官の下に配属されたらしい。配属された日に、上官から口紅を持たされて、「既に死亡している兵士の額に印をつけて」と命令されたって言ってたなあ。そのことについて詳しいことは言わなかったけど、どんなことを感じたんだろうか
2011-08-15 10:57:47人が苦労してみたところで何になろう。わたしは、神が人の子らにお与えになった務めを見極めた。神はすべてを時宜にかなうように造り、また永遠を思う心を人に与えられる。それでもなお、神のなさる業を始めから終りまで見極めることは許されていない。(コヘレトの言葉3-9・10)
2011-08-15 12:34:35もがきまくっても、どんなにあがいても前に進まない時や、不安に駆られて苦しくてたまらない時、この言葉にどれだけ救われたことか。あとは、食と眠りだろうか。今日もそのような日であるらしい。要はやすめということなんだろうな。あらがうまい。
2011-08-15 12:36:20今日は終戦記念日。そして、キリスト教の一派であるカトリックの祝日 聖母被昇天の日でもある。フランシスコ・ザビエルが種子島に漂着した日と記憶している。布教を開始したザビエルから洗礼を受けた中に、私の母方の祖先がいるそうだ。
2011-08-15 15:15:28母方の祖父は、福岡の筑後地方を治めていた有馬藩の武家(日本橋の水天宮を久留米から江戸に勧請したらしい)の出で、代々隠れキリシタンだったそうだ。
2011-08-15 15:20:40カトリック今村教会がある、久留米南部の一帯に、信徒をかくまい、明治のキリスト教禁制が解けるまで、外部に一切知られることなく信仰を守ったらしい。
2011-08-15 15:23:28有馬藩は外様大名だったが、なかなかの切れ者がいたらしく、筑後川の水源確保、水田開発、はぜ蝋(ろうそく)を大量生産し、キリスト教ネットワークを使って、磯かに国外へろうそくや陶磁器の輸出を行い、財力を蓄えて幕府から防衛を図って、自治区を築いていたらしい。
2011-08-15 15:30:27第二次大戦時の負の遺産として知られる 特攻隊 鹿児島知覧基地以外に、福岡の太刀洗基地にも特攻基地があった。曾祖父母、祖父母は、その周辺に広い土地を持ち、教会を運営していたが、情報収集を名目に陸海軍と交渉し、教会と信徒の人達を守り抜いたそうだ。
2011-08-15 15:32:44昭和20年8月2日 祖父は、治安維持法違反容疑で、特別高等警察、通称「特高」に逮捕される。逮捕容疑はスパイ容疑だったらしいが、嫌疑は極めて不十分である。複数化国語の聖書を翻訳していたため、軍の情報を国外に漏らしていると方便をつけた逮捕だったらしい。
2011-08-15 15:34:57祖父母は、戦前から貧しい家庭の子息のために、私財を投じて、聖書を教科書にした私塾を開いていたそうだ。体制側は当時からそのことをよく思っていなかったらしいが、日本に二つしかないキリスト教ネットワーク、全く外部に知られることなく、明治まで密かに信仰を貫いた福岡・筑後地方と、琵琶湖某所
2011-08-15 15:37:43この結束の堅さ、そして外国に通じるネットワーク、資産力を監視していたらしい。特別高等警察に逮捕された時、祖父は、翻訳しかけの聖書の原稿と、子供たちのための教科書の原稿、そしてペンとインクしか持っていなかった。そもそも太刀洗基地の内部には入れるはずもなく、軍人とも交流はなかった。
2011-08-15 15:40:01したがって、スパイ容疑という逮捕理由は、言いがかり以外の何物でもないが、現在の法体系とは違う強権を持たされていた特別高等警察は、祖父に容赦ない拷問を加えたらしい。祖父は亡くなるまで、そのことを話さなかったが、右足を引きずっていたことを覚えている。
2011-08-15 15:41:37もっとも、祖父の逮捕については唖然とするエピソードがある。夫を特別高等警察に逮捕された祖母は、一人で夫の奪還に挑んだらしい。正面突破が無理とわかると、軍や警察上層部をうまく口説き落として(若い頃の祖母はちょっといい女だったらしい)見事に奪還に成功する。8月13日のことだったらしい
2011-08-15 15:44:39現在だったら、国家賠償訴訟に加えて、拷問を加えた警察官を、公務員特別暴行凌虐罪などで告訴するところだろう。当時は、思想犯として目をつけられての逮捕で生きて帰れればもうけものだったらしい。運が悪ければ、小林多喜二のように、撲殺されただろう。
2011-08-15 15:46:57およそ起き上がることも難しいことが想像できるが、祖父は極めて気丈だったらしい。釈放された日の日記にこう綴っている。
2011-08-15 15:54:43「彼らも恐ろしいのだ。暴力は全ての人間を拝させるように見えるが、けして人の自由を奪うことはできない。皇国の繁栄を真に考えるならば、理解できぬ考えを暴力で奪ってはならない。その恐ろしさは、この時代が生んでいる。この時代は必ず終わる。」
2011-08-15 15:56:26祖父の日記の2日後に、日本は無条件降伏を受け入れ、敗戦を迎えた。その後、GHQの公職追放によって、軍人や、特高警察などの官は職を解かれることとなる。終戦を迎えると、ソビエト軍によって攻められて、満州から命からがら逃げてきた人達で、福岡や久留米は人が増えたらしい。
2011-08-15 16:00:15祖父は、密かに耕作していた山中の田や雑穀の畑から集められるだけの穀物を運び、また、超インフレとなる中で、貴金属などを手放して食料に代え、できるだけ多くの人にミサの中で配ったらしい。祖母が言うには、その中に、祖父に虐待を加えた特高警察官がいたそうだ。
2011-08-15 16:02:55祖母は、自分の夫をあらぬ罪で投獄した人物を目の前にして、ここぞとばかりに詰ったらしい。当然の心情だろう。穏やかでまず声を荒げることがない祖父は、祖母に対して、声を荒げてきつく叱ったという。
2011-08-15 16:04:41祖母はその時のことをよく述懐していた。「そんときはね、うちも頭に血がのぼって、ここで会ったが百年目げなふうになってさい、罵詈雑言ばぶつけたとよ。人を半殺しの目にあわせて、自分が苦しくなったら、食べ物ばめぐんでほしかとか虫のよすぎろうもん」
2011-08-15 16:09:47「ばってん、じいちゃんに怒られて、よう見てみたら、食べ物目当てにおミサに来とったとは、その人だけやなかったと。隣に小さい女の子が座っとったと。ああ、この人は奥さんが空襲でやられて、一人でこのおじょうちゃんば育てないかんごとなったとやろう。それで恥をしのんで来たっちゃろう」
2011-08-15 16:11:42「特高警察の人のとなりに座っとった女の子には、かわいそうなことをしたと思ったばい。泣きそうな顔してうちを見よると。命が助かっただけでも幸せ者なんに、ほんにむごいことばしたと思って、その女の子ば抱っこしてやったとたい」
2011-08-15 16:13:23「どうやらお母さんを知らんごとあって、4,5歳にもなっとるのに、うちのおっぱいばさわって吸おうとするんよ。ああ、こげな不憫な子供の前で、うちは鬼の顔をしとった。そう思ったら、苦しくなった。そんときのじいちゃんなっさい、自分を半殺しにした特高の人にこう言うたんよ」
2011-08-15 16:16:04