スタンフォード哲学事典「パスカルの賭け」の項目を読んでいる。神の救済をえられた場合の幸福に、超準解析の無限大かコンウェイの超実数を割り当ててはどうかという提案がなされている。
2010-04-30 23:08:32これは何もあやしい提案ではなく、「信仰以外の選択肢も、有限の確率で救済に結びつくなら、信仰と同程度の(つまり、無限大の)期待効用になる」という反論に答えるため、無限同士の大小比較を可能にするようなセッティングが必要だ、ということらしいです(十分あやしい)。
2010-04-30 23:16:22説明不足だからもう少し説明するか。「神を信仰し、しかも神が存在した場合には、無限の幸福をえられる。だから神が存在する確率がきわめて低くても、信仰によって得られる幸福の期待値は無限大であり、信仰は合理的だ」というのがパスカルの賭けであるわけです。
2010-04-30 23:21:54一方パスカルの議論には、以下の反論があります。「確かに信仰の期待値は無限かもしれない。しかし信仰以外にも、期待値が無限になる選択肢があるだろう。たとえば、コイントスで表がでたら信仰、裏がでたら無信仰をえらぶ。あるいは信仰について考えるのはやめてハンバーグを食べに行く」(続く
2010-04-30 23:24:32コイントスで信仰を選択した場合や、ハンバーグを食べに行った場合にも、いささか確率は低くなるが、結局その後信仰を選択する可能性はあるし、神による無限の幸福をえられる可能性がある。どんだけ確率が低くても、どうせ期待値は無限なのだから、これらの選択肢も信仰同様に合理的であるはずだ。
2010-04-30 23:27:10とまあ以上のような反論があるので、パスカル派は、「とても低い確率×無限」が「もっと低い確率×無限」より大きいと主張したい。そこで超実数や超準解析やら何やらの特殊な無限概念を利用してみてはどうだろうということだそうです。パスカル派も大変ですね。
2010-04-30 23:30:26ふむふむ…そこは文脈からして「コイントスで無信仰を」だと思う。RT @at_akada コイントスで信仰を選択した場合や、ハンバーグを食べに行った場合にも、
2010-04-30 23:29:49宝くじを買う心理に近そうだ。3億円くらいが無限の幸福に感じられてしまう。RT @at_akada 「神を信仰し、しかも神が存在した場合には、無限の幸福をえられる。だから神が存在する確率がきわめて低くても、信仰によって得られる幸福の期待値は無限大であり、信仰は合理的だ」
2010-04-30 23:39:31@mmww 純粋に信仰を選択するのではなく、「信仰を賭けたコイントスをしてみる」という選択肢を選んだ場合ということですね。
2010-04-30 23:38:05そういうことか。わかりました。RT @at_akada @mmww 純粋に信仰を選択するのではなく、「信仰を賭けたコイントスをしてみる」という選択肢を選んだ場合ということですね
2010-04-30 23:44:20人間にとっては、どのような行動をとれば救済に結びつくのかがわからないとして、期待値が無限大となる「信仰」のためにどのような行動をとればよいのかわからない。とすると何をしても同じことではあるまいか? という議論かしらん。パスカルの賭けというのは初めて知ったけど面白そう。
2010-04-30 23:30:50信仰とは何も超自然的存在を仮定しなければならないものではないはずだ!ということを言おうとして、出典を忘れてしまった。デュルケームか?
2010-04-30 23:36:20むかーしむかしに宗教学の講義でフレイザーの名前をちらと聞いた程度の使えない文系。あのレジュメ群はどこへやったかしら。研究室に置いてあるかもしれない。
2010-04-30 23:37:47なんかおもしろそう:Amazon.co.jp: 確率の科学史―「パスカルの賭け」から気象予報まで: マイケル・カプラン, エレン・カプラン, 対馬 妙: 本 http://bit.ly/bLm18z
2010-04-30 23:40:51読んでる:幻影随想 別館: 「パスカルの賭け」の欺瞞 http://kurokage.seesaa.net/article/8553393.html
2010-04-30 23:42:27関係ないけど私は私の目が見えて耳が聞こえて普通に歩くことや持つことができて考えることができることを幸せに思うけれど、誰か超常の存在に感謝しよう!というよな気持ちは起こらない。私の周りのたくさんの人々に感謝することはありすぎてありすぎるけれど、かみさまなにそれ。
2010-04-30 23:45:27私が(便宜的に)信仰するところのやおよろズ様方はここでいう「信仰」の対象ではないのだろう。キリスト教というのは厄介なことを考えるものだ。
2010-04-30 23:46:39パスカルの賭けが期待効用的発想によるものであるならば、宗教者というのは究極のリスクを選択するRisk proneな人々なのだろうか? かといって厳格で敬虔な宗教者はむしろ保守的でリスク回避的に見えるのだけどこれいかに。
2010-04-30 23:50:14「信じた神が本物だったら最高!信じた神が悪魔だったら最悪!」というのを強引に期待値ゼロに考えるとして、何も信仰しない(=変化なし)も期待値ゼロで等価とするなら、リスク判断の問題になってしまう…ような気がしている。
2010-04-30 23:51:21