• DecoponMAGI
    ちょっと自分の考えまとめ用に作りました。考えまとめ用なので自分のpostがほとんどですが。 RT 「これからは叙事詩だ!!!」~叙事詩と抒情詩の話~http://togetter.com/li/11547
  • Gaius_Petronius
    @DecoponMAGI 「抒情詩的世界観から叙事詩的世界観への移行」まとめ読んでいたら、物凄く頭がつながってきました・・・。そうか、そういえば、初めての10時間ぶっ続けラジオで、自分で説明していた話でしたね(苦笑)。聞いてる、でこぽんさんの方が、よくわかっている(笑)
  • DecoponMAGI
    @Gaius_Petronius 俺、あの12時間のラジオ二回くらい聞きなおしてますからw
  • Gaius_Petronius
    近代の始まりがプロテスタンティズムの聖書との一対一の会話によって内面を掘り下げることであった、ということから、内面世界のモデルとして登場する小説(活版印刷による大衆への開放)の発明だっていうロジックを説明したのは、自分だった。最近勉強してねーので、バカになっていた。
  • Gaius_Petronius
    @DecoponMAGI ただ、断片だったものが、でこぽんさんのまとめで、つながりました。さすがに自分で言ったいて顔となので、すぐ思い出した(笑)。なかなか「あの状態」までのうのレベルがいつもは行きませんねー。いつも仕事と家族のことで飽和しているんで…。
  • Gaius_Petronius
    ただ、叙事詩系統のものが、これからの「次の時代の物語」であることは、ほぼ間違いないようですね。ただし、ことは単純じゃない気がする。というのは、抒情と叙事の「接続」の歴史と仕組みを明らかにしないといけないと思うんですよ。
  • Gaius_Petronius
    なぜならば、00年代までの抒情詩的なモノ、内面の物語、主観による世界の把握(=魂の座が一つ)というものは、そもそも非常にマスに訴えやすい、構造的に人に伝えやすいものであったことは否定できないのだと思います。それを踏まえないと、ただ単純に物語に回帰するというわけではないと、、、、
  • Gaius_Petronius
    @DecoponMAGI そういう意味では、やはり村上春樹の1Q84で、主観(=記述の人称)が、女性側の視点が生まれて二人になったというのは大きいのだろうな、と思います。
  • Gaius_Petronius
    人称について、現代の作品は、どうしてこうも一人称ばかりなのだろう?という疑問を、そういえば、大学の中が良かった美術史の先生と話し込んだことを思い出しました。村上春樹とか「ぼく…」と一人称を連発するじゃないですか。
  • DecoponMAGI
    @Gaius_Petronius 叙事詩はなかなかエンターテイメントにつながりにくと言うのが確かに最大の問題と理解してます。歴史モノと戦記モノのみがエンタメ化できる。現代モノの叙事詩は宮台真司の映画評見るとわかりますがどれも超重いし暗いです(笑
  • Gaius_Petronius
    @DecoponMAGI 宮台さんのその本は読んでないですね、探してみます。たしかに、叙事詩は、なかなかエンタメに繋がりにくいし、また単純な叙事詩を書けばいいわけでもない気がするんですよね。そこはちょっと枝葉の問題だけど、実際に作る側からすると重要なポイントだと思う。
  • Gaius_Petronius
    @DecoponMAGI そうかー、、、そうですね、、、歴史モノと戦記モノだけが、エンタメと接続できるものになるって、、、、歴史上最も素晴らしい大衆に伝えられる物語って、、、「それ」ですよねーーー。
  • izumino
    @DecoponMAGI 黒髪娘も、叙情詩型の人魚姫になってて、ホッとしたクチです(笑)
  • DecoponMAGI
    @izumino @Gaius_Petronius やっぱ、1Q84重要ですねー。あれも完全にいずみのさん言うところの人魚姫逆転翻案話と言って過言ではありません
  • izumino
    黒髪娘は、人魚姫というより、かぐや姫翻案なんですが、ギフト的にはそれぞれ自分の世界に帰らなければならないところを、SFだからむしろ「現代の知識に染まりすぎた過去人が過去に残ってはいけない」という歴史修正力が働いて、ああなるんでしょうけどね
  • DecoponMAGI
    ■■■■■■■(※ Togatter用post)■■■■■■■
  • miyamo_7
    前も書いたけど、2ちゃんのスレ小説の語り部と読み手の関係は「酒場の吟遊詩人」型の説話のリバイバルとしてひじょうに興味深いところがある
  • miyamo_7
    昔の英米文芸の「庶民的」な分野が顕著だけど、お話の折々に作者が「つまりこのことから得られる教訓は~なのです」という道徳教育をねらった文言をつけたりした時代というのがあって、そこにおいては読み手からのテーマ解釈もへったくれもなく、物語というのは「テーマの具体例」(寓話)だった次第
  • miyamo_7
    で、そういう、大きな物に受け手を接続させる教化・伝達のための物語の場合、語り部というのは「姿は見せて自分の口で語っているが存在としては引っ込んでいる」司会や黒子になるんだけど、現代的な「物語のための物語」に足を踏み込むとそこに自分がいることを誤魔化せなくなるんだね。(→)
  • miyamo_7
    だから語り部は更に後ろに引っ込んで、主人公や登場人物を代理人に立てて「こいつの一人称」としてまとめたい誘惑にかられやすくなる。
  • miyamo_7
    (→)よって、一人称というのは「登場人物の内面に潜る」ものというより「作者の内面としての臭みを抜く」という、距離を突き放すためのものともいえる。/なんでそんなことしたくなるかというと……よく分からないけど、匿名性がほしいのかも。「こっ、これは俺の友達の話なんだけどさー」みたいな
  • miyamo_7
    ああ、そっか。叙情にあたって近代人は「自分の内面を掘り出すしかない」けど同時に「それお前の個人的なことだろ一般論にならねぇよ」とツッコまれるのをどうにかせんといかんので、「自分の」という頭を「登場人物の」にすげかえるのか。それが近現代的一人称の脱臭のプロセス…かも、しれない。
  • miyamo_7
    (→)ただ、消費者があふれかえる「臭みの無いフィクション」に満腹しきっちゃうと今度は「もういいから“お前の”話を聞かせろよ!“本当にあった”話を!」という、based on true storyへの需要も根を強くしてくるというのがあるから、まあややこしいんだけど
  • miyamo_7
    個人的には…という前置きと矛盾するけど、俺はそもそも「個人の内面」なんてほんまにあるのか、というのを問いたい気はする。常に外部とのたえまないフィードバックで出来てる人間という生き物、感覚遮断すれば容易に気狂うこの生き物を記述するにあたって、単体でのソフトを追求してもどんづまるよね
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