大日本帝国陸海軍のボディアーマー
- baron_yamaneko
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装甲兵、前へ!な感じの日本海軍陸戦隊士官。ボディ・アーマーもとい防弾衣を着用。携帯で昔撮影したので出所を覚えていないが、たぶん「支那事変記念写真帖」 http://t.co/F2gzuQp
2011-08-25 20:41:13防弾衣の詳細不知。WW2中に艦船の機銃指揮官なんかがよく着用してるのと同じものなのだろうか。陸軍の92式防弾衣とは見た感じ似てるけどちょっと異なる。http://t.co/zwG2JJF
2011-08-25 20:46:10日本海軍での軍用ボディーアーマーの研究は、陸軍よりも後れて、満州事変・上海事変での陸戦隊需要から始まったようである。1932年(昭和7年)に左近司政三海軍次官から杉山元陸軍次官へ宛てた、防弾衣や装甲車など装備調達についての便宜供与に対する丁寧な感謝状が残っている。
2011-08-25 20:58:03あの海軍が陸軍に頭を下げてるのが余りにほほえましいので、かな等調整のうえ一部引用。「拝啓 今回の満州並に上海事変に当り、当方兵器の製造補給其の他に関し甚大なる御高配を得候段、有難く御礼申上げ候。」(つづく)
2011-08-25 21:06:48(つづき)「又、貴省に於て研究の上指導培養せられたる民間会社に対し装甲自動車、防弾衣等、海軍側より直接の注文に対しても早速御同意を得、併せて御礼申上げ候。」(以下略。出典は「海軍次官より書簡の件」 アジ歴:C01002769100 )
2011-08-25 21:10:27@baron_yamaneko そういえばこの前後に旧軍は防弾衣の研究を行っていましたねぇ。しかし、結末としてはあまり知らないのですが、旧軍の防弾衣研究の顛末ってどうなったんでしょう?まあ恐らくは実用性なしとして切られたと思いますが。
2011-08-25 21:08:42@Nyarlathotep_44 工兵用の防弾装備に限って若干実用に進んだようですが、よく知りません。昨夜、他の方が旧陸軍の銃鎧の一種(カブトガニみたいなの)を紹介されてたのですが、それはサイパンで鹵獲されたもので、実戦投入されたものでした。
2011-08-25 21:19:51@baron_yamaneko ほー、意外にも使われてるんですか。正直上海事件の時に試験された後に、研究中止になってたと思いました。だってそれ以降使ってる感じしないし……
2011-08-25 21:21:10@Nyarlathotep_44 といっても防弾チョッキ型は92式防弾具くらいで、楯とか背中に背負おう甲羅みたいな方向に行ったようです。併せて使用する300mでも小銃弾に耐える工兵用強化ヘルメット(98式鉄兜)なんてのも制式化されてます。佐山二郎「工兵入門」に若干記述あり
2011-08-25 21:27:09@baron_yamaneko なるほどー、結構防弾研究って工兵を中心に行われていたんですね。試製亀甲型防盾とか、よく考えたもんだってものも結構多いですが……
2011-08-25 21:32:22そういえば日本陸軍ももってたんだよ(・∀・)b http://t.co/fbdNdTg RT @nekoguruma
2011-08-25 01:03:29サイパンで鹵獲された銃鎧。米海兵隊員が試験中だそうである。「藤田兵器研究所」( http://t.co/MCbtpxC )の歩兵兵器研究部のコーナー参照>公式RT
2011-08-25 21:32:41陸軍では、1942年にも試製両面防弾衣というのを実戦テストに送ったりしています。「試製」と呼んでいますが、500組とそこそこ多数の製造が指示されています。「試製両面防弾衣追送の件」(アジ歴:C04123725800)
2011-08-25 21:37:36さて、海軍の現場の方では、防弾衣に対する期待が当初結構大きかったようで、第一次上海事変後に警備任務中の巡洋艦「平戸」では、陸戦隊用として防弾衣250着の配備を3年式機銃や通信機とともに要望しています。却下されてしまいましたが。アジ歴:C05022212000
2011-08-25 21:41:361934年(昭和9年)に佐世保海兵団の陸戦隊訓練用に90着、1936年(昭和11年)には上海海軍特別陸戦隊に士官用の新型防弾衣30着など、そこそこ実戦配備された様子がうかがえます。後者の士官用というのは軍服の下に着用できるデザインのもので、スマートたれという海軍精神の発露でせう
2011-08-25 21:49:18WW2終戦時の引渡目録を見ると、海南島にいた舞鶴1特陸の砲術科需品倉庫に防弾衣526着(アジ歴:C08010675100)とあったり。同隊のような対米開戦前編成の優良装備の特別陸戦隊なら、結構な数の防弾衣を装備していたようです。
2011-08-25 21:58:33日本海軍の防弾衣というと、指揮棒振るって25mm機銃の射撃指揮をしてる青年士官が着てる、でグラマンの機銃掃射には抗えず撃ち抜かれて朱に染まるのが個人的イメージ。艦船配備は実際どのくらいの数かと見ると、終戦時の駆逐艦「涼月」の還納目録に20着とある。アジ歴:C08010926200
2011-08-25 22:08:59と先行研究など確認しないでつぶやいたのだけれど、ボディアーマーの歴史についての資料というと何か良い本があるのでしょうか。
2011-08-25 22:13:05@baron_yamaneko ニ・ニ六事件で出動した歩兵第49連隊もアーマーを支給されたそうですが、甲府連隊史には「重かった」と述懐してありました。そりゃそうですよね。
2011-08-25 22:30:05@benigara おー陸軍歩兵用にも使っていたのですか。穴掘るわけにもいかない市街戦用の特殊装備ってことでしょうかね。警察の特別警備隊あたりにもあったような話をどこかで見かけた気がします。
2011-08-25 23:35:20@benigara 個人発明の献納品ですか。実用的ではなかったにしても、切なる思いがこもってる気がします。警官突撃隊(?)の写真も初めて拝見するもので、興味深いです。
2011-08-26 01:06:58関係ないけど、日露戦争の記録を調べていたら「ロンドンデーリー・テレグラフによると、ロシア軍が17オンス胸甲10万個を外国に発注したらしい」という記事を見つけた事がある。結局はキャンセルされたらしいけど。
2011-08-25 22:33:26