「神秘体験の再現への志向」をめぐって
- southmtmonk
- 6470
- 7
- 4
- 1
第2セッションは廣澤隆之先生のコメントが秀逸すぎて涙が出る。密教経典関係ということで、パスして博物館にでも行こうかと思っていたぐらいだが、思いとどまって本当に良かった。廣澤先生は、密教のグループの形成や神秘体験の言語化という点について、歴史叙述や言語化それ自体が実践である、…
2011-08-31 12:37:00…ということを指摘した上で(言及はなかったけど、歴史の物語り論ですな)、歴史化・言語化に回収されない、或いはそれを超える神秘体験をどのように扱うべきか、という点について問題提起をされていた。これは、午後の自分の発表にも関わることだったりする。…
2011-08-31 12:38:47…質疑応答の場で、ちょっと反則かもしれないが、廣澤先生に質問させて頂いた。歴史化に回収されない神秘体験には、歴史や文化を超えて繰り返されるもの(歴史を超えてしまうもの)とともに、要するにわけがわからない神秘体験のように歴史化等が困難なものとがあるのではないか?という質問。…
2011-08-31 12:40:35…それに対して廣澤先生は、キリスト教は一回性の神秘体験を重視するのに対して、仏教は前者の繰り返しを志向する傾向があるのではないか、というようなお答え。北條さんの最近の議論と照らしても、妥当であると思う。今後とも色々考えたい所。
2011-08-31 12:42:12@moroshigeki 仏教学会の一連のtweets興味深く拝見しました。RTしたtweetについて、どのようなことを念頭にこのような「傾向」を見られているのでしょうか。もしよろしければ「北條さんの最近の議論」のレファレンスを教えていただけないでしょうか。
2011-08-31 14:32:06@tricycler 短いコメントだったので詳しいことはわかりませんけど、仏教だと瞑想マニュアル(経典、懺法、儀軌など)や体験記(僧伝)が作られて、個々の個人的な神秘体験等が、歴史や地域を超えて再現可能であることを示そうとしている、というのは言えると思います。(続く)
2011-09-01 09:39:12@tricycler (続き)北條勝貴さんの「先達の物語を生きる―行の実践における僧伝の意味―」http://t.co/qmWY0rz は、まさに先達の修行体験を再現しようとする(先人の生を生きようとする)仏教徒のあり方が、アジア的歴史叙述のあり方と絡めて論じられています。続く
2011-09-01 09:41:40@tricycler 続き。それに対してキリスト教圏だと、個人的な印象では、仏教ほど神秘体験の再現を志向しないのかなあ、と思っています(聖人の体験を繰り返すことができたら、聖人じゃなくなるというか)。ただ、キリスト教に関しては私も勉強不足ですので、ぜひ皆様のご教示が頂きたいです。
2011-09-01 09:44:24@moroshigeki ありがとうございます。仏教における「瞑想マニュアル(経典、懺法、儀軌など)や体験記(僧伝)」の伝統の発達についてはたしかに顕著なものがありそうですね。蓑輪顕量『仏教瞑想論』はおもしろかったです。北條氏のレファレンスもありがとうございました。(続く)
2011-09-01 12:17:43@moroshigeki (続き)ただキリスト教のなかにも「神秘体験の再現を志向する」流れが強く見られるところがあります。中世の修道院における瞑想的読書、中世の様々な神秘主義、近世以降でもドイツの敬虔主義(森涼子『敬虔者たちと「自意識」の覚醒』)など。(続く)
2011-09-01 12:24:18@moroshigeki (続き)なのでキリスト教圏は「仏教ほど神秘体験の再現を志向しない」と一般論として言えるのか疑問をもってしまうのです。とはいえ、先ほどのように瞑想実践の発達などについては仏教での顕著な発展があるわけで、そこには仏教独自のものが見られるだろうと思います。
2011-09-01 12:28:20先ほど @moroshigeki さんに紹介していただいた北條勝貴「先達の物語を生きる―行の実践における僧伝の意味―」藤巻和宏編『聖地と聖人の東西』はでたばかりなんですね。 bit.ly/o5cE8Y 青谷さんや橋川さんも書かれている。
2011-09-01 12:32:08神秘体験が具体的に何を指すのかわからないけど神秘体験の再現を志向しないわけじゃないような。ヘシュカスムの見神とか。仏教ほどではないて言われたらそうかもしれない。
2011-09-01 14:28:50「方法」によって再現可能なものはもはや「神秘体験」ではないのでは→ @kanedaitsuki: 神秘体験が具体的に何を指すのかわからないけど神秘体験の再現を志向しないわけじゃないような。ヘシュカスムの見神とか。仏教ほどではないて言われたらそうかもしれない。
2011-09-01 14:40:11そうですね。キリスト教でも神秘体験自体は行の目的ではないし、意志と無関係に向こうからやってくるものですね RT @HASSANKONAKATA: 「方法」によって再現可能なものはもはや「神秘体験」ではないのでは
2011-09-01 15:57:57因みにイスラームでは、修行によって獲得可能な「聖者」(&魔術師)の超常現象karaamahと純粋なアッラーの恩寵の賜物であり獲得不可能な奇跡mu‘jizahを区別します。 → @HASSANKONAKATA: 「方法」によって再現可能なものはもはや「神秘体験」ではないのでは
2011-09-01 15:07:29あっ、すいません一寸訂正。魔術師の起こす超常現象は魔術であって karaamahとは呼ばれません。→ 因みにイスラームでは、修行によって獲得可能な「聖者」(&魔術師)の超常現象karaamahと純粋なアッラーの恩寵の賜物であり獲得不可能な奇跡mu‘jizahを区別します。 →
2011-09-01 16:48:02@HASSANKONAKATA 横から失礼します。西方キリスト教でも、(必ずしも超常現象を伴うわけではありませんが)、獲得可能な神との一致への道行き(黙想と潜心)と、その先の獲得不可能な恩寵としての一致(観想)とを区別します。
2011-09-01 16:53:06多分神秘体験をともなう行の宗教全体での位置づけ価値づけの話なんで仏教ほどではないんではと。キリスト教の実践的中心はあくまでサクラメント特にユーカリストですから。
2011-09-01 17:42:34だからサクラメントや教会を離れた霊的実践は厳しく断罪された。嫌疑に対してカバシラスはヘシュカスムがあくまでサクラメント中心の教会の内にあることを弁護した。
2011-09-01 17:46:47私も何度か触れたことがあるかと思いますが、キリスト教は全般的に身体的な行への注目が相対的に薄い、というのは言えることと思います。でも、「一回性の神秘体験」「神秘体験の繰返し」という対比は確かに誤謬を生みやすいかな、とは思う。
2011-09-01 14:37:58moroshigekiさんが伝えている「(瞑想)マニュアル」という辺りに割とポイントがある気はして、要は「神秘体験的な体験*をするための方法論」と「その実践のための(組織)教育」がどこまで——正統的・基軸的なものとでも言いますか、そのような位置づけを得ているか、という話ですよね。
2011-09-01 14:43:03「ですよね」って何様。 / *「神秘体験的な体験」とか言うとアレですけれど、まあ「神との合一」を体感した西方の神秘家と悟りに至った仏教行者を相似のものとして見る見方を取っているわけですが、まったく同じものなどと言うつもりはもちろんない、という防御的な言葉は一応置いておきます。
2011-09-01 14:45:16あと、体験の再現という言い方にも微妙なところがありますよね。こう、「自力/人力で現出させた何か」ってニュアンスが出てくるようなところがあって、その果てに「LSD飲めばいいですよね」みたいな話があるような気はする。
2011-09-01 15:04:03