近代ポルトガル史は面白いんだぜ in 第一次大戦
- baron_yamaneko
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@RASENJIN 戦闘で活躍以前に、なんとか西部戦線派遣軍を編成できただけで、「タンコスの奇跡」と呼ばれたそうです。タンコスは遠征軍の訓練地名。戦場では・・・。 http://t.co/iAqUYhs
2011-09-02 00:08:03ウッ、WW1ポルトガル軍ぼろぼろでしたか。どこから来た記憶だったんだろう……士官はイギリス人だったといううろ覚えな記憶もあるのだけど。
2011-09-02 00:11:06@RASENJIN PoGだとポルトガル軍は特に大勢に影響のないユニットになってますね。実質数個師団のベルギー軍やセルビア軍はかなり高く評価されているんですが、これは実際の戦果から割り出した評価で、編成的には過大らしいです。
2011-09-02 00:13:38@ninomae_fumi 昨日のボルボン・スペイン史とも絡むんですが、近代ポルトガル史というのも興味あるのですよね。イギリスと非常に密接な関係がありますし。
2011-09-02 00:15:59ポルトガルというと教科書的には南蛮貿易あたりを最後に歴史の闇に消えちゃう国だけれど、そこから先もなかなか面白い。イギリスとの永久同盟での子分っぷりとか、ナポレオンに追われてリオデジャネイロ遷都とか。
2011-09-02 00:23:57ブラジル遷都の時もイギリス海軍頼りだったぐらいなのに、そのイギリスと植民地領有を争った挙句そこで折れたのが王制崩壊の遠因になってしまったりと、本当に面白いのでもうちょっと流行ってもいいと思うんだ。
2011-09-02 00:29:58WW1ポルトガルその1:中立だったのに、アフリカ植民地がドイツ領東アフリカ軍と英軍の追いかけっこの場所にされて大迷惑。警備のために本国軍を派遣して、熱帯病で苦しむ。
2011-09-02 00:31:31WW1ポルトガルその2:中立国として戦争特需謳歌のつもりが、永久同盟を盾にしたブリテンの要求で在泊中の同盟国側商船を拿捕したため、開戦へ。船腹不足のブリテン人は、さっそく拿捕船の半分を御借り上げ。
2011-09-02 00:34:57WW1ポルトガルその3:西部戦線にも来いよとイギリスに言われて、アフリカとの両面作戦に困りつつ、なんとか遠征軍を編成。これがポルトガルの歴史教科書にも載ってるタンコスの奇跡。尽力したゴメス・ダ・コスタ将軍は名声を博し、10年後に一瞬だけ大統領になり、元帥に上りアゾレス諸島島流し。
2011-09-02 00:44:40WW1ポルトガルその4:出征、食糧不足、政治不信。そんな1917年5月13日、ポルトガルのファティマ村に聖母マリア出現。3つのメッセージを残す。カトリック教会は聖母出現と公認。
2011-09-02 00:50:29WW1ポルトガルその5:カトリックの信仰心とアナーキストのテロが盛り上がる中、1917年末、シドニオ・パイス元大佐が軍の一部を率いて蜂起。外征で軍主力不在の隙をついてクーデターは成功。
2011-09-02 00:55:56WW1ポルトガルその6:シドニオ・パイスは市民の熱狂的支持を受けて独裁化。ドン・セバスティアンの再来と称えられる。ポルトガル王セバスティアン1世はモロッコで敗戦して行方不明となった人で、祖国の危機に帰ってくると言い伝えられる。
2011-09-02 00:59:18ちなみに、ロボトミー手術の考案でポルトガル人ノーベル賞受賞者第1号となったエガス・モニスは、シドニオ・パイスの側近として要職を歴任し、パリ講和会議にも外務大臣兼全権として出席していたりする。
2011-09-02 01:36:18その後のポルトガルの政治的混乱によって政界から医学界へと戻り、ロボトミー手術や血管造影法を生み出した。世の中思わぬことが思わぬものへと影響を及ぼすものである。
2011-09-02 01:41:09WW1ポルトガルその7:1918年4月、ドイツ軍の西部戦線春季攻勢で、ポルトガル軍が弱点と見られて激しく攻撃を受ける。ポルトガル派遣軍団(CEP)は壊滅状態となる。
2011-09-02 01:06:30WW1ポルトガルその8:1918年10月14日、商船護衛中のポルトガル海軍武装トロール「アウグスト・デ・カスティーリョ」が、浮上襲撃を仕掛けたドイツ潜水艦「U139」と交戦して撃沈される。停戦1月前に起きたこの戦闘が、WW1においてポルトガルが経験した唯一の海戦であった。
2011-09-02 01:10:32WW1ポルトガルその9:1918年12月、停戦は迎えたものの、スペイン風邪の流行によりますます政情が不安となるポルトガルで、独裁者シドニオ・パイスが暗殺される。穏健保守系の高級軍人が軍事政権を樹立し、急進共和派の反乱を鎮圧。
2011-09-02 01:15:38WW1ポルトガルその10:1919年1月、パイヴァ・コウセイロ元大佐を中心に王党派が軍事蜂起し、王政復古を宣言。リスボンの王党派は海軍や市民の攻撃で制圧されるが、国土の北1/3が王党派の手に落ちる。しかし、中流市民の支持を得られず約1月の内戦の後、北部王国は瓦解した。
2011-09-02 01:22:22ポルトガルはその後、10年ほど混乱状態が続く。1年で6回政権交代、国庫破綻で連盟に介入されかけ。ゴメス・ダ・コスタ→カルモナの軍事政権ルートに入って多少安定、まもなくコインブラ大学の人気教授サラザール博士が乗っ取ってエスタドノヴォなのである。さあ一緒に「神、祖国、そして家族!」
2011-09-02 01:40:37